19世紀 アレクサンドル1世〜ニコライ2世

アレクサンドル1世(1801~25)
1815神聖同盟 
ロシアが提唱したウィーン体制を補完する君主国の同盟。
ウィーン体制を補完するヨーロッパの君主国の同盟
オーストリア皇帝フランツ、プロイセン王フリードリヒ=ウィルヘルムが署名
メッテルニヒがウィーン体制維持のために利用
初めはこのロシア、オーストリア、プロイセンの三国
執行機関はロシア、プロイセン、オランダ、オーストリアのちにフランス
その後、ヨーロッパの君主国が次々と加盟
ウィーン体制の反動性の象徴
イギリス国王、ローマ教皇、オスマン帝国のスルタンは加盟しなかった。

1821 ギリシャ独立戦争
→オスマン帝国から独立を目指すギリシャを支援
→ナヴァルノの海戦でトルコエジプト艦隊を破る
1829 アドリアノープル条約

1826 デカブリストの反乱
ナポレオン軍を追走し西欧の進んだ状況を聞いた青年将校が立憲君主制あるいは共和制をを掲げた青年将校の反乱がおきる
プーシキン ロマン主義
専制と農奴制を批判する作品を書き追放される

ナポレオンの侵入を撃退
「ヨーロッパの憲兵」
ウィーン体制時代には保守勢力の中心として、ヨーロッパの民族運動、自由主義運動を弾圧