紀元前100年代
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紀元前100年頃
グアテマラ北部サン・バルトロの下層1号神殿「絵画の神殿(ラス・ピントゥラス)」壁画が描かれる。
これは先古典期後期のもので、マヤ文明の壁画としては現時点で最古のもの。
イギリス中部ノーサンプトンシャーのデスボロー(英語版)出土の鏡(大英博物館蔵)はこの時代のラ・テーヌ文化のもの。
紀元前90年代
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紀元前100年 – 前漢の使者蘇武が匈奴へ派遣される( – 紀元前81年)。
紀元前99年 – 前漢の李陵が匈奴に降伏する。
李陵を弁護した太史令司馬遷が獄につながれ、翌年には宮刑に処される。
紀元前98年 – 前漢の武帝が泰山で封禅の儀を執行する。
紀元前97年頃 – 前漢で司馬遷が獄から釈放されて中書令に就任し『史記』執筆に専念。
紀元前91年
前漢で巫蠱の禍により、皇太子劉拠が殺害される。
共和政ローマで同盟市戦争(- 紀元前88年)。
紀元前91年頃 – 司馬遷が『史記』を完成させる。
紀元前90年 – ユリウス市民権法が制定される。
紀元前80年代
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紀元前89年 – 前漢の武帝の「輪台の詔」。
紀元前88年 – 共和政ローマでミトリダテス戦争(- 紀元前63年)。
紀元前87年 – 前漢の武帝が末子劉弗陵を皇太子とし、その母鉤弋夫人(趙婕妤)を殺害する。
紀元前86年 – 前漢の武帝が死去、劉弗陵が昭帝として即位。
紀元前85年頃 – インド・グリーク王国を滅ぼしたサカ人がインド・スキタイ王国を建てる。
紀元前83年 – アルメニア王国のティグラネス2世がシリアを制圧し「諸王の王」を名乗る。新都ティグラノセルタを建設。
紀元前82年 – スッラがローマの終身独裁官(ディクタトール・ペルペトゥア)に就任。
反対派の元老院議員らに対してプロスクリプティオを布告し粛清を行う。
紀元前80年
元鳳の政変で、桑弘羊や上官桀が昭帝を廃して燕王擁立を謀るが、霍光が鎮圧する。
属州ヒスパニアでセルトリウスの反乱( – 紀元前72年)。
紀元前70年代
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紀元前79年 – スッラが独裁官を辞任し、カンパーニャに引退する。
紀元前77年 – アルメニア王ティグラネス2世がアルタクサタからティグラノセルタに都を遷す。
紀元前74年 – 前漢の昭帝が死去。霍光が劉賀を廃位させ、宣帝を即位させる。
紀元前73年 – 共和政ローマで剣闘士のスパルタクスが反乱を起こす(- 紀元前71年)。
紀元前70年 – ポンペイウスとクラッススが執政官に就任。
紀元前60年代
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紀元前69年 – ティグラノセルタの戦い。
紀元前66年 – 宣帝の廃位を画策した罪で霍禹ら霍一族が滅ぼされ、皇后霍氏も廃位される。
紀元前63年
共和政ローマのポンペイウスがセレウコス朝シリアを滅ぼし、ユダヤを平定する。
共和政ローマでカティリナ陰謀事件。キケロの「カティリナ弾劾演説」。
紀元前60年 – 共和政ローマでカエサルが執政官に就任、ポンペイウスやクラッススと共に第一回三頭政治を開始。
紀元前50年代
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紀元前59年
西域の南北両道全てを統括する西域都護が設置され鄭吉が任じられる。
