前4世紀

紀元前400年頃
メキシコのポポカテペトル山噴火。
日本の弥生時代中期が始まる(2003年に公表された国立歴史民俗博物館グループの研究による)。
紀元前390年代
詳細は「紀元前390年代」を参照
紀元前399年 – アテナイでソクラテスに死刑判決が出され処刑される。
紀元前396年 – エトルリア人の町ウェイイが共和政ローマのマルクス・フリウス・カミルスにより陥落。
紀元前396年頃 – ケルト系インスブレス族によりメディオラヌム(ミラノ)が建設される。
紀元前395年 – コリントス戦争勃発。
紀元前380年代
詳細は「紀元前380年代」を参照
紀元前387年
アッリアの戦いに勝利したケルト系セノネス人がその王ブレンヌスに率いられローマ市を蹂躙。
大王の和約(アンタルキダスの和約)によりコリントス戦争終結。
プラトンがアカデメイア学園を創設。
紀元前386年 – 太公望の子孫が公位を継承してきた斉(姜斉)に代わり、田和が新たに田斉を建て、周の安王により諸侯と認められた。
紀元前381年 – 楚の悼王が死去し、庇護者を失った呉起は殺害される。
紀元前380年 – ネクタネボ1世がエジプト第30王朝を建てる。
ネクタネボ1世はフィラエ神殿・デンデラ神殿ほか記念建造物の造営を盛んに行う。
紀元前370年代
詳細は「紀元前370年代」を参照
紀元前378年 – 最後の君主静公が退位を迫られ、晋が滅亡する。
紀元前375年 – 韓が鄭を滅ぼす。
紀元前374年頃 – 秦の献公の巡狩を記念して石鼓文が刻まれる(現存する中国の石刻文字資料としては最古のもの)。
紀元前371年 – レウクトラの戦いでテーバイがスパルタに勝利しギリシアの覇権を握る。
紀元前370年 – テーバイ軍がペロポネソス半島に侵攻し、スパルタ支配下にあったメッセニア人を解放。
紀元前360年代
詳細は「紀元前360年代」を参照
紀元前367年 – 共和政ローマでリキニウス・セクスティウス法成立。
紀元前364年 – キュノスケファライの戦いでテーバイ軍がテッサリア軍に勝利するも、テーバイの指導者ペロピダスが戦死。
紀元前362年 – マンティネイアの戦いでアテネ・スパルタ連合軍がテーバイに勝利、テーバイの指導者エパメイノンダスが戦死。
紀元前360年頃 – 小アジアのリュキア地方クサントスで「パヤヴァの墓(英語版)」(大英博物館蔵)が作られる。
紀元前350年代
詳細は「紀元前350年代」を参照
紀元前359年 – ピリッポス2世がマケドニア王に即位。
紀元前357年
ピリッポス2世がアンフィポリスを占領し、パンガイオン金山を含むトラキア地方を制圧。
ディオンがシュラクサイ僭主ディオニュシオス2世に対する反乱を起こす。
紀元前356年
ヘロストラトスがエフェソスのアルテミス神殿に放火。
秦で商鞅の変法が始まる。
紀元前353年 – 田斉と趙の連合軍が孫臏の計略により魏と宋と衛の連合軍を破る(桂陵の戦い)。
紀元前350年頃
エピダウロスの円形劇場が建設される。
フランスで「アグリの黄金兜(フランス語版)」が作られる。
紀元前350年 – 秦が雍から咸陽に遷都。
紀元前340年代
詳細は「紀元前340年代」を参照
紀元前343年
アケメネス朝ペルシアがエジプトを再征服。ファラオのネクタネボ2世は逃亡しエジプト第30王朝が滅亡。
第一次サムニウム戦争( – 紀元前341年)。
紀元前342年 – アリストテレスがマケドニアの王子アレクサンドロスの師傅となり、都ペラ近郊にミエザの学園を作る。
紀元前341年 – 田斉が孫臏の計略により魏を破る(馬陵の戦い)。
紀元前340年 – 呉城の戦いで、秦が魏に勝利し黄河以西の領土を併合。魏は安邑から大梁へ遷都する。
紀元前340年頃 – 最古のヨーロッパのパピルス文書である「デルヴェニ・パピルス」はこの時期のもの。。
これはマケドニアの貴族の墓から出土したもので、オルペウス詩を論じた注釈。
紀元前330年代
詳細は「紀元前330年代」を参照
紀元前338年
カイロネイアの戦いでマケドニアがアテナイ・テーバイのギリシャ連合軍を破る。
秦の孝公が死去し、庇護者を失った商鞅は処刑される。
ラティウム同盟が解体され、共和政ローマのもとで再編される。
紀元前337年 – マケドニアを盟主とするコリントス同盟が結成される。
