8世紀

8世紀
世界的な温暖化現象により、各地で海水面が上昇する(ロットネスト海進、平安海進)。

701年
大宝律令の撰定が完成する。刑部皇子・藤原不比等らに禄を賜う。
則天武后の命により中宗の嫡男李重潤(懿徳太子)・七女永泰公主らを処刑する。
702年
第八次遣唐使が派遣され、執節使粟田真人が則天武后に謁見する。
この遣唐使は663年以来40年ぶりのもので、「倭」に代わる国名「日本」を承認させる目的もあった。
703年
持統太上天皇死去、天皇経験者として最初の火葬にされる。
則天武后により長安光宅寺七宝台仏龕の仏像群が作られる(後に宝慶寺(花塔寺)に移動)。
705年
則天武后が死去し、復位した中宗により唐が再興される(神龍革命)。
ウマイヤ朝カリフのワリード1世によりダマスクスのウマイヤド・モスクが完成する。
東ローマ皇帝ユスティニアノス2世がティベリオス3世を打倒し復位を果たす。
706年頃 – 真臘が北部の陸真臘と、南部の水真臘とに分離する。
707年
文武天皇が死去し、第43代元明天皇が即位する。
唐の皇太子李重俊(節愍太子)が中宗皇后韋氏に対し反乱を起こすが鎮圧される。
708年
和同開珎鋳造。
アヴランシュのオベールがモン・トンブ山に礼拝堂を建てる(モン・サン=ミシェル修道院の始まり)。
アンキアルスの戦いで、第一次ブルガリア帝国が東ローマ帝国に勝利。
709年。
ウマイヤ朝カリフのワリード1世によりエルサレムのアル=アクサー・モスク(銀のモスク)が完成する(705年 -)。

710年
元明天皇が平城京へ遷都(奈良時代の始まり)。
唐で韋后排斥の政変により睿宗が復位。この功績で李隆基が皇太子となる。
涼州に最初の節度使である河西節度使が設置される。
吐蕃王ティデ・ツグツェンが王妃として唐の金城公主を迎え入れる。
710年頃 – ブルガリアのマダラの騎士像が作られる。
711年
ウマイヤ朝がグアダレーテの戦いで西ゴート王国を滅ぼしイベリア半島を占領。
東ローマ皇帝ユスティニアノス2世が殺害され、ヘラクレイオス朝が断絶する。
ウマイヤ朝のムハンマド・ビン・カーシムがシンド地方(現パキスタン)を征服する。
712年
太安万侶が『古事記』を撰上する。
唐で李隆基が玄宗として即位。唐は最盛期を迎える(開元の治)。
ウマイヤ朝のクタイバ・イブン・ムスリムがサマルカンドを占領し、マー・ワラー・アンナフル全域の征服完了。
713年
諸国に『風土記』の編纂を命ずる。
唐の玄宗が太平公主一派を倒す。
四川の楽山大仏の建設が始まる( – 803年)。
震国が国号を渤海と改称。
714年
『続日本紀』に奄美・信覚・球美などの人々が来朝したとされる。
唐で最初の市舶司が広州に設置される。
715年
元明天皇が譲位し、第44代元正天皇が即位する。
越前国氣比神宮に託宣により神宮寺が設けられる(日本最初の神仏習合に伴う神宮寺の記録)。
717年 – テマ・アナトリコン長官であったレオーン3世が東ローマ皇帝に即位し、イサウリア朝を開く。
718年 – コンスタンティノポリス包囲戦の終結 (717年 – )
東ローマ皇帝レオーン3世がコンスタンティノポリスを包囲したウマイヤ朝軍を撃退する。

