鎖国、明、清対外政策

密貿易を含めた民間貿易を取り締まることで 朝貢貿易の価値を高めるとともに 貿易や 出入国を国家が統制するものであった。江戸幕府による対外対策もこうした中国の解禁政策と共通性があると評される

※鎖国という言葉は19世紀に産まれた

長崎の出島でオランダ東インド会社との交易が行われた

中国人の居住区域として長崎に唐人屋敷が設けられた

対馬の宗氏は、幕藩体制の中で朝鮮との交易外交を担った

主な出来事:
1609年: オランダやイギリスとの貿易を認める一方で、江戸幕府は海外との貿易や関係を管理し始めました。オランダ商館は平戸に設置され、貿易は制限された形で行われました。

1612年: 幕府がキリスト教布教を禁じる政策を強化し、禁教令が発布されました。これはキリスト教勢力が政治的不安定要素と見なされたためです。

1624年: スペイン船の来航が禁止されました。スペインがカトリックを強力に布教していたため、スペインとの関係は断たれました。

1635年: 日本人の海外渡航と帰国の禁止令が発布されました。これにより日本人が外国へ渡ることや、すでに海外にいる日本人が帰国することが禁止されました。

1639年: ポルトガル船の来航禁止が決定されました。これが、事実上の鎖国の完成と見なされています。ポルトガルもカトリック布教を強力に行っていたため、布教活動や外国の影響を完全に遮断するための措置でした。

まとめ
鎖国は、1600年代の初めから段階的に進行し、1639年のポルトガル船来航禁止をもって完成しました。その後、約200年間、江戸幕府は厳しい対外政策を維持し、オランダや中国との限定的な貿易を除いて、外国との接触は大幅に制限されました。