15世紀

1401年
足利義満により土御門内裏(土御門東洞院殿)の修繕拡張が始まり、諸国に造内裏段銭を課する。
足利義満が肥富某・僧祖阿らを明に派遣する。足利義満が李氏朝鮮に使いを派遣する。
李氏朝鮮の太宗が中国の明より朝鮮国王として冊封を授かり、王を名乗る事を正式に認められる。
ティムールのダマスカス占領・バグダード占領。
ダマスカスとの和平交渉でティムールと歴史家イブン・ハルドゥーンが会見。
フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂青銅扉の作成競技でギベルティが優勝する。
セビリア大聖堂の建設始まる( – 1519年)。
1402年
アンカラの戦いでティムールがオスマン帝国を破る。
明の燕王が建文帝を倒して第3代成祖永楽帝として即位。
足利義満が中国の明より日本国王として冊封を授かり、王を名乗る事を正式に認められる。
スマトラ島のシュリーヴィジャヤ王室のパラメスワラ(英語版)王子がマラッカ王国を建国。
1403年
明の永楽帝が北平を都に定める。
フランス軍に包囲され対立教皇ベネディクトゥス13世がアヴィニョンを退去。
1404年
明の永楽帝が中山王武寧に冊封使を遣わす。
日明貿易(勘合貿易)始まる。
カスティーリャの外交官ルイ・ゴンザレス・デ・クラビホがサマルカンドのティムールを訪問する。
1405年
明への遠征途上のオトラルでティムールが病没。
明の成祖永楽帝が鄭和を南海遠征に派遣( – 1433年)。
1406年
ベトナムの胡朝が崩壊し明へ下る。
紫禁城の建設始まる。
中山王武寧を倒した尚巴志が父の尚思紹を王位に就ける(第一尚氏王統の成立)。
1407年
パリでオルレアン公ルイがブルゴーニュ公ジャン(無畏公)の配下によって暗殺される。
足利義満正室日野康子(後小松天皇准母)が准三宮となり、女院(北山院)となる。
朝鮮で太宗の仏教弾圧。
1408年
「永楽大典」が成立する。
足利義満死去。朝廷から「太上天皇」の尊号を贈られるが、幕府はこれを辞退。
1409年
ピサ教会会議。
1410年代
詳細は「1410年代」を参照
1410年
グルンヴァルド(タンネンベルク)の戦い、ポーランド王国がドイツ騎士団を破る。
鄭和の艦隊とセイロンのライガマ王国軍が交戦、鄭和は国王アラカイスワラらを捕虜とする。
周文の「芭蕉夜雨図(東京国立博物館蔵)」が描かれる。
1411年
将軍足利義持が明使の入京拒否し国交断絶( – 1432年)。
グジャラート・スルターン朝のアフマド・シャー1世がアフマダーバードを都に定める。
1412年
後小松天皇が譲位し、第101代称光天皇が即位。
ローマ派の教皇グレゴリウス12世がリミニに逃亡。
カスペの妥協。
1413年
アムール川河口の奴児干(ヌルガン)に派遣された明の女真人宦官亦失哈(イシハ)が石碑「奴児干永寧寺碑記」を建てる。
パリでカボシュの反乱。
1414年
コンスタンツ公会議始まる( – 1418年)。
イングランドでオールドカースルの乱。
マラッカ王国でイスカンダル・シャーが即位。この時期までにマラッカ王国はイスラム教に改宗する。
1415年
アジャンクールの戦い。
ポルトガルのセウタ攻略。
宗教改革者ヤン・フスの火刑。
ホーエンツォレルン家のフリードリヒ1世が世襲のブランデンブルク選帝侯位を獲得。
1415年以前
如拙の「瓢鮎図(妙心寺塔頭退蔵院蔵)」が描かれる。
1416年
エンリケ航海王子がサグレス一帯に「王子の村」を建設し航海学校を開設。
サヴォイア公国が成立。
