17世紀

1601年
海禁政策をとっていた明王朝下で、マテオ・リッチが北京入城を果たし住居を得る。
イングランド女王エリザベス1世の寵臣エセックス伯が反逆罪で死刑に処せられる。
イングランド女王エリザベス1世の「黄金演説(英語版)」。
ロシア大飢饉(英語版)( – 1603年)。
蘇州で織傭の変。
佐渡金山が開山する。
1602年
オランダが世界初の株式会社である東インド会社を設立(オランダ東インド会社)。
また同時期に世界初の常設証券取引所としてアムステルダム証券取引所が設置される
本願寺が西本願寺(七条堀川)と東本願寺(七条烏丸)に分裂。
陽明学左派の思想家李卓吾が投獄され、獄中で自殺。
1603年
イングランド女王エリザベス1世死去によりテューダー朝断絶。
スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として即位し、ステュアート朝による両国の同君連合が成立。
ロシアで帝位僭称者偽ドミトリー1世が出現。
徳川家康が初代将軍となり、江戸幕府が成立。
イエズス会により『日葡辞書』本編が刊行される。
1604年
顧憲成が無錫で東林書院を復興する。
朱印船貿易の制度が確立される。生糸輸入に関する糸割符が導入される。
1605年
イングランドのガイ・フォークスらが、国王ジェームズ1世らの爆殺を企てるも失敗(火薬陰謀事件)。
マテオ・リッチが「開封のユダヤ人」の存在についてイエズス会本部に報告する。
徳川秀忠が江戸幕府第2代将軍となる。
1606年
オランダ人ウィレム・ヤンツがヨーロッパ人として最初にオーストラリア西海岸に到達。
シク教5代目グルのアルジュンがムガル帝国の弾圧を受け死亡する。
儒学者林羅山とイエズス会日本人修道士不干斎巴鼻庵との「地球論争」。
1607年
イングランドが北アメリカ大陸のジェームズタウンに入植成功。
アンリ4世がフランス王とウルヘル司教を共同大公とする勅令を出しアンドラ公国が成立。
パリのセーヌ川にかかるポンヌフが完成する。
教皇パウルス5世が恩寵と自由意思をめぐるドミニコ会とイエズス会の論争停止を命じる。
1608年
フランスがカナダのケベック植民地を形成する。
1609年
己酉約条。
島津氏による琉球王国侵攻(琉球侵攻)。
池田輝政による改修で現存する姫路城天守閣が完成する。
猪熊事件。
スペインでのイスラム教徒(モリスコ)追放令。
フーゴー・グロティウスの『海洋自由論』が刊行される。
ヘンリー・ハドソンによるマンハッタン島(現ニューヨーク)の発見。
1610年代
詳細は「1610年代」を参照
1610年
フランス国王アンリ4世が暗殺され、息子のルイ13世が即位。
ガリレオ・ガリレイ『星界の報告』出版。
1611年
後陽成天皇が譲位し、第108代後水尾天皇が即位。
神聖ローマ皇帝ルドルフ2世が退位させられ、弟のマティアスが即位する。
スウェーデン王グスタフ・アドルフ(獅子王)が17歳で即位。
イングランドで『欽定訳聖書』(ジェームズ王訳)が出される。
1612年
ミーニンとポジャールスキー公の指揮するロシア軍がポーランド軍をモスクワ・クレムリンから追放。
名古屋城落成。
1613年
ロシア皇帝にミハイル・ロマノフが推戴され、ロマノフ朝が成立。
伊達政宗が支倉常長ら慶長遣欧使節を送る。
大久保長安事件。
1614年
大坂冬の陣。
王母マリー・ド・メディシスによるブロワの三部会(以後1789年のフランス革命直前まで開催されず)。
1615年
大坂夏の陣により、徳川家康が豊臣氏を滅ぼす(元和偃武)。
武家諸法度(元和令)により、反逆・殺害者の追放や城郭修理の報告などが定められる。禁中並公家諸法度が定められる。
