前8世紀

紀元前800年代
紀元前800年頃
ギリシア各地でポリス(都市国家)の誕生。
人口の大幅な増加、英雄祭祀と聖域の成立、都市への集住(シノイキスモス)などが随伴して見られる。
ギリシアの陶器は「幾何学様式」から「東方化様式(英語版)」に移行する。
ギリシア人による地中海および黒海沿岸での植民市(アポイキア)(英語版)建設が始まる。
エウボイア人によるシリア沿岸の植民市アル・ミナ(英語版)やナポリ湾イスキア島の植民市ピテクサイがこの時期のもの。
中央ヨーロッパは鉄器時代初期でハルシュタット文化(ハルシュタットC期)が広がる。
ハルシュタットは世界最古の塩坑があり、アルプス以北と地中海とを結ぶ「塩の道」の要衝となった。
ハルシュタット東方にはルサチア文化(ラウジッツ文化)があり、その代表は現ポーランドのビスクピン遺跡である。
イベリア半島のグアダルキビル川下流域のタルテッソス王国が繁栄する。
「錫の国」と呼ばれた現在のイギリスのコーンウォール地方から錫を独占し、フェニキア人との交易も行われた。
セビリア近郊で発掘された「カランボロの財宝(英語版)」が代表とされる。
南アラビアにサバア王国が成立する。
イラン北西部ソルダス谷のテッペ・ハサンル遺跡(英語版)出土の「ハサンルの恋人たち(英語版)」が埋葬される。
紀元前800-500年頃 – 古散文ウパニシャッド文献が成立する。
最古層の『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』が代表とされる。
紀元前780年代
紀元前786年 – ウラルトゥ王アルギシュティ1世が即位し、ウラルトゥの領土拡大が始まる。
紀元前780年 – 周で涇水・渭水・洛水の三川の水が涸れて岐山が崩れる大地震が発生(三川岐山地震)。
紀元前770年代
紀元前776年
7月1日 – 記録に残る最古の古代オリンピック第1回大会がギリシアのオリンピアで開催される。
またギリシアにおいて最古の文字使用例が特定された年でもある。
紀元前771年 – 申侯の乱で、鎬京が犬戎に攻められ西周の幽王が殺される。
幽王の子の平王は鎬京を離れ洛邑に遷都し東周が成立。
これより春秋時代が始まる。平王を擁立した秦の襄公が諸侯に列する。
紀元前760年代
紀元前763年
6月15日 – アッシリア王アッシュール・ダン3世が日食を記録した。
それを天文学的に割り出すと正確な日付が特定できたため、アッシリア年代学の基点となっている。
紀元前760年頃
ユダ王国のウジヤ王の治世に大地震が起きたと、預言書『アモス書』に言及がある。
考古学者イーガエル・ヤディン(英語版)やイスラエル・フィンケルスタイン(英語版)はガリラヤ湖北部のハツォル遺跡(テル・ハツォル(英語版))第6層の倒壊した建造物等とこの地震の年代が符合すると論証している。
紀元前750年代
紀元前756年 – 洛邑の平王が鎬京の携王を倒し、周の王統は統一される。
紀元前753年
4月21日 – 伝承によればロームルスがラテン人によるローマを建国(王政ローマ)。
この年がローマ建国紀元元年となり、ティベル川に面したローマの七つの丘が整備される。
カロプスがアテナイのアルコンに就任し、これ以後アルコンの任期は10年となる。
紀元前753年頃
アッシュール・ニラリ5世が遠征によりアルパド王マティールを服属させる。
紀元前8世紀半ば
ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』が成立。
ギリシア陶器が幾何学様式後期になり人物表現が復活する。
逸名絵付師「ディピュロン・マスター(英語版)」の「ディピュロンのアンフォラ」(アテネ国立考古学博物館蔵)が有名。
クレタ島ドレロス(スペイン語版)のアポロン神殿から出土したアポロン・アルテミス・レトの青銅製三神像(Apollonian Triad AMH)が作成される(イラクリオン考古学博物館蔵)。
紀元前740年代
紀元前743年 – 第一次メッセニア戦争始まる( – 紀元前724年)。
紀元前743年頃
アナトリア・アルメニアのウラルトゥ王国のサルドゥリ2世が最大領土を実現。
ギリシア系カルキス人がメッシーナ海峡を望むイタリア半島先端に植民市レギオン(現レッジョ・カラブリア)を建設。
紀元前740年 – アッシリア王ティグラト・ピレセル3世がシリアのアルパドを陥落させる。
紀元前740年頃