上杉禅秀の乱。
1417年
イングランドでロラード派のジョン・オールドカースルが処刑される。
コンスタンツ公会議で「フレクエンス(ドイツ語版)」が採択され、新教皇にマルティヌス5世を選出。
ポッジョ・ブラッチョリーニがドイツのフルダ修道院にて古代ローマの著作家ルクレティウスの『物の本質について』を発見する。
1418年
鄭和の艦隊の分団が東アフリカのマリンディに到達。
将軍足利義持の弟義嗣が謀反の疑いで殺害される。
ブルゴーニュ派のパリ制圧、アルマニャック派は王太子シャルルとともにパリから逃亡。
1419年
応永の外寇。
ポルトガルのマデイラ諸島発見。
モントロー会議で、ブルゴーニュ公ジャンが暗殺される(英語版)。
フィリップがブルゴーニュ公を継ぎ、宮廷はディジョンからブリュッセルに遷される。
第一次プラハ窓外投擲事件によりフス戦争が勃発( – 1439年)。
1420年代
詳細は「1420年代」を参照
1420年
トロワ条約の締結。
イギリス王ヘンリー5世のフランス王位継承権が認められ、フランス王太子シャルルの王位継承権が否定される。
明で宦官による特務警察の東廠が設置される。北京に天壇が設置される。
1421年
明の永楽帝が北平を北京と改名し正式に遷都する。
1422年
雲南地方で麓川の乱。
イングランド王ヘンリー5世と、フランス王シャルル6世が相次いで死去。
イングランド王ヘンリー6世が、イングランド・フランス共通の君主に選出される。
アスカーニエン家が断絶し、ヴェッティン家のフリードリヒ1世がザクセン選帝侯を継承。
ロマの集団がイタリアのボローニャに出現する。
1423年
足利義量が室町幕府第5代将軍となる。
世宗が朝鮮最初の銅銭「朝鮮通宝」の鋳造を開始。
1424年
明の洪熙帝が第4代皇帝に即位。
朝鮮で世宗の仏教弾圧(斥仏揚儒の始まり)。
1425年
明の宣徳帝が第5代皇帝に即位。
将軍足利義量が死去、先代将軍であり父の足利義持が職務を代行。
1426年
明の宣徳帝の叔父漢王朱高煦が反乱を起こすが鎮圧される。
イングランドで棍棒議会。ボーフォート枢機卿がローマに亡命。
1428年
足利義持死去、弟の青蓮院門跡義円が足利義宣と還俗し将軍候補に内定する(籤引き将軍)。
称光天皇が死去し、伏見宮家から第102代後花園天皇が即位。伊勢国司北畠満雅の乱。
正長の土一揆。
ベトナムのドンドー(現ハノイ)にて黎利が黎朝を建国。
1429年
足利義宣が改名し、足利義教として、室町幕府第6代将軍となる。
中山王尚巴志が三山統一して琉球王国が成立する。
ティムール朝君主ウルグ・ベクがサマルカンドに天文台を建設。
ジャンヌ・ダルクがシノン城に出現、オルレアンを解放し、パテーの戦いに勝利。ランス大聖堂にてフランス王シャルル7世の戴冠。
1430年代
詳細は「1430年代」を参照
1430年
コンピエーニュ包囲戦で、ジャンヌ・ダルクが捕虜となる。
ブルゴーニュ公フィリップにより金羊毛騎士団が設立される。
1431年
バーゼル公会議。
アゾレス諸島発見。
ルーアンにてジャンヌ・ダルクが処刑される。
アユタヤ朝によりクメール朝の都アンコールが陥落する。
1432年
ファン・エイク兄弟によるヘントの祭壇画が完成する。
鄭和の艦隊の分団がラスール朝支配のアデンからメッカに到達。
関東管領上杉憲実が足利学校を再興する。
1434年
コジモ・デ・メディチがフィレンツェにおける支配権を確立( – 1494年)。
ポルトガル艦隊がボジャドル岬(ボハドル岬)を通過。
世阿弥が佐渡島に流される。
1435年