慶長遣欧使節がスペイン王フェリペ3世や、ローマ教皇パウルス5世と謁見。
明で皇太子常洛の暗殺未遂事件(梃撃の案)。
1616年
ヌルハチが後金(清の前身)を建国し、初代皇帝となる。
徳川家康が死去、久能山に葬られる(翌1617年に日光に改葬される)。家康の六男忠輝が改易される。
オスマン皇帝アフメト1世によりイスタンブールのスルタンアフメト・モスク(ブルー・モスク)が完成する(1609年 – )。
1617年
フランス元帥コンチーノ・コンチーニ暗殺、ルイ13世の母后マリー・ド・メディシスの失脚。
1618年
ベーメンでプラハ窓外投擲事件。この事件をきっかけに三十年戦争が始まる( – 1648年)。
ヴァルテッリーナ戦争( – 1637年)。
ヨーハン・ジギスムントのもとでプロイセン公国とブランデンブルク選帝侯国が同君連合となる。
デウリノの和約でポーランドの領土が最大に広がる。
探検家ウォルター・ローリーの処刑。
ドルトレヒト会議にて改革派教会からアルミニウス主義(レモンストラント派)が排斥される( – 1619年)。
1619年
サルフの戦いで、後金のヌルハチが明に勝利する。
董氏の奴変。
神聖ローマ皇帝フェルディナント2世が即位。ベーメンではフェルディナントに代わりプファルツ選帝侯が王に選ばれる。
オランダ東インド会社がバンテン王国からジャカルタを獲得しバタヴィア要塞を建設。
万里小路事件。
1620年代
詳細は「1620年代」を参照
1620年
ピルグリム・ファーザーズがメイフラワー号でイングランドから北米のニューイングランド地方へ永久移民。
白山の戦い(ビーラー・ホラの戦い)でベーメン王フリードリヒ1世(冬王)が敗北し亡命。
明の泰昌帝が第15代皇帝に即位、在位1か月で死去のため毒殺の疑いがもたれる(紅丸の案)。
天啓帝が第16代皇帝に即位し、泰昌帝の李選侍(西李)が新帝から引き離される(移宮の案)。
徳川秀忠の娘の和子(後の東福門院)が後水尾天皇に入内する。
1621年
オランダ西インド会社が設立される。
エチオピア皇帝スセニョス1世がカトリックに改宗( – 1632年)。
1622年
長崎でキリシタン55名が処刑される(元和の大殉教)。
宇都宮城釣天井事件。
サファヴィー朝のアッバース1世がホルムズ島をポルトガルから奪回する。
オスマン皇帝オスマン2世(ゲンチ)がイェニチェリ軍団に殺害される。
ジェームズタウンの虐殺。
1623年
越前国福井藩主松平忠直が改易される、徳川家光が江戸幕府第3代将軍となる。
オスマン皇帝ムラト4世が即位。母后キョセム・スルタンが摂政として国政を担当
アンボイナ事件。
1624年
リシュリューがフランスの宰相となる。
オランダ東インド会社が台湾にゼーランディア城(安平古堡)を造営する。
1625年
ブレダの開城。
パリのポール・ロワイヤル修道院が創設される。
フーゴー・グローティウスの『戦争と平和の法』が刊行される。
東林書院が閉鎖され、東林党の楊漣や左光斗が処刑される。
イエズス会士アルヴァロ・セメドが西安近郊にて「大秦景教流行中国碑」を実見し報告する。
天海により天台宗関東総本山の東叡山寛永寺が開山。
1626年
蘇州で開読の変。
王恭廠大爆発。
寧遠の戦いで明が後金に勝利。
紅夷大砲で負傷したヌルハチが死去し、ホンタイジが第2代皇帝として即位。
教皇ウルバヌス8世がサン・ピエトロ大聖堂の献堂式を行う。
1627年
丁卯胡乱。
明の天啓帝が死去し、宦官魏忠賢が処刑される。
フランスでラ・ロシェル包囲戦( – 1628年)。フランス宰相リシュリューがヌーベルフランス会社を設立。
マントヴァ継承戦争(イタリア語版、英語版)( – 1632年)。