720年
『日本書紀』完成。舎人親王が『日本紀』30卷・系図1卷を撰上する。
大隅国国司陽侯麻呂が殺害され、隼人の反乱が起こる( – 721年)。
722年 – コバドンガの戦いでペラーヨがイスラム勢力からアストゥリアスを奪回(最初のレコンキスタ)。
722年頃 – 新羅人僧慧超がインドに渡る( – 727年)。
723年
田地開墾のため三世一身法を施行する。太安万侶が死去、現奈良市此瀬町の「太安万侶墓」に墓誌が残る。
ウマイヤ朝ヤズィード2世がキリスト教徒の聖画像を禁止する。
724年
元正天皇が譲位し、第45代聖武天皇(首皇子)が即位する。
ウマイヤ朝カリフのヒシャーム・イブン・アブドゥルマリクが即位( – 743年)。
ウマイヤ朝最後の安定期をもたらし、モザイク床遺跡で知られるヒシャーム宮殿(英語版)を建設。
ピルミニウスによりボーデン湖(コンスタンツ湖)の島にライヒェナウ修道院が創設される。
725年 – 唐の玄宗皇帝が封禅の儀を行う。
726年 – 東ローマ皇帝レオーン3世が聖像禁止令を公布(イコノクラスム(聖像破壊運動)の始まり)。
727年 – 渤海国王大武芸が高仁義らを日本に派遣(第一回渤海使)。翌年には日本から遣渤海使が送られる。
728年 – ローマ教皇グレゴリウス2世とランゴバルド王リウトプランドの領土寄進に関する合意がなされる(「スートリの寄進(英語版)」)。
729年 – 長屋王の変。藤原光明子(光明皇后)が立后される(皇族以外の最初の立后)。

730年
東ローマ皇帝レオーン3世がイコン擁護派のコンスタンティノポリス総主教ゲルマノス1世を罷免する。
筑紫国大宰府にて大宰帥大伴旅人らにより「梅花の宴」が催される。
731年頃
ベーダ・ヴェネラビリスが『イングランド教会史』を書き上げる。
732年
トゥール・ポワティエ間の戦いで、カール・マルテル率いるフランク王国軍がウマイヤ朝軍を破る。
この戦いと、718年の東ローマ帝国の勝利により、キリスト教世界はイスラム帝国の進撃を止めることに成功。
オルホン川流域のホショ・ツァイダムに東突厥のキュル・テギンの碑文が建てられる。
東ローマ皇帝レオーン3世がイリュリクムの裁治権をローマ教皇からコンスタンティノポリス総主教に移管する。
東ローマ皇帝レオーン3世の息子(後の皇帝コンスタンティノス5世)がハザール王女チチャク(エイレーネー)と結婚。
734年
遣唐使留学生井真成36歳で長安で没する。
その2005年4月に発見された墓誌には、玄宗皇帝から官位授与や「国号日本」も記録されている。「日本」表記の現存資料としては最古。
ボーン川の戦いで、フランク王国がフリースラント王国を征服。
735年 – オルホン川流域のホショ・ツァイダムに東突厥のビルゲ・カガンの碑文が建てられる。
737年 – 天平の疫病大流行により藤原四兄弟が相次いで死去、右大臣橘諸兄による政権が成立する。
738年
唐が皮羅閣を雲南王に冊封し南詔が建国される。
唐の玄宗が翰林学士院を設置する。
キリグア王カック・ティリウが反乱を起こし、コパン王を斬首してマヤ地域の覇権を握る。
739年 – 行信により夢殿を中心とする法隆寺東院が建立される。

740年
藤原広嗣の乱。
アクロイノンの戦いで東ローマ帝国がウマイヤ朝に勝利し、小アジアの確保に成功。
740年 – クーファのシーア派(ザイド派)によるザイド・ブン・アリーの乱。
741年
東ローマ皇帝レオーン3世により「ローマ法大全」を改訂した「エクロゲー(ギリシア語法選集)」が出される(726年説もある)。
聖武天皇の国分寺建立の詔。
742年 – 突騎施の莫賀達干が十姓可汗(阿史那昕)を殺害し西突厥を滅ぼす。
743年 – 墾田永年私財法を施行。大仏建立の詔が出される。
744年
ザクセン人への宣教のためフルダ修道院が設立される。
ウマイヤ朝のマルワーン2世がダマスクスからハッラーンに遷都。
745年
唐の玄宗が楊太真を貴妃とする(楊貴妃)。
大秦国(東ローマ帝国)からネストリウス派聖職者の佶和(ゲワルギス)が長安に来訪し玄宗に謁見する。
回鶻(ウイグル)の懐仁可汗が白眉可汗(鶻隴匐)を殺害し東突厥を滅ぼす。
746年 – カンスタットの血の宮廷(英語版)。
747年 – アッバース家の宣伝員(ダーイー)アブー・ムスリムがホラサン地方のメルブで反乱を起こす。
748年 – 鑑真が日本への渡海の途上で暴風雨に巻き込まれ、海南島に流される( – 751年)。
749年
陸奥国司百済王敬福が朝廷に黄金を献上(日本での産金の最古の記録)。
東大寺大仏造営にあたり宇佐八幡宮より八幡神が勧請され手向山八幡宮が創建される。
聖武天皇が譲位し、第46代孝謙天皇即位する。光明皇太后の家政機関として紫微中台が設置される。
アブー・アル=アッバース(サッファーフ)がイラクのクーファでアッバース朝を建てる。