スウェーデンのアルボガでエンゲルブレクト・エンゲルブレクトソンが身分制議会を開催。
デンマーク支配に反発し、スウェーデンは一時的にカルマル同盟を脱する。
アラスの和約でフランス王とブルゴーニュ公が和解。
ナポリ女王ジョヴァンナ2世死去により、アンジュー王家とアラゴン王家が王位を争う。
明の英宗正統帝が第6代皇帝に即位。
1436年
フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂が奉献される。
シャルル7世率いるフランス軍がパリをイングランド軍から奪回する。
1437年
フェラーラ公会議。
神聖ローマ皇帝ジギスムントが死去し、ルクセンブルク家が断絶。
ハプスブルク家出身の娘婿アルプレヒト2世がローマ王(ドイツ王)となる。
ポルトガル王ドゥアルテ1世のタンジェ遠征。
フェズのワッタース家のアブー・ザカリヤーに撃退され、王弟フェルナンドが捕虜となる。
1438年
パチャクテクがサパ・インカ(皇帝)として即位し、クスコ王国はインカ帝国に再編される。
1439年
フィレンツェ公会議。
フランス議会がブールジュの国本勅諚(フランス語版)を採択。
グロトニキの戦い(英語版)で、ポーランド軍がフス派を壊滅させ、フス戦争終結。
1440年代
詳細は「1440年代」を参照
1440年
結城合戦。
日蓮宗の僧日親が将軍足利義教に投獄され、本法寺が破却される。
人文主義者ロレンツォ・ヴァッラが『「コンスタンティヌスの寄進状」を論ず』を執筆。
フランスでプラグリーの乱。
1441年
将軍・足利義教が殺害され、嘉吉の乱が勃発。
嘉吉の徳政一揆。
ポルトガル艦隊がブランコ岬(モーリタニア)(ポルトガル語版)に到達。
1442年
足利義勝が室町幕府第7代将軍となる。
アラゴン王アルフォンソ5世がナポリ王位を獲得し以後定住する。
ビスカヤ地方のドゥランゴでフランシスコ会士アロンソ・デ・メリャらによる異端運動が発生(ドゥランゴの異端(スペイン語版) – 1444年)。
1443年
禁闕の変。
1444年
ヴァルナの戦い。
ポルトガル艦隊がセネガル川とヴェルデ岬に到達。
1446年
朝鮮の世宗のもとで「訓民正音」が公布される。
1448年
鄧茂七の乱。
教皇ニコラウス5世によりヴァティカン図書館が創設される。
東西教会合同に反対したロシア教会会議がモスクワ府主教にイオナを選出。
ロシア正教会がコンスタンティノポリス教会から事実上の独立を果たす。
ブランデンブルク選帝侯がブランデンブルクからベルリンに居城を遷す。
1449年
明で土木の変。
皇帝英宗正統帝がオイラトのエセン・ハーンの捕虜となる。
景泰帝が第7代皇帝に即位。于謙らが北京防衛戦(中国語版)でエセンを撃退。
ティムール朝の君主ウルグ・ベクが暗殺される。
足利義政が室町幕府第8代将軍となる。足利成氏が鎌倉公方となる(1447年説あり)。
1450年代
詳細は「1450年代」を参照
1450年頃
コイルばねが発明される。この部品のおかげで後に懐中時計が発明された。[2]
1450年
フランチェスコ・スフォルツァがミラノ公となる。
フォルミニーの戦いで、フランス軍がイングランド軍を破り、ノルマンディー地方を奪回。
1451年
この年までに鄭和の南海遠征を記録した馬歓の『瀛涯勝覧』がまとめられる。
グラスゴー大学の創設。
1452年
ローマで神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の戴冠式と結婚式(ローマで行われた神聖ローマ皇帝の最後の戴冠式)。