神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の命により、天文学者ヨハネス・ケプラーが「ルドルフ表」を作成。
春日局の宮中参内に伴う金杯事件。
1628年
イングランド議会が権利の請願を採択。バッキンガム公が暗殺される。
明の崇禎帝が第17代皇帝に即位。
華北陝西での大飢饉から各地で農民反乱(李自成の乱・張献忠の乱に発展)。
1629年
紫衣事件により沢庵宗彭らが流罪にされる。後水尾天皇が譲位し、第109代明正天皇が即位。
イングランド王チャールズ1世が議会を解散し、以後11年間議会は開催されず( – 1640年)。
アチェ国王イスカンダル・ムダのマラッカ遠征がポルトガルに撃退される。
1630年代
詳細は「1630年代」を参照
1630年
マクデブルクの戦い(マクデブルクの惨劇)。
オランダがポルトガル領ブラジルのレシフェを占領( – 1654年)。
明の崇禎帝の命で袁崇煥が処刑され、内閣大学士の銭龍錫が失脚する。
山田長政が暗殺され、アユタヤ日本人町が焼き払われる。
フランスで「欺かれし者の日(英語版)」事件。
1631年
フランス母后マリー・ド・メディシスが再失脚。
ベールヴァルデ条約が結ばれ、フランスとスウェーデンの軍事同盟成立。
ブライテンフェルトの戦いで、スウェーデン国王グスタフ2世アドルフが皇帝軍に大勝。
1632年
リュッツェンの戦いで、スウェーデン国王グスタフ2世アドルフが戦死。
カンボジアに到達した森本右近太夫一房がアンコール・ワット回廊に墨書を書き残す。
黒田騒動。
1633年
ガリレオ・ガリレイがローマ教皇庁から有罪の判決を受け終身刑を言い渡される。
ハイルブロン同盟結成。
料羅湾海戦で、ハンス・プットマンス率いるオランダ東インド会社海軍が鄭芝龍率いる明海軍に勝利。
長崎のキリスト教徒弾圧で、中浦ジュリアンが殉教、クリストヴァン・フェレイラ(沢野忠庵)が棄教する。
対馬藩国書改竄問題が起こる(柳川一件)。
1634年
長崎に出島造成。
将軍家光の弟である駿河大納言徳川忠長が切腹を命じられる。
鍵屋の辻の決闘(伊賀越えの仇討ち)。
神聖ローマ帝国軍総司令官アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインが暗殺される。
ネルトリンゲンの戦いで皇帝軍がスウェーデン軍らハイルブロン同盟に勝利。
フランスの「ルーダンの悪魔憑き事件(英語版)」で司祭ユルバン・グランディエが処刑される。
1635年
アカデミー・フランセーズ創設。
モンゴル帝国(チャハル部)のエジェイが後金に降伏。元朝伝来の玉璽が後金にわたる。
武家諸法度改正(寛永令)により、参勤交代の制度化と大型船建造が禁止が盛り込まれる。
フランス人デスナンビュック(英語版)がセントクリストファー島からマルティニック島に上陸しこの地をフランス領とする。
1636年
ホンタイジが国号を後金から大清に、女真を満洲に改める。
丙子の乱で清が朝鮮に攻撃。
寛永通宝が鋳造される。明銭に替わる本格的な通貨鋳造であり、全国的な流通が実現された。
日光東照宮の「寛永の大造替」により陽明門や本殿・拝殿が整備される。
ハーバード大学がアメリカ最古の大学として創立される。
1637年
島原の乱( – 1638年)。
朝鮮が降伏し、清と三田渡の盟約を締結。明に代わり清の皇帝を認める(大清皇帝功徳碑)。
オランダでチューリップ・バブル事件。
ルネ・デカルト『方法序説』刊行。
1638年
清が理藩院を設置。
ライン川沿いのブライザッハ(英語版)要塞がフランス軍に占領され「スペイン街道」が寸断される。
1639年
フランス人イエズス会士たちがカナダの宣教拠点「ヒューロン族の国における聖母マリア(サント・マリ・オ・ペ・デ・ユーロン)」を設置。
