キリスト教迫害~国教化

迫害
1.古代ローマ時代にキリスト教は度重なる迫害にあった。

皇帝ネロの迫害(64年)
大火災の犯人としてキリスト教徒を迫害

ディオクレティアヌスの迫害(303年)
キリスト教の教会を取り壊す
聖書を焼き捨てる
教会の権威者たちを殺害する
キリスト教徒を公職から追放
市民権を剥奪する

2.カタコンベ
ローマ市郊外に多い地下墓地はキリスト教徒が迫害を逃れてひそかに礼拝する場所として用いられた。

3.なぜ迫害
当時のローマは多神教で皇帝も神の一人とされた。
皇帝崇拝儀礼が強化されるも、唯一絶体神を信じるキリスト教徒は皇帝崇拝儀礼を拒否
反社会集団とみなされる。

国教化
1.経緯

・コンスタンティヌス帝
ミラノ勅令(313年)で公認
皇帝の保護により勢力拡大、帝の全国統一ともに全国に広がる。

ニケ―ア公会議(325年)
アタナシウス派正統、アリウス派異端

・ユリアヌス帝「背教者」異教復活に失敗

・テオドシウス帝国教化(392年)

エフェソス公会議(431年)
ネストリウス派異端
ササン朝を経て唐へ(景教)

カルケドン公会議(451年)
単性論異端

2.五本山
ローマ、コンスタンティノープルアンティオキア、イェルサレム、アレクサンドリア
ローマから順にひらがなの「つ」を描くように位置している。

☆ここで問われた
2018年国際教養学部
2017年国際教養学部

2017法学部

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