750年 – ザーブ河畔の戦いで、アッバース朝がウマイヤ朝残党に勝利する。
アッバース朝初代宰相(ワズィール)アブー・サラマが暗殺され、以後シーア派の粛清が続く。
750年頃
ヴァティカン図書館に所蔵されている『ゲラシウスの典礼書(英語版)』がフランク王国で作られる。
スウェーデンのゴットランド島の「アードレの画像石(英語版)(ルーン石碑)」が建立される。
南シベリアのテレホリ湖の島にウイグル人の王宮であるポル=バジンが作られる。
ベンガル地方にパーラ朝が成立。
751年
唐の高仙芝が中央アジアに遠征し、タラス河畔でアッバース朝に敗れる(タラス河畔の戦い)。
ランゴバルド王アイストゥルフが東ローマ帝国のラヴェンナ総督府を占領。
ローマとラヴェンナを結ぶ「ビザンティン回廊(Byzantine Corridor:フラミニア街道)」の終焉。
フランク王国でソワソン会議によりメロヴィング朝のキルデリク3世が廃位される。
カール・マルテルの子ピピン3世(小ピピン)が国王に選出され、カロリング朝が成立する。
新羅の宰相金大城が都の慶州に石窟庵と仏国寺を建立。
752年
天竺僧菩提僊那を導師として東大寺大仏の開眼供養が行われる。
東大寺二月堂が創建され、実忠により最初の修二会(十一面悔過、お水取り)が行われる。
753年
唐の朝賀で遣唐使大伴古麻呂が新羅の使者と席次を争う。
唐僧の鑑真が日本に着く。阿倍仲麻呂は難破して安南に漂着し日本に帰れず。
ダンティドゥルガ(英語版)が前期チャールキヤ朝を滅ぼしラーシュトラクータ朝を興す。
754年
ヒエレイア教会会議(英語版)で聖像破壊論者が聖像崇敬を断罪する。
教皇ステファヌス2世とフランク王ピピン3世とのポンティオンの会見。
宣教師ボニファティウスがフリースラントのドックムで殉教する。
イスラム支配下のスペインで『754年のモサラベ年代記』が執筆される。
755年
唐で安史の乱が起こる(- 763年)。
渤海国王大欽茂が中京顕徳府から上京龍泉府に遷都。
アッバース朝建国の功臣アブー・ムスリムがカリフ・マンスールに処刑される。
756年
安禄山が洛陽で大燕皇帝を名乗る。
唐の玄宗が長安から出奔。馬嵬にて楊国忠・楊貴妃を処刑。玄宗に代わり粛宗が霊武にて即位。
聖武太上天皇死去。聖武太上天皇の七七忌に当たり、東大寺に遺品を施入したのが正倉院の始まり。
フランク王ピピン3世がラヴェンナとペンタポリス(英語版)をランゴバルドから奪う。
これらの領土は教皇ステファヌス3世に寄進され(「ピピンの寄進」)、ローマ教皇領の始まりとなる。
ウマイヤ朝の王族アブド・アッラフマーン1世がムサラの戦いで勝利し、コルドバでアミールを名乗る。
これにより後ウマイヤ朝がイベリア半島で独立し、イスラム帝国は分裂する。
ラシュトラクータ朝のクリシュナ1世が即位。
この王のもとでエローラ石窟のカイラーサナータ寺院が建造される。
コンカン地方ムンバイ近郊ガーラープリー島エレファンタ石窟群もこの時代までに整備される。
757年
イスラム世界で最初の製紙工場がサマルカンドに設立される。
安禄山が安慶緒に殺害される。唐とウイグルの連合軍が長安を奪回。
孝謙天皇が道祖王を廃太子とし、大炊王を皇太子とする。橘奈良麻呂の乱。
養老律令の制定。
758年
孝謙天皇が譲位し、第47代淳仁天皇が即位する。
唐の塩鉄使の第五琦が塩の専売制を行う。
唐の顔真卿による「祭姪文稿」が書かれる。
唐の粛宗の王女寧国公主がウイグルの葛勒可汗と婚姻する。
759年
安慶緒が史思明に殺害される。
フランク王ピピン3世がナルボンヌを奪回し、南フランスからイスラム教徒を放逐。
鑑真により唐招提寺が創建される。
『万葉集』に採録された最も年代の新しい大伴家持の和歌が詠まれる。この年以降に『万葉集』が成立する。