スコットランドで主教戦争が起こり、「三王国戦争(広義の清教徒革命)」に拡大する。
日本へのポルトガル船の寄港を禁止する。
1640年代
詳細は「1640年代」を参照
1640年
ポルトガル独立戦争(喝采戦争 – 1668年)で、ジョアン4世が即位しブラガンサ朝が成立する。
カタルーニャで収穫人戦争( – 1659年)。
イングランドで短期議会、長期議会。
寛永の大飢饉( – 1643年)。
1641年
イングランドで議会の大諫奏。星室庁と高等宗務官裁判所が廃止される。
オランダ商館を平戸から長崎出島に移す。
1642年
清教徒革命( – 1660年)。三次にわたるイングランド内戦( – 1651年)が始まり第一次イングランド内戦が勃発( – 1646年)。
グーシ・ハーンがチベットを再統一し、ダライ・ラマ5世との協力関係を樹立。
フランスでサン・マール侯爵の陰謀事件。フランス宰相リシュリュー死去。
1643年
明正天皇が譲位し、第110代後光明天皇が即位。
イエズス会宣教師ジュゼッペ・キアラらが筑前国に上陸するも幕府に捕縛される。
清のホンタイジが死去、フリン(順治帝)が第3代皇帝として即位。
クーバット・イワノフがロシア人として初めてバイカル湖に到達。
フランス国王ルイ13世死去。ルイ14世が即位し、母后アンヌ・ドートリッシュが摂政、ジュール・マザランが宰相となる。
1644年
明清交替。
李自成が北京を陥落させる。崇禎帝が自殺し明朝滅亡。
山海関の守将呉三桂が清軍に降伏し、清軍が入関する。
一片石の戦いで李自成を退去させ、清の摂政王ドルゴンと続いて順治帝が北京に入城。
李自成軍が西安に逃亡。清が漢民族に対する薙髪令(英語版)を出す。
越前国の廻船船員竹内藤右衛門・国田兵右衛門らが満州(韃靼)に漂着、清朝支配の北京に連行される(『韃靼漂流記』)。
マーストン・ムーアの戦い。
1645年
ネイズビーの戦い。
オスマン帝国とヴェネツィア共和国とのクレタ戦争( – 1669年)。
ダライラマ5世がラサのポタラ宮殿建設に着手( – 1695年)。
明の弘光帝の南京政権が崩壊、揚州大虐殺。湖北省通城県九宮山で李自成が殺害される。
1646年
ポルトガル国王ジョアン4世が植民地ブラジルをブラジル公国に昇格させる。
ヴィジャナガル王国の都ヴェールールがビジャープル王国に包囲され陥落。
明の隆武帝の福州政権が崩壊。張献忠が四川省塩亭県鳳凰山でホーゲの清軍に射殺される。
1647年
ナポリでマサニエッロの反乱。
明の紹武帝の広州政権が崩壊。
1648年
ムガル帝国でタージ・マハル竣工(1632年 – )。
「狂人皇帝」と呼ばれたオスマン皇帝イブラヒムが廃位され殺害される。息子のメフメト4世が即位。
ロシア人探検家セミョン・デジニョフがユーラシア大陸最東端のチュクチ半島デジニョフ岬に到達。
フメリニツキーの乱によりポーランド・リトアニアからウクライナ・コサックが離脱。
プラハの戦い(1648年)(英語版)とスウェーデン軍のプラハ略奪。
ヴェストファーレン条約により三十年戦争終結(ヴェストファーレン体制)。
オランダとスイスの独立が承認される。スウェーデン・プロイセン・フランスの領土拡大。
フランスでフロンドの乱( – 1653年)。
第二次イングランド内戦。
プライドのパージ。長期議会の議員が軍により大勢追放、残った議員でランプ議会を形成。
1649年
チャールズ1世処刑。イングランド共和国誕生( – 1660年)。
第三次イングランド内戦( – 1651年)。
オリバー・クロムウェル、アイルランドへ上陸し征服活動開始(クロムウェルのアイルランド侵略)。
