紀元前1900年代
紀元前1900-1800年頃
アナトリアのカニシュ(ネサ(現キュルテペ))にアッシリア系商人のカールム(商業地域)が設置される。
アッシリア語で書かれた経済文書(「カッパドキア文書・キュルテペ文書」)が多数出土し、銅の交易が盛んであった。
ミノア文明は古宮殿時代(MMIB期)で轆轤を用いたカマレス土器が出現する。
紀元前1900年頃
アナトリアにインド・ヨーロッパ語族のヒッタイト人が定着する。
先住民の非インド・ヨーロッパ語族のハッティ人と交流を持ったか。
インダス文明統合期(ハラッパー文化IIIC期)が終わる。
インダス文明の諸都市が放棄され、ポスト・ハラッパー文化期に移行する。
古代エジプトの悲嘆文学を代表する『生活に疲れた者の魂との対話』が書かれる。
紀元前1890年代
紀元前1897年頃
エジプト王センウセレト2世が即位。ファイユームにラフーンのピラミッドが建てられる。
紀元前1870年代
紀元前1876年 – 夏王朝によって最古の日食が記録される[1]。
紀元前1878年頃 – エジプトでセンウセルト3世が即位( – 紀元前1841年頃)。
センウセルト3世は行政改革を推進し、州侯の権力を削減して中央集権体制を構築、王朝に繁栄をもたらす。
紀元前1860年代
紀元前1862年頃 – エシュヌンナ王イピク・アダド2世の即位( – 紀元前1818年頃)。
この王の時代がエシュヌンナの最盛期。このころまでに「エシュヌンナ法典」が整備される。
紀元前1850年代
紀元前1850年頃
シリアのマリをめぐる争奪戦。
マリのヤギト・リムとアッシリアのイラ・カブカブが衝突し、勝利したヤギト・リムがリム王朝を開く。
ギリシアのアイギナ島で出土した「アイギナの財宝(大英博物館蔵)」はこの時期のもの( – 紀元前1550年頃)。
紀元前1840年代
紀元前1842年頃 – エジプトのアメンエムハト3世が即位( – 紀元前1797年頃)。
エジプト第12王朝の最盛期でファイユーム盆地開発もこの時期に完了。
この王の墳墓としてファイユームにはハワーラのピラミッドが、ダハシュールには黒ピラミッドが建てられる。
これらのピラミッドは古代エジプト最末期のピラミッドであり、特に前者は葬祭殿を含め「迷宮」と呼ばれる威容を誇った。
ベニ・ハッサンにはこの王に仕えていたクヌムホテプらの墓があり、エジプト人の日常生活が描かれた壁画で有名。
紀元前1820年代
紀元前1829年 – エジプトとヌビアの戦争( – 紀元前1818年頃)。
紀元前1810年代
紀元前1813年
アムル人(アモリ人)が北メソポタミアを征服。
古アッシリア王国のシャムシ・アダド1世が即位。
都シュバト・エンリルを築き領土を拡大、自らを「世界の王」と称し、アッシリア王名表を初めて編纂する。
紀元前1800年代
紀元前1806年 – 伝統的記年法による夏王朝の終焉。
紀元前1800年頃 – 最古の音素文字とされるワディ・エル・ホル文字はこの時期のものか。