カエサルらにより「アクタ・ディウルナ(日々の議事録)」と「アクタ・セナトゥス(元老院議事録)」が出される。
カエサルらにより「ユリウス農地法(イタリア語版)(センプロニウス農地法の補正案)」が制定される。
紀元前58年 – カエサルがガリア戦争を開始(- 紀元前51年)。
紀元前56年 – ルッカ会談でカエサルとポンペイウスとクラッススが密約を行う。
紀元前54年 – ローマによるブリタンニア侵攻。
紀元前54年 – 匈奴が東匈奴と西匈奴に分裂。
紀元前53年 – カルラエの戦いでパルティアがクラッススを破る。
紀元前52年
アレシアの戦いでカエサルがウェルキンゲトリクス率いるガリア連合軍に勝利。
ガリアの組織的な抵抗は終了し、翌年までには属州ガリアとして編入される。
弥生時代の池上曽根遺跡から出土した神殿らしい高床式建物に使用されていた柱を年輪年代測定法で検査すると、この年の伐採ヒノキ材であることが判明した。
紀元前51年
匈奴の呼韓邪単于が前漢に入朝し、宣帝と会見する。
石渠閣会議。
紀元前50年 – エジプトの「デンデラの黄道帯(英語版)(ルーヴル美術館蔵)」の天体図はこの年の天球配置を示す。
紀元前50年頃 – アテナイの「ローマ時代のアゴラ」に「風の塔(アンドロニコスの時計塔)」が建てられる。
紀元前40年代
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紀元前49年 – ローマ元老院がカエサルに「元老院最終勧告」を下す。
ローマ内戦の始まり。カエサルは「ルビコン川」を越えてローマに入城。
紀元前48年 – ファルサロスの戦いでカエサルがポンペイウスを破る。
エジプトに逃亡したポンペイウスはこの地で殺害される。
紀元前47年
ナイルの戦いで勝利を得たクレオパトラ7世がカエサルの支持を得てエジプトの実権を握る。
ゼラの戦いでカエサルがポントゥス王ファルナケス2世に勝利。
紀元前46年
ローマにおいて1年が445日存在する。
翌年にローマ暦に代わってユリウス暦が導入されるための移行措置で、歴史上もっとも1年の日数(暦年)が多かった年とされている。
タプススの戦いでカエサルがヌミディア王ユバ1世と元老院派の連合軍に勝利。
ヌミディア王国は滅亡し、属州ヌミディアが成立する。
元老院派の小カトがウティカ包囲戦で自殺。
紀元前45年 – ムンダの戦いでカエサルが小ポンペイウスと元老院派に勝利し、ローマ内戦を終結させる。
この功によりカエサルは終身独裁官に選出され、「最高命令権(インペリウム)」を獲得し、「インペラトル」と称される。
紀元前44年
カエサルの命でフォロ・ロマーノの元老院議事堂(クリア・ユリア)が改築される。
カエサルがブルートゥスらにより暗殺される(3月15日)。
アントニウス法(英語版)により独裁官が廃止される。
紀元前43年
アントニウス、レピドゥス、オクタウィアヌスが第二回三頭政治を開始。
プロスクリプティオが布告され、キケロがアントニウスの刺客に暗殺される。
属州ガリアのルグドゥヌム(現リヨン)が建設される。
紀元前42年
フィリッピの戦いでアントニウスとオクタウィアヌスの連合軍がカッシウスやブルートゥスらリベラトレス(共和派)に勝利する。
属州ガリア・キサルピナ(ガリア・キテリオル)が イタリア本土に編入される。
紀元前42 – 20年頃 – ヘレニズム時代の彫刻「ラオコーン像(ヴァチカン美術館(ピオ・クレメンティーノ美術館)蔵)」が作られる。
紀元前30年代
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紀元前37年 – ヘロデ大王がユダヤ王となる(- 紀元前4年)
紀元前37年頃 – 高句麗が成立する。
紀元前36年
メソアメリカ最古とされる長期暦の日付がメキシコ・チアパス州のチャパ・デ・コルソの石碑2号に刻まれる。