明の遺臣黄宗羲が江戸幕府に反清の援軍要請(日本乞師)のため長崎を訪れる。

1650年
ダンバーの戦いで、クロムウェル率いるイングランド軍がデイヴィッド・レズリー率いるスコットランド軍に勝利。
ヤアーリバ朝がポルトガルからマスカットを奪回しオマーン全土を回復。
インド洋全域を商業圏とし東アフリカ海岸部を勢力下に置く(オマーン海洋帝国、1696年〜)。
広州で庚寅の劫。摂政王ドルゴン死去。
琉球王尚質の命により羽地朝秀が『中山世鑑』を編纂、琉球王国初の正史となる。
1651年
徳川家光死去、徳川家綱が江戸幕府第4代将軍となる。
刈谷藩主松平定政の所領返上の申し出と改易。慶安の変による由井正雪一派の処刑。
末期養子の禁が緩和される。
順治帝の命により摂政王ドルゴンの爵位が剝脱され、同母弟アジゲらが粛清される。
イングランドが航海条例を制定。ウスターの戦いでイングランド軍がチャールズ1世の息子チャールズ2世を撃退。
トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』が刊行される。
ローマのナヴォーナ広場と付随する「四大河の噴水」が完成する。
オスマン皇帝メフメト4世の祖母キョセム・スルタンが、皇帝の母トゥルハン・ハティジェに倒される。
1652年
第一次英蘭戦争( – 1654年)。
承応の変。
北京で清の順治帝がダライ・ラマ5世と会見する。
1653年
クロムウェルがランプ議会(長期議会)を解散し、ベアボーンズ議会を招集する。
「統治章典」が制定され、クロムウェルが護国卿に就任。
モスクワ総主教ニーコンの教会改革が始まる。
オランダ人ヘンドリック・ハメルらが済州島に漂着。以後13年間李氏朝鮮に幽閉される(『朝鮮幽囚記』)。
1654年
後光明天皇が死去し、第111代後西天皇が即位。
中国人僧隠元隆琦が日本に来訪する。
オランダのデルフトで火薬庫大爆発。
1655年
北東欧の覇権をめぐる北方戦争が起こる( – 1661年)。
スウェーデン軍のワルシャワ占領により、ポーランドの「大洪水時代」始まる( – 1660年)。
前スウェーデン女王クリスティーナがカトリックに改宗。
イギリス海軍がスペイン領ジャマイカを占領。
ピエモンテ渓谷のワルドー派虐殺(英語版)。
後水尾院の命で比叡山麓に修学院離宮が造営される。
1656年
キョプリュリュ・メフメト・パシャがオスマン帝国大宰相に就任し改革を断行(キョプリュリュ時代の始まり)。
フランスで一般施療院令が出され、男性用のビセートル病院と女性用のサルペトリエール病院が創設される。
バルーフ・デ・スピノザがアムステルダムのユダヤ人共同体からヘーレム(破門)を受ける。
1657年
明暦の大火。
水戸藩主徳川光圀の命により『大日本史』の編纂が始まる( – 1906年)。
「統治章典」が廃止され「謙虚な請願と勧告」が制定。
オリヴァー・クロムウェルがイングランドからのユダヤ人追放令(1290年 – )を解除。
1658年
ムガル皇帝シャー・ジャハーンが幽閉され、帝位継承争いに勝利したアウラングゼーブが即位。
フランソワ・パリュとピエール・ランベール・ド・ラ・モットによりパリ外国宣教会が組織される。
ポルトガル領セイロンをオランダが占領(オランダ領セイロン)。
スウェーデン軍が「氷上侵攻」でデンマーク首都コペンハーゲンを包囲し、ロスキレ条約を締結。
護国卿オリヴァ-・クロムウェルが死去、息子のリチャード・クロムウェルが護国卿となる。
1659年
ピレネー条約の締結でスペインの没落が決定的となる。
フランスがセネガルに植民地サン・ルイを建設。
中国人儒学者朱舜水が日本に来訪する。

1660年
ブレダ宣言からイングランドで王政復古がなされ、国王チャールズ2世が即位。