1453年
オスマン帝国によるコンスタンティノポリスの陥落。
皇帝コンスタンティノス11世の戦死により、パレオロゴス朝東ローマ帝国滅亡。
オスマン帝国君主メフメト2世がエディルネからコンスタンティノポリスへ遷都。
ハギア・ソフィア聖堂がモスクに転用される。
カスティヨンの戦いでイングランド軍が敗北。
ボルドーがフランス軍に帰順し、フランスの勝利で英仏百年戦争が終結。
イングランドの大陸領土はカレーに限定される。イングランド国王ヘンリ6世が発狂する。
エセン・ハーンがモンゴルのハーンとして即位するが、反発が強く翌1454年に殺害される。
1454年
享徳の土一揆が徳政を要求する。
ローディの和で、イタリアの五大国による和平協定が結ばれる。
ブルゴーニュ公フィリップがリールにて「雉の誓いの祝宴」を行う。
1455年
イングランドで、ヨーク家とランカスター家による王位争い(薔薇戦争)始まる。
ヨハネス・グーテンベルクが活版印刷で聖書を印刷(グーテンベルク聖書)。
鎌倉公方足利成氏に関東管領上杉憲忠が謀殺され、享徳の乱が起こる( – 1483年)。
上杉派により追われた足利成氏が鎌倉から古河に本拠を移す(古河公方)。
畿内に先行して関東における戦国時代が始まる。
1456年
復権裁判法廷により処刑されたジャンヌ・ダルクの無罪が宣告される。
1457年
明で奪門の変。
景泰帝が廃され、英宗天順帝が第8代皇帝に重祚。于謙が処刑される。
後南朝皇胤の自天王・忠義王が殺害され赤松氏遺臣により神璽が奪回される(長禄の変)。
太田道灌が江戸城を築く。
コシャマインの戦い。
ドイツ騎士団領の都がマリーエンブルクからケーニヒスベルクへと遷される。
1458年
将軍足利義政の異母兄足利政知が伊豆堀越に居を構える(堀越公方)。
1459年
マントヴァ教会会議 (1459年)(英語版)で教皇ピウス2世がオスマン帝国に対する十字軍を呼びかける。
1460年代
詳細は「1460年代」を参照
1460年
ポルトガル艦隊がシエラレオネに到達。
1461年
曹欽の乱が鎮圧され、曹吉祥が自殺する。
オスマン朝がトレビゾンド帝国を滅ぼす。
寛正の大飢饉。
マーチ伯エドワードがイングランド王に選出され(エドワード4世)、ヘンリー6世が廃位される。
1462年
カスティーリャがジブラルタルを占領。
1463年
琉球国王尚徳がマラッカ王国に貿易船を派遣。
1464年
後花園天皇が譲位し、第103代後土御門天皇が即位。
明の成化帝が第9代皇帝に即位。
1465年
イスタンブルのトプカプ宮殿が建設される。
足利義政が「蘭奢待」を切り取る。
1466年
文正の政変。
1467年
応仁の乱( – 1477年)。室町幕府が衰退し、戦国時代へ。
1468年
雪舟が遣明船で明へ渡航する( – 1469年)。
ブルゴーニュのシャルル突進公によるリエージュの占領と破壊。
1469年
琉球で政変が起こり金丸が国王尚円となる(第二尚氏王統の成立)。
ティムール朝がサマルカンド政権とヘラート政権に分裂する。
カスティーリャ王女イサベルとアラゴン王子フェルナンドの結婚。
1470年代
詳細は「1470年代」を参照
1470年
ウォリック伯とクラレンス公によりヘンリー6世がイングランド王に復位。
しかし1年ももたずに政権は崩壊し、翌1471年にヘンリー6世は殺害される。
1471年
応仁の乱で後南朝皇胤の西陣南帝が西軍に擁立され入洛。
黎聖宗がチャンパ王国のヴィジャヤ王朝(英語版)を滅ぼし領土を併合する。
