東アジア
紀元前200年 – 白登山の戦いで匈奴の冒頓単于が前漢の劉邦を破る。
紀元前196年 – 淮陰侯韓信、梁王彭越、淮南王英布が処刑される。
紀元前195年
前漢で高祖劉邦が死去、恵帝が即位( – 紀元前188年)。呂后の専横が始まる。
燕の衛満が箕子朝鮮を滅ぼし、衛氏朝鮮を建てる( – 紀元前108年)。
紀元前180年 – 前漢で呂后死去。呂氏一族が誅殺され、文帝が即位( – 紀元前157年)。
紀元前177年 – 匈奴の冒頓単于が月氏を攻撃し、月氏は大月氏・小月氏に分裂する。
大月氏はサカ族を逐ってイリ地方のイシク湖周辺に移動し、小月氏は甘粛・青海に留まる。
紀元前162年 – 匈奴の老上単于が大月氏の王を敗死させ、大月氏はソグディアナ(粟特)に移動。
大月氏はその後、隣接するトハラ(大夏)も支配下に置く。
紀元前157年 – 前漢で文帝が死去し、景帝が即位( – 紀元前141年)。
西安市白鹿原江村大墓が文帝の帝陵「霸陵」とされている。
紀元前154年 – 前漢で呉楚七国の乱。
紀元前150年頃 – 甘粛省の放馬灘から出土した「放馬灘紙」はこの時期のもの。
紀元前141年 – 前漢で景帝が死去し、武帝が即位( – 紀元前87年)。
咸陽市渭城区の合葬墓が景帝の帝陵「陽陵」とされている。
紀元前139年 – 前漢の張騫が大月氏に派遣される。
紀元前136年 – 前漢で董仲舒の献策で儒教が官学とされ、五経博士が置かれる。
紀元前134年 – 前漢で孝廉の制が導入される(郷挙里選の始まり)。
紀元前127年
前漢で推恩の令。
前漢の将軍衛青が匈奴から河南(オルドス地方)を奪う。
紀元前126年 – 張騫が長安に帰還する。
紀元前122年 – 淮南王劉安が自害する。
紀元前121年 – 祁連山脈を本拠としていた匈奴の伊稚斜単于が前漢の霍去病に敗れ、河西回廊は前漢の領土となる。
河西回廊には酒泉郡(紀元前121年)、武威郡(紀元前115年)、張掖郡(紀元前111年)、敦煌郡(紀元前88年)の四郡を設置する。
紀元前119年
衛青と霍去病が匈奴を撃破し漠南(内モンゴル)を獲得。
前漢で塩鉄専売制を導入する。
紀元前115年 – 前漢で均輸法の実施。
紀元前113年
汾陰での銅鼎の発見によりこの年を「元鼎4年」とする(元号制度の始まり)。
紀元前111年 – 前漢の武帝が南越を滅ぼし、南海郡を設置する。
紀元前110年
前漢で平準法の実施。
紀元前109年 – 前漢の武帝が雲南省東部にあった南蛮の滇を服属させる。
紀元前108年 – 前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼし、楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の漢四郡を設置する。
紀元前106年 – 前漢の武帝が全国を13州(11州と2郡)に分け、各州に刺史を設置、州・郡・県の三層構造となる。
紀元前102年
前漢の武帝の命で李広利が大宛を征服し汗血馬を獲得する。
地中海世界
紀元前200 – 190年頃 – ヘレニズム時代の彫刻「サモトラケのニケ(ルーブル美術館蔵)」が作られる。
紀元前200年 – パネイオンの戦い(英語版)でセレウコス朝がプトレマイオス朝に勝利し、パレスティナを占領する。
紀元前196年
プトレマイオス5世の「メンフィス勅令(英語版)(Decree of Memphis)」が刻まれた「ロゼッタ・ストーン」が建立される。
共和政ローマの前執政官フラミニヌスが「ギリシアの自由」を宣言。
紀元前192年 – 共和政ローマとセレウコス朝のアンティオコス3世が戦争( – 紀元前188年)。
紀元前190年
グレコ・バクトリア王国のデメトリオス1世が西北インドに進出しタキシラを占領。
マグネシアの戦いで共和政ローマがセレウコス朝に勝利。
ペルガモン王エウメネス2世によりヒエラポリスが建設される。
紀元前188年 – アパメイアの和約。セレウコス朝がヨーロッパから撤退する。
紀元前187年 – アエミリア街道の建設。
紀元前185年 – スキピオ・アフリカヌスが弾劾される。
紀元前180年頃 – ブリハドラタ王がタキシラで殺害されマウリヤ朝が滅亡、プシャミトラがシュンガ朝を建てる。
『阿育王伝(英語版)』などの仏教徒の伝承ではプシャミトラ王が大規模な仏教弾圧をしたと伝わる。
紀元前178年頃 – セレウコス4世がイェルサレム神殿の宝物を没収しようと財務大臣へリオドロス(英語版)を派遣する。
「ヘリオドロスの石碑(フランス語版)(イスラエル博物館蔵)」はこの時代のもの。
紀元前175年頃 – エウクラティデス1世が反乱を起こし、グレコ・バクトリア王国の王位を簒奪。
中央アジアのギリシア人勢力はバクトリアとインドに分裂する。
紀元前168年
ピュドナの戦いでローマがマケドニアに勝利。ポリュビオスがローマに連行される。
共和政ローマがイリュリア王国を滅ぼす。
紀元前167年頃 – ユダ・