チャールズ2世のもとイングランド王立協会(ロイヤル・ソサエティ)が設立される。
フランス王ルイ14世とスペイン王女マリー・テレーズの結婚。
1661年
清の康熙帝が第4代皇帝に即位。遷界令を出す。
ビルマに逃れた南明の永暦帝が捕縛され処刑される。
隠元隆琦が宇治の黄檗山萬福寺を開山。
イエズス会士ヨハン・グリューバーらが北京からヨーロッパ人として初めてチベットの都ラサに到達。
フランス宰相マザラン死去、国王ルイ14世の親政始まる。
大蔵卿ニコラ・フーケが失脚する。
王立舞踏アカデミー(英語版)が設置される(パリ・オペラ座バレエ団の始まり)。
1662年
幕府の命により林鵞峰らによる『本朝通鑑』の編纂が始まる。
ゼーランディア城包囲戦に勝利した鄭成功がオランダ人を駆逐し台湾を占領。
イングランド王チャールズ2世とポルトガル王女キャサリンの結婚。
この結婚でインドのボンベイ・北アフリカのタンジールがイングランド領になる。
1663年
後西天皇が譲位し、第112代霊元天皇が即位。
武家諸法度改正(寛文令)により、キリスト教禁教が明文化される。
レーゲンスブルクが神聖ローマ帝国の「永続的帝国議会」開催地となる( – 1806年)。
1664年
コルベールによりフランス東インド会社が再建される。
楊光先の批判によりイエズス会士アダム・シャールが投獄される(康熙の暦獄)。
1665年
第二次英蘭戦争( – 1667年)。
ポルトガルがコンゴ王国に侵攻しアンブイラの戦いで勝利。
アイザック・ニュートンが万有引力を発見(古典力学の創始)。
諸宗寺院法度と諸社禰宜神主法度が出される。水戸藩主徳川光圀が明の遺臣朱舜水を招聘する。
1666年
イングランドでロンドン大火・ペスト流行・ノースフォアランド沖の海戦(第二次英蘭戦争)。
この年は事件が続発したのでイングランドでは「驚異の年(アヌス・ミラビリス)」と呼ばれる。
フランスで地中海と大西洋をつなぐミディ運河が着工される。
マラータの指導者でプランダル城主シヴァージーがアーグラにてムガル皇帝アウラングゼーブと会見するが決裂に至る。
オスマン帝国内のユダヤ教救世主を名乗っていたシャブタイ・ツヴィがイスラム教に改宗する。
儒学者であり軍学者である山鹿素行が播磨国赤穂藩へ流罪となる。
1667年
ネーデルラント継承戦争( – 1668年)。
オランダがゴワ王国に勝利し、スラウェシ島のマカッサルを征服。
ブレダの和約でオランダからイングランドは北米のニューネーデルラントを獲得。
ジョン・ミルトンの『失楽園』が刊行される。
アンドルソヴォ条約で、ウクライナのコサック国家はドニエプル川を軸に分割され、ロシアはキエフと左岸ウクライナを獲得。
1668年
世界最古の中央銀行であるスウェーデン国立銀行が設立される。
ソロヴェツキー修道院における反乱( – 1676年)。
1669年
シャクシャインの戦い。
清でオボイが失脚し、康熙帝の親政が始まる。
ステンカ・ラージン率いるコサック軍がカスピ海沿岸のサファヴィー朝支配地を略奪。

1670年
フランス王ルイ14世とイングランド王チャールズ2世のドーヴァー密約。
ロシアでスチェパン・ラージンの反乱( – 1671年)。
1671年
イギリス人ヘンリー・モーガン率いる海賊が旧パナマ市を壊滅させる。
河村瑞賢が東廻海運・西廻海運を開発する。
寛文事件(伊達騒動)。
1672年
第三次英蘭戦争( – 1674年)。オランダ侵略戦争( – 1678年)。
オランダの政治指導者デ・ウィット兄弟が民衆に虐殺される。
オスマン帝国がウクライナのポドリア(ポジーリャ)を占領。この時期にオスマン帝国の領土は最大となる。