東匈奴の呼韓邪単于が西匈奴の郅支単于を倒し匈奴を再統一する。
ナウロクス沖の海戦でオクタウィアヌス派がセクストゥス・ポンペイウスに勝利、レピドゥスが失脚。
紀元前33年 – 匈奴の呼韓邪単于が再び前漢に入朝し、王昭君が呼韓邪単于に嫁ぐ。
この時期に前漢の領土は最大となる。元帝が死去し、成帝が即位。
紀元前32年 – オルメカの祭祀センターのトレス・サポーテスの石碑Cの日付。
紀元前31年 – アクティウムの海戦でオクタウィアヌスがアントニウス・クレオパトラ連合軍を破る。
紀元前30年 – クレオパトラ7世が自殺し、息子カエサリオン(プトレマイオス15世)が殺害される。
プトレマイオス朝が滅び、エジプト(アエギュプトゥス)はローマの属州となる。
紀元前20年代
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紀元前27年
オクタウィアヌスが元老院からアウグストゥスの尊称を与えられる(1月16日)。
「市民の第一人者(プリンケプス・キウィタティス)」でもあるオクタウィアヌスが事実上のローマ皇帝となる。
これにより共和政ローマが帝政ローマに移行したとされる(ローマ帝国の始まり)。
属州とは別にイタリア本土の地域を確定し、都市ローマを含め11行政区に分割する。
属州ヒスパニア・タラコネンシスの再編成、この時期からラス・メドゥラスの金鉱採掘が本格化する。
紀元前27年頃 – 前漢が夜郎を滅ぼす。
紀元前25年 – 属州ルシタニアに植民市エメリタ・アウグスタ(現メリダ)が造営される。
翌年にはアグリッパにより「メリダのローマ劇場(英語版)」が建設される。
紀元前25年頃
ヘロデ大王が属州パレスティナにカイサリア・マリティマ(海辺のカイサリア)を建設。
大月氏からクシャーナ朝(貴霜翕侯)のクジュラ・カドフィセスが独立する。
紀元前22年 – ローマ帝国に南インドのパーンディヤ朝の使者が到着。
紀元前20年頃 – ヘロデ大王がエルサレム第二神殿の修繕と大拡張工事を行う(ヘロデ神殿)。
紀元前10年代
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紀元前19年頃 – アグリッパの命で水道橋ポン・デュ・ガールが架けられる。
紀元前18年 – ユリウス姦通罪/渉外交渉罪法とユリウス正式婚姻法が成立する。
紀元前16年 – ローマがノリクムに遠征し、属州ノリクムが設置される。
紀元前15年 – ローマがラエティアに遠征し、属州ラエティアが設置される。
この地の首府アウグスタ・ウィンデリコルム(現アウクスブルク)が建設される。
紀元前13年 – ローマのマルケッルス劇場が完成する。
紀元前12年
アウグストゥスが最高神祇官に就任する。
ローマのガイウス・ケスティウスのピラミッドが完成する。
紀元前12年頃
フォロ・ロマーノに「凱旋式の勝暦(ファスティ・トリウムファレス)」が建てられる。
紀元前0年代
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紀元前9年
ローマがパンノニアを占領し、属州イリュリクムに併合する。
ローマで「アウグストゥスの平和祭壇(アラ・パキス)」が奉献される。
紀元前7年 – 前漢で限田法が布告される。
紀元前7 – 4年頃 – ナザレのイエス生誕。
紀元前2年 – 大月氏の使者伊存が「浮屠経(仏教の経典)」を博士弟子の景廬に口授する(『魏略』西戎伝)。
紀元前1年 – 前漢で丞相・御史大夫・大司馬将軍が大司徒・大司空・大司馬に改称され三公とされる。
前漢の哀帝が死去し平帝が即位。大司馬の董賢が失脚し、王莽が大司馬となる。
紀元前後
モンゴル高原北部のノイン・ウラの匈奴の墓が築かれる。
倭人が百余国に分かれて、一部の国が前漢の楽浪郡に朝献する