紀元前336年 – アイガイにてピリッポス2世が暗殺され、息子のアレクサンドロス3世(大王)がマケドニア王に即位。
アイガイと推定されるヴェルギナ遺跡にピリッポス2世らマケドニア王族の墳墓が造営される。
紀元前335年
アレクサンドロス3世がテーバイの反乱を鎮圧し、テーバイ市街を破壊。
アリストテレスがアテナイにリュケイオン学園を創設。
紀元前334年
アレクサンドロス3世が東方遠征に出発する、小アジアに渡りグラニコス川の戦いで勝利。
楚の威王が越王無彊を滅ぼす。
紀元前333年 – イッソスの戦いでアレクサンドロス3世がペルシア王ダレイオス3世の軍に勝利。
紀元前332年 – アレクサンドロス3世のティルス包囲戦とガザ包囲戦、さらにエジプトに進軍しナイル川河口西岸にアレクサンドリア市を建設。
紀元前331年
ガウガメラの戦いでアレクサンドロス3世がペルシア王ダレイオス3世の軍に勝利。
続いてアレクサンドロス3世はバビロンやスサを攻略。ウクシオンの戦い。ペルシス門の戦い。
アレクサンドロス3世によるペルセポリス炎上。
メガロポリスの戦いでマケドニアがスパルタの反乱を鎮圧する。
紀元前330年 – ダレイオス3世が逃走中にバクトリア・サトラップのベッソスに殺害され、アケメネス朝は滅亡。
紀元前330年頃 – サマリア人がゲリジム山に神殿を建てる。
紀元前320年代
詳細は「紀元前320年代」を参照
紀元前329年 – アレクサンドロス3世によるソグディアナ・バクトリアの征服( – 紀元前327年)。
現在のタジキスタンのホジェンドにアレクサンドリア・エスカテ(最果てのアレクサンドリア)を建設。
紀元前328年 – マケドニア将軍クレイトス暗殺事件。
紀元前327年 – アリストテレスの甥で歴史家のカリステネスが処刑される。
紀元前326年
アレクサンドロス3世がヒュダスペス河畔の戦いでポロス王と戦う。インド中央への遠征は中止。
第二次サムニウム戦争( – 紀元前304年)。
紀元前325年頃 – マッシリアの地理学者で探検家のピュテアスが北西ヨーロッパ旅行に出立。
紀元前324年 – スサの合同結婚式(英語版)、アレクサンドロス3世とダレイオス3世皇女スタテイラの結婚。
紀元前323年 – アレクサンドロス3世死去。バビロン会議の後にディアドコイ戦争始まる。
紀元前322年 – ラミア戦争で、アテナイほかポリス連合軍がマケドニアに敗北、デモステネスらが処刑され各ポリスは独立を喪失。
紀元前321年 – 共和政ローマがサムニウム人に敗北、屈辱的な和議を結ぶ(カウディウムの屈辱)。
紀元前310年代
詳細は「紀元前310年代」を参照
紀元前317年 – マガダ国のチャンドラグプタがマウリヤ朝を建国。
紀元前316年 – 秦が蜀を滅ぼす。
紀元前312年
セレウコス朝シリアが開かれる。
共和政ローマでローマ街道(アッピア街道)の建設を開始。
藍田の戦いで、秦が楚を破る。
紀元前310年頃 – 河北省平山県上三汲郷の中山王墓が造営されたか。
紀元前309年 – カッサンドロスによりアレクサンドロス4世とその母ロクサネが処刑されアルゲアデス朝が断絶する。
紀元前300年代
詳細は「紀元前300年代」を参照
紀元前307年
趙の武霊王が「胡服騎射」を導入する。
宜陽の戦いで秦の武王が韓に勝利し中原に道が開ける。
武王は洛陽で鼎を持ち上げようとして急逝。武王の異母弟が即位し秦の昭襄王となる。
紀元前306年頃
哲学者エピクロスがラムプサコス(英語版)からアテナイに移動し、学派の拠点「エピクロスの園」を創設する。
紀元前305年
プトレマイオス朝エジプトが開かれる。
ロドス包囲戦。
紀元前305年頃
セレウコス1世がティグリス川西岸に新都セレウキアを建設。
セレウコス1世とマウリア朝のチャンドラグプタが和平を結ぶ。
セレウコス1世がメガステネスを使者としてマウリア朝の都パータリプトラに派遣する。
紀元前305年頃 – 紀元前250年頃
楚の「清華大学蔵戦国竹簡(清華簡)」が作成される。
紀元前301年 – イプソスの戦いによるアンティゴノスの没落。ディアドコイの領土配分がほぼ確定する。
紀元前301年頃 – キティオンのゼノンがアテナイのアゴラ・ストア・ポイキレ(彩色柱廊)で学派を形成(ストア派の始まり)。