760年 – 揚州大虐殺。
761年 – 史思明が史朝義に殺害される。
761年頃 – カウィール・チャン・キニチがドス・ピラスを放棄し、アグアテカに遷都する。
762年
陸奥国国府に多賀城碑が建てられる。淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を選定する( – 764年)。
回鶻(ウイグル)の牟羽可汗がマニ教を受容する。
アッバース朝のカリフ・マンスールがハーシミーヤからバグダードに遷都。
唐で玄宗と粛宗が相次いで死去。粛宗の張皇后と宦官李輔国を倒した宦官程元振が実権を握る。
763年
回鶻の牟羽可汗が史朝義を自殺に追い込み、安史の乱が終結する。吐蕃が一時的に唐の長安を占領する。
ナポリ公国が東ローマ帝国から自立し、ローマ教皇側に与する。
764年
僕固懐恩の乱( – 765年)。
藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)。
乱を鎮圧した孝謙上皇が重祚して、第48代称徳天皇となり、淳仁天皇を廃して淡路国に配流とする。
765年
道鏡が太政大臣禅師となる。称徳天皇の発願で大和西大寺が創建される。
この年(神護元年)記された木簡に、式部省大学寮で破斯清道という官吏が働いていたことが記される。破斯清道はペルシャ人とする説がある。
シーア派が十二イマーム派(主流派)と七イマーム派(非主流派・イスマーイール派)に分離する。
766年 – 道鏡が法王になる。
767年 – シャイレーンドラ朝軍が北ベトナムの安南都護府を攻撃する。
768年
フランク王ピピンが死去、息子のカールとカールマンが共同のフランク王に即位する。

藤原永手が鹿島・香取・枚岡各社の祭神を勧請し春日大社を創建。
宇佐八幡宮神託事件で和気清麻呂が大隅国に流罪となる。
769年 – 称徳天皇への呪詛により異母妹不破内親王が内親王位を剝奪される。

770年
称徳天皇の命で法隆寺など有力寺院に百万塔陀羅尼が奉納される。
称徳天皇が死去し、第49代光仁天皇が即位する。
道鏡を下野国薬師寺別当に左遷する。
光仁天皇の皇后井上内親王と皇太子他戸親王が廃される。
唐の皇帝代宗と宰相元載により宦官魚朝恩が誅殺される。
771年 – カールマンの死去によりカールがフランク単独の王となる。
全国を週に分けて地方の有力豪族を各州の長官である伯に任命し、巡察使を派遣して伯を監督させた。
772年 – フランク王カールによるザクセン戦争( – 804年)。
774年
フランク王カールがランゴバルド王国を滅ぼす(ドイツ語版)。
都パヴィアを制圧し、国王デシデリウスを追放。
カールは「ランゴバルド王」の称号を獲得し、「ランゴバルドの鉄王冠」を取得。
新羅の宰相金大城による慶州の石仏寺(現在の石窟庵)が完成する。
775年
東ローマ皇帝コンスタンティノス5世コプロニュモスが死去し、レオーン4世ハザロスが皇帝に即位(在位775-780年)。
この年建てられた「リゴール碑文」によるとシャイレーンドラ王家がシュリーヴィジャヤを支配した記録が残る。
吐蕃王ティソン・デツェンがサムイェー寺を建設する。
776年 – ムカンナーの反乱( – 783年)。
776年頃 – ハワーリジュ派系イバード派によりアルジェリアにルスタム朝が成立する。
777年 – 唐の宰相元載が皇帝代宗の命で誅殺される。
778年
スペイン遠征中のフランク王国軍がバスク人とのロンスヴォーの戦いで敗退する。
この事件がもととなり後に『ローランの歌』が作られる。
インドネシアのジャワ島中部にあるカラサン寺院が創建され、近辺にカラサン碑文(英語版)が残される。
779年
フランク王カールによるヘルスタル(英語版)勅令(The Capitulary of Herstal)。
この法令によりフランク王国のキリスト教徒は教会に十分の一税を納めることが定められる。
回鶻(ウイグル)の牟羽可汗が殺害され、宰相の頓莫賀達干が合骨咄禄毘伽可汗として即位、マニ教は弾圧される。

