南京

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建業は長江下流の江南地方
戦国時代 金陵

湿地の中にある丘の上に築かれた

秦の時代に周りの低湿地にクリーク(水路)を開いて耕地とし、豊穣な平野に変身

呉の都
建業は孫権によって建設された
後漢末にその近くの杭州の南方の土豪であった孫堅が次第に有力となり、その子孫権が、212年にこの地を建業として拠点とした。

南朝諸王朝の都
東晋の都となり建康と改称され
三国時代の呉の都であった建業に入った司馬氏が建康と改名して東晋の都
宋→斉→梁→陳と続く南朝の都

漢人の貴族文化である六朝文化がこの地で展開

六朝文化
梁の武帝は仏教を保護し、その都としての建康も六朝文化といわれる貴族文化が繁栄したが、その末期に起こった侯景の乱で荒らされ、さらに次の陳が隋によって滅ぼされたときに都城は破壊され、地名も江寧と改めらた。隋は都を長安の近郊の大興城に遷したので、建康は地方の一小都市となってしまった。後に明の首都として復興し、南京と言われるようになる。

現在の南京
江南の中心都市

2012年商学部