春秋戦国時代

★早稲田ではここが問われる
各国の攻防・・・ストーリーまで抑える必要がある

春秋・戦国時代(紀元前770年〜紀元前221年)

春秋時代

周(西周)が滅亡し、周の東遷によって東周となったが、各地に有力な諸侯が独立するようになり、中国は分裂期にはいる。
春秋時代
中国の東周時代の前半。前770年~前403年。

周(西周)が滅亡した翌年の前770年、都を洛邑に遷して東周となった。
孔子が編纂したという魯(周の文王の子、武王の弟の周公旦が建てた国)の年代記である『春秋』(厳密には前722~479年)に記録されている時代だからである。

「春秋の五覇」
斉の桓公、晋の文公、楚の荘王、呉王闔閭、越王勾践

この時代は、周の王権は衰え、各地に有力な諸侯が現れ、互いに覇を競った
斉・晋・楚・秦などが有力であり、末期には南方の呉と越が台頭

楚の荘王は洛陽に入り晋を破った
斉の桓公は管仲を宰相にして富国強兵策を促進

臥薪嘗胆 夫差と勾践の復讐の苦労を物語る
夫差は越の反撃に敗れ自殺

★楚越
この地域に興った長江文明では新石器時代より稲作

楚は戦国の七雄、越は違う
項羽の出身

この時代の前6世紀頃、鉄製農具が普及し、中国の社会が大きく変わる時代であった。 氏族の統制が緩み始めた

戦国時代
中国の東周時代の後半、秦が統一するまでの分裂時代。前403年~前221年まで。戦国の七雄と言われる有力諸侯が争う中、次第に秦が有力となった。

戦国時代の名称は、前漢末の劉向によって編まれた『戦国策』による。

戦国策・・・縦横家

戦国の七雄
西方で春秋時代の始めに諸侯に列し、遊牧民と接触しながら強力な軍事力を有するようになったのが秦であった。これら北方の燕、長江流域の楚を加え、中国に割拠した有力諸侯を戦国の七雄という
韓、魏、趙、斉、燕、楚、秦

「下剋上」
諸侯の家臣である大夫が各国の実権を握ったり、さらに士の階層が進出してそれまでの封建制の諸侯と卿大夫士という秩序が崩れてきた。いわゆる「下剋上」の進行である。

春秋戦国時代の特徴
鉄製農具と牛耕などが普及して農業生産力の向上し、血縁関係を軸とした宗族という紐帯が弱まり、個々の家族の自立という社会的な変動が起こった。また農業生産力の向上は貨幣経済の発達をもたらし、戦国時代の諸国ではそれぞれに青銅貨幣を鋳造し、流通させた。このような自立した農民を軍事力として組織し、領内の経済をおさえて富国強兵に成功したのが戦国の諸侯であった。そのような変革期に適応した新たな思想が諸子百家といわれる思想家集団によって生み出された。

2012国際教養
2012商学部 越王闔閭が×
2004教育