780年
唐の宰相楊炎の建議により租庸調制から両税制へ税制を移行。
上治郡の大領伊治呰麻呂が反乱を起こし、多賀城が焼失する(宝亀の乱)。
780年頃 – インドネシアのシャイレーンドラ朝がボロブドゥールの建設を始める。
781年
唐の徳宗の抑圧策により河朔三鎮・河南二鎮の節度使(藩鎮)が反乱を起こす。
中央アジア出身の伊斯が長安の大秦寺に「大秦景教流行中国碑」を建立。
カシミール人の僧侶プラジュニャ(般若三蔵(英語版))が広州に到着。
光仁天皇が病気のため譲位し、桓武天皇が即位する。
782年
フランク王国の宮廷学校にヨーク出身のアルクィンが招かれる(カロリング・ルネサンスの始まり)。
氷上川継の乱。
783年
唐で朱泚の乱が起こり、皇帝徳宗が長安から逃亡。
この時期に何家村の宝物が埋蔵されたか(何家村唐代窖藏)。
フランク王カールの命で『ゴデスカルクの福音書(英語版)』が作られる。
784年 – 長岡京に遷都。
785年
長岡京建設の責任者藤原種継が暗殺される。
この事件で桓武天皇の弟で皇太子の早良親王が流罪となるがその途上で憤死。
唐の徳宗の命で楊良瑶がアッバース朝に派遣される。
786年
アッバース朝でハールーン・アッ=ラシードがカリフとなる( – 809年)(アッバース朝の最盛期)。
フランク王カールがアーヘン大聖堂の建設に着手。
吐蕃の敦煌(沙州)占領。
787年 – 第2ニカイア公会議でキリスト教会での聖像使用の教義が確認される。
788年
最澄が一乗止観院を建てる(後の比叡山延暦寺)。
インゲルハイム・アム・ライン国家会議。
フランク国王カールがバイエルン部族公タッシロ3世(英語版)を追放する。
マグリブ西部のモロッコにイドリース朝が興る。
回鶻の頓莫賀達干と唐の咸安公主の結婚。
789年
フランク王カールによる「一般訓令(Admonitio generalis)」。
インドから唐僧悟空(達摩駄都)が約40年ぶりに帰国。

791年 – フランク国王カールがアヴァールを征討。
792年 – 桓武天皇により諸国の軍団・兵士が廃止され、健児の制が導入される。
793年
バグダードに最初の製紙工場が設立される
イングランド北部のリンデスファーン修道院がヴァイキングに襲撃され、ヴァイキング時代の幕開けとなる。
794年
平安京へ遷都し平安時代はじまる。山背国を山城国へ改称。
フランク国王カールの招集によるフランクフルト教会会議(英語版)が開催される。
795年
フランク王国がスペイン辺境領を設置。
回鶻(ウイグル)の懐信可汗が即位、マニ教が再び国教とされる。
796年
アッバース朝カリフのハールーン・アッ=ラシードがラッカに宮廷を遷す( – 809年)。
クレタ島の大地震、エジプトではアレクサンドリアの大灯台が半壊する。
797年
東ローマ皇帝コンスタンティノス6世が母エイレーネーによって廃位され、エイレーネーがローマ帝国初の女帝として即位。
フランク国王カールがアッバース朝のハールーン・アッ=ラシードに使節を送る。
空海が『三教指帰(聾瞽指帰)』を執筆。
797年頃 – 唐僧摩訶衍がインド僧カマラシーラに敗北しチベットから退去。サムイェー寺の宗論が終わる。

800年
フランク国王カールがローマ教皇レオ3世から「ローマ皇帝」の冠を受ける(カール大帝)。
マグリブ東部のチュニジアにアグラブ朝が興る。
早良親王に「崇道天皇」の追尊号が贈られる。
富士山の延暦噴火。