ギリシア文字の最古級の銘文である「ディピュロンの銘文(英語版)」が刻まれた酒注ぎ(オイコノエ)が作られる(アテネ国立考古学博物館蔵)。
フリギア王国の首都ゴルディオン(トルコのヤッス・ホユック(英語版)遺跡)の「ミダス王の墓(Tumulus MM)(ラテン語版)」が建てられる。
ゴルディオンで最も大きな墳丘であり、最古級の木槨墓でもある。木製品などの副葬品が残存していた。
アンカラのアナトリア文明博物館(英語版)に木槨墓が再現してある。
紀元前730年代
紀元前735年 – アッシリア王ティグラト・ピレセル3世がウラルトゥ王サルドゥリ2世に勝利し都のトゥシュパ(ヴァン)を攻撃。
紀元前734年頃 – ギリシアのコリントス人によりシチリア島に植民市シュラクサイが建設される。
紀元前732年 – アッシリア王ティグラト・ピレセル3世によるシリア・エフライム戦争。地中海東岸のダマスコ・サマリアなどを征服。
紀元前720年代
紀元前729年 – アッシリア王ティグラト・ピレセル3世によるバビロニア遠征。ナブー・ムキン・ゼリを打倒しバビロンを占領。
紀元前728年 – メディアの初代国王デイオケスが即位し、都のエクバタナを建設する。
紀元前727年 – ヌビア人の王ピアンキがヘルモポリスの王国とヘラクレオポリスの王国を征服。
さらに第23王朝(レオントポリス)・第22王朝(タニス)・第24王朝(サイス)の王が順に降伏して全エジプトを支配下におく。
ピアンキによりエジプト第25王朝が成立する。ゲベル・バルカルのアメン神殿「勝利の碑文」にその記録が残る。
紀元前724年 – イトメ山の戦いでのメッセニア王アリストデモスが自殺。スパルタが勝利しメッセニアを占領。
紀元前722年
魯の隠公元年。この年より『春秋』の記述が始まる。
メロダク・バルアダン2世がバビロン王になりアッシリアに対して反乱を起こす。
アッシリア王サルゴン2世によりイスラエル王国が滅亡する。イスラエル10部族のアッシリア捕囚。
紀元前720年 – サルゴン2世がダマスカスなどの反乱を鎮圧。
紀元前710年代
紀元前719年 – 衛の公子州吁が兄の桓公を殺害し君主となる。
州吁は鄭の公子共叔段と組み衛・宋・陳・蔡・魯と連合して、鄭の荘公を攻撃するが失敗し処刑される(東門の戦い)。
紀元前717年 – アッシリア王サルゴン2世がカルフ(ニムルド)からドゥル・シャルキン(コルサバド遺跡)へ遷都。
紀元前716年頃
リュディアでヘラクレス家のカンダウレス王に代わり、メルムナス家のギュゲスが王になる。
アッシリア王サルゴン2世の石碑にサバア王国の王イタァアマルの貢納の記録が残る。
紀元前716年 – ローマ王ロームルスが死去し、サビニ人ヌマ・ポンピリウスが第2代ローマ王に選出される。
紀元前714年 – アッシリア王サルゴン2世によりウラルトゥ王ルサ1世が大敗しムサシルが陥落するなと領土を奪われる。
紀元前713年 – アッシリア王サルゴン2世が新ヒッタイト系のタバル王国を制圧する。
紀元前710年頃 – レラントス戦争によりハルキスとエレトリアがエウボイアの覇権をめぐり激突( – 紀元前650年頃)
紀元前700年代
紀元前709年
アッシリア王サルゴン2世がバビロンを陥落させ「バビロニア王」を名乗る。
フリギア王ミダス(ムシュキ王ミタ)がアッシリア王サルゴン2世に和平を申し入れる。
陘廷の戦いで、晋の分家である曲沃の姫称(後の晋の武公)が宗家の哀侯と小子侯を滅ぼす。
紀元前707年 – 東周の桓王が蔡・衛・陳と連合して鄭を攻撃したが撃退される(繻葛の戦い)。
鄭の荘公はこの戦いで威信を高め「春秋の小覇」と呼ばれた。対して周王室の力の衰えが明らかになった。
紀元前706年 – スパルタのパルテニアイらによるタラス(イタリア半島南端の現タレントゥム)植民市の建設。
紀元前705年 – アッシリア王サルゴン2世死去。後継のセンナケリブはドゥル・シャルキンからニネヴェへ遷都。
紀元前704年 – 楚の熊徹が沈鹿の会盟を行い、王号を名乗る(楚の文王)。
紀元前703年 – アッシリア王センナケリブがバビロニア王メロダク・バルアダン2世を倒し、傀儡政権を擁立するがバビロニアの政情は不安定。
紀元前700年以前 – フリギア王国の「ミダス王の記念碑(英語版)(トルコのエスキシェヒル県のヤズルカヤ(英語版)遺跡)」が建てられる。
紀元前700年頃 – ヘシオドスの『神統記』『仕事と日』が成立。