エルサレム公会議で、東方正教会がプロテスタントの教理を否定。
浄瑠璃坂の仇討。
1673年
清で三藩の乱が起こる( – 1681年)。
備後国芦田川の洪水で草戸千軒が埋没する。三井高利が江戸に越後屋呉服店を開業。岩国藩主吉川広嘉の命により錦帯橋が建設される。
ムガル皇帝アウラングゼーブによりラホールに世界最大級のバードシャーヒー・モスクが完成する(1671年 – )。
フランス東インド会社がインドでの拠点ポンディシェリを獲得。
イングランドで審査法の制定。
1674年
寛永通宝4貫=金一両と定め、古銭の通用を停止する。江戸市中の非人を改める。
シヴァージーがマラーター王国を建国。
1675年
スコーネ戦争( – 1679年)。
ロンドン近郊にグリニッジ天文台が設立される。
1676年
天文学者オーレ・レーマーが初めて光速度を測定。
スペインで国王カルロス2世の異母兄フアン・ホセ・デ・アウストリアの政変が起こる。
1677年
美濃郡上藩の農民が江戸に越訴。郡上藩で増徴派と減租派の家中騒動始まる(延宝郡上一揆)。
バールーフ・デ・スピノザの遺稿が『エチカ』として出版される。
1678年
イングランドでカトリック陰謀事件。
ジョン・バニヤン『天路歴程』第一部が刊行される。
エリアス・アシュモール(英語版)のコレクションが「驚異の部屋」として公開される。
これが1683年に世界初の大学図書館であるアシュモリアン博物館に発展する。
スコットランドでカヴェナンターの反乱。以後スコットランドの「殺戮時代」が始まる。
1679年
ムガル皇帝アウラングゼーブが非イスラム教徒に対する人頭税ジズヤを復活させる。
フランスで国王ルイ14世の寵姫ら宮廷を巻き込む「黒ミサ事件」が起こる
イングランドで人身保護法の制定。

1680年
徳川綱吉が江戸幕府第5代将軍となる。大老酒井忠清が解任される。
シヴァージーが死亡し、息子サンバージーがマラーター王となる。
ヌエバ・エスパーニャでプエブロの反乱。
1681年
ムガル皇帝アウラングゼーブがマラーター王国を打倒するため、デカン地方へ自ら遠征。デカン戦争の勃発。
フランス軍のストラスブール占領(ストラスブールの降伏)。
フランスで竜騎兵(ドラゴナード)によるプロテスタントの迫害。
将軍生母桂昌院の発願により江戸に護国寺が創建される。
井原西鶴の『好色一代男』が刊行される。この時代を代表する浮世草子の始まり。
クエーカー教徒のウィリアム・ペンがペンシルベニア植民地を創設する。
1682年
宮殿の完成に伴いフランスの宮廷と政府がヴェルサイユに移動する( – 1789年)。
モー司教ボシュエが「フランス教会の聖職者宣言」でガリカニスムを擁護。
フランス人ロベール=カブリエ・ド・ラ・サールがミシシッピ川からメキシコ湾までの探検を行う。
ラ・サールはルイ14世の名にちなみこの地域をフランス領ルイジアナと名づけ領有を宣言する。
ストレリツィ(銃兵隊)の蜂起によりソフィア・アレクセーエヴナがロシアの摂政となる。
1683年
第二次ウィーン包囲。
武家諸法度改正(天和令)により、殉死の禁止と、末期養子の禁緩和が明文化される。
天和の大火(お七火事)。
清が鄭氏政権を降伏させ、台湾を占領。
1684年
清で遷界令が解かれ展界令が出される。
江戸城内で大老堀田正俊が若年寄稲葉正休に刺殺される。
渋川春海により貞享暦が導入される。
フランス軍のジェノヴァ遠征。
1685年
フランスでナントの勅令廃止(フォンテーヌブロー勅令)。
ブランデンブルクで亡命フランス人プロテスタントを受け入れるポツダム勅令が出される。
イングランド王チャールズ2世の死去、弟のジェームズ2世が即位。モンマス公の反乱が起こる。
アルバジン包囲戦で、清朝とロシアが激突( – 1687年)。