チャンパ王国の王子シャー・パウ・リン(後のアリ・ムハヤット・シャー)が亡命しスマトラ島にアチェ王国を建国。
1472年
モスクワ大公イヴァン3世が東ローマ帝国の皇女ソフィヤと結婚。
東ローマ帝国を継ぐ「モスクワ・第三のローマ説」の起源となる。
ワッタース朝フェズ王国が成立する。
1473年
山名宗全と細川勝元が相次いで死去。足利義尚が室町幕府第9代将軍となる。
1474年
越前一向一揆。
ポルトガル王アフォンソ5世が北アフリカのタンジェとアシラーを征服。
1475年
オスマン帝国がクリム・ハン国を従属させ、クリミア半島のジェノヴァ系植民地を編入する。
1476年
太田道灌が江戸貝塚青松寺を開創。
北小路室町の足利将軍邸「花の御所」が全焼する。
1477年
ナンシーの戦いでブルゴーニュ公シャルル(突進公)がロレーヌ公ルネ2世に敗北し戦死。
ブルゴーニュ公国のうちネーデルラントは娘のマリー女公とその夫君であるマクシミリアン1世(のちの神聖ローマ皇帝)が継承。
マムルーク朝君主アシュラフ・カーイトバーイによりアレクサンドリアにカーイト・ベイの要塞が建設される。
明で宦官による特務警察の西廠が設置される。
大内政弘が京から撤収して西軍が解体され、応仁の乱が終わる。
1478年
パッツィ家の陰謀事件。
スペイン異端審問の始まり。
モスクワ大公イヴァン3世がノヴゴロド公国を併合。
1479年
スペイン王国成立。
アルカソヴァス条約(英語版)。
モスクワのウスペンスキー大聖堂(生神女就寝大聖堂)が完成する。
オロモウツの和約でハプスブルク家はオーストリアの支配権を失う( – 1490年)。
アステカ皇帝アシャヤカトルが「太陽の石」をテノチティトラン(現メキシコシティ)に奉献する。
1480年代
詳細は「1480年代」を参照
1480年
ウグラ河畔の対峙により、モスクワ大公国のイヴァン3世がジョチ・ウルスから自立(ロシア帝国のおこり)。
フィレンツェがナポリと平和協定を締結し、ローマ教皇の反メディチ包囲網は崩壊。
オスマン帝国軍がイタリア半島東南端オトラントを占領(オトラントの戦い)。
越中一向一揆。
1481年
プロヴァンス伯領をフランス王ルイ11世が相続する。
1482年
足利義政が東山山荘(その一部が現在の慈照寺銀閣)の造営を始める。
1483年
イングランド王エドワード4世が急死。
息子のエドワード5世が即位するも、叔父グロスター公により退位させられる。
グロスター公がリチャード3世として即位する。
スペイン人がカナリア諸島のグラン・カナリア島を征服し、先住民グアンチェ族を支配下に置く。
1484年
バニョーロの和議。
教皇インノケンティウス8世の回勅「スンミス・デジデランテス(英語版)」 が出される。
1485年
ボズワースの戦いでヘンリー・テューダーがリチャード3世を倒す。
ヘンリー・テューダーがイングランド王ヘンリー7世として即位。テューダー朝始まる。
ハンガリー王マーチャーシュのウィーン占領( – 1490年)。
山城国一揆。
1486年
ドミニコ会士ハインリヒ・クラーマーの『魔女に与える鉄槌(Malleus Maleficarum)』が出版される。
1487年
明の弘治帝が第10代皇帝に即位。
六角征伐の鈎の陣( – 1489年)。山内・扇谷両上杉家をめぐる長享の乱が起こる。
トマス・デ・トルケマダがスペイン異端審問所長官となる。
1488年
ポルトガル人バルトロメウ・ディアスが喜望峰に到達する。
加賀一向一揆。
1489年
メジナデルカンポ条約。