1686年
服忌令を改訂( – 1693年)。
アユタヤ朝タイ王国の大使としてチャオプラヤー・コーサーパーンがフランスに派遣され、ルイ14世に謁見する。
1687年
生類憐れみの令(この後、1708年まで繰り返し出される)が出され、田畑永代売買禁止令も再び出される。
後西天皇が譲位し、第113代東山天皇が即位し、200余年ぶりに大嘗祭が復活する。
アイザック・ニュートンが『プリンキピア』にてニュートン力学を発表。
シャルル・ペローの頌詩「ルイ大王の世紀」をきっかけに「新旧論争」が始まる。
教皇インノケンティウス11世が教令「チェレスティス・パストル」によりキエティスムを断罪。
オスマン帝国との戦争中にヴェネツィア軍がアテネのパルテノン神殿を大破させる。
イエズス会士フィリップ・クプレらにより『論語』他の中国古典のラテン語訳がパリで出版される
1688年
イングランド国王ジェームズ2世が逃亡、オラニエ公ウィレムが招かれ国王ウィリアム3世として即位(名誉革命)。
大同盟戦争(ファルツ継承戦争)が起こる( – 1697年)。
1689年
イングランド王ウィリアム3世・メアリ2世が「権利の宣言」に署名。これをもとに「権利章典」が発布される。
清とロシアの国境がネルチンスク条約で定まる。
ロシアの摂政ソフィア・アレクセーエヴナが失脚する。
サンバージーがアウラングゼーブに敗れ、拷問の末に処刑される。弟ラージャーラームがマラーター王となる。
松尾芭蕉が後に紀行文『おくのほそ道』としてまとめられる東北・北陸への旅に出立する。
長崎に唐人屋敷が作られ清人の居住を制限する。

1690年
ジョン・ロックの『統治二論』が刊行される。
1691年
長崎出島オランダ商館勤務のドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルが江戸城にて将軍綱吉に謁見。
上野忍岡の孔子廟が移され湯島聖堂が完成する。
1692年
セイラム魔女裁判。
グレンコーの虐殺。
ハノーファー公エルンスト・アウグストが選帝侯となる(ハノーファー選帝侯)。
教皇インノケンティウス12世が教皇勅書「ロマーヌム・デチェット・ポンティフィチェム」でネポティズム禁止を規定。
1693年
シチリア島東部大地震。
ポルトガル領ブラジルのミナス・ジェライスで金鉱が発見され、ゴールド・ラッシュが起こる。
1694年
イングランド銀行設立。
ブランデンブルク選帝侯によりハレ大学が創建される。
1695年
北京紫禁城太和殿が再建される。
1696年
イヴァン5世の死によりピョートル1世が単独のロシア皇帝となる。
ロシアのピョートル1世がオスマン朝からアゾフ海を獲得。
ジョーン・モドの戦いで清の康熙帝がジュンガル部のガルダン・ハーンを敗走させる。
イングランド王ウィリアム3世暗殺未遂事件。
イギリス東インド会社がウィリアム要塞(現コルカタ)を設置。
エドワーズ・ロイドが海運貿易情報の『ロイズ・ニュース』を発行。保険引受業者が集結し損害保険のロイズが成立する。
1697年
ピョートル1世によるヨーロッパに向けてのロシア大使節団(英語版)が派遣される( – 1698年)。
ザクセン選帝侯アウグスト2世がポーランド王に選出される。
1698年
ロンドン株式取引所が設立される。
ロシアでストレリツィ(銃兵隊)が蜂起するが、ピョートル1世に鎮圧される。
1699年
長崎奉行を4名に増員する。
カルロヴィッツ条約によりオスマン朝がハンガリーを放棄。

1700年
金銀銭三貨の比価(金一両=銀六十匁=銭四貫文)を定める。
大北方戦争で、スウェーデンとロシアが戦う( – 1721年)。
イングランドでキャラコ輸入禁止法が出される。