キプロス女王カタリーナ・コルナーロが退位し、支配権をヴェネツィアに譲渡する。
1490年代
詳細は「1490年代」を参照
1490年
足利義材が室町幕府第10代将軍となる。
ハンガリー王マーチャーシュ1世急死、ハプスブルク家のフリードリヒ3世がウィーンを奪還。
1491年
コンゴ王ンジンガ・ンクウがポルトガルの宣教師から洗礼を受け、洗礼名ジョアン1世を名乗る。
フランス国王シャルル8世がアンヌ・ド・ブルターニュと結婚。
ドイツのマインツでヤコブ・メイデンバッハが自然史百科事典『ホルトゥス・サニタティス(英語版)(健康の庭)』を出版する。
1492年
スペインがナスル朝を滅ぼし、レコンキスタが完了。
クリストファー・コロンブスが大西洋を横断し、カリブ海の島々に到達(いわゆる新大陸の発見)。
スペインからのユダヤ教徒追放令(アルハンブラ勅令)。
ロレンツォ・デ・メディチ死去、息子のピエロ・デ・メディチが後継者となる。
スコットランドでパースからエディンバラに都が遷され、この地に議会が創設される。
1493年
明応の政変により足利義材が将軍職から追放される(日本の戦国時代の幕開けとされる)。
教皇アレクサンデル6世の回勅「インテル・カエテラ」により教皇子午線(植民地分界線)が決定される。
サンリスの和約により、ブルゴーニュ公遺領の正式分割が決定。
インカ皇帝トゥパック・インカ・ユパンキが死去し、ワイナ・カパックが即位。
この時期までにペルー北部のチムー王国(中心はチャン・チャン遺跡)を滅ぼし、インカ帝国は最盛期を迎える。
1494年
スペインとポルトガルがトルデシリャス条約を締結。
フランス王シャルル8世のイタリア遠征(イタリア戦争の始まり)。
その途上、フィレンツェでメディチ家が追放される。フィレンツェでサヴォナローラの神権政治が成立。
フランス軍の侵攻を受けたナポリでヨーロッパ最初の梅毒の大流行が起こる( – 1495年)。
足利義澄が室町幕府第11代将軍となる。
1495年
神聖ローマ帝国のヴォルムス帝国議会。
皇帝マクシミリアン1世による「帝国改造」として「永久ラント平和令」が布告され、帝国最高法院が設置される。
北条早雲(伊勢盛時)が足利茶々丸を追放し堀越公方を滅ぼす。
1496年
ローマ教皇アレクサンデル6世により、スペイン国王夫妻フェルナンドとイサベルが「カトリック両王」の称号を授けられる。
1497年
モスクワ大公イヴァン3世が「1497年法典(スヂェブニク)」を制定する。
農民(農奴)の移動は「聖ユーリーの日」の前後それぞれ一週間のみが許される。
ジョン・カボットがニューファンドランドやラブラドル半島を発見。
1498年
コロンブスが南アメリカ大陸を発見しベネズエラに上陸。
ヴァスコ・ダ・ガマがインド洋を経てカリカット(コーリコード)に到着。
フィレンツェでサヴォナローラが処刑される。
明応地震で、かつて淡水湖であった浜名湖が津波により太平洋とつながる。
1499年
シュヴァーベン戦争での勝利によりスイスは神聖ローマ帝国からの事実上の独立を勝ち取る。

1500年
ペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルに到着。
神聖ローマ帝国のアウクスブルク帝国議会。
帝国統治院がニュルンベルクに設置され、帝国等族が参与する「帝国クライス」の制度が導入される。
シャイバーニー朝によりティムール朝サマルカンド政権が崩壊。
後土御門天皇が没し、第104代後柏原天皇が即位。
1500年頃
応仁の乱で途絶えていた祇園祭が京都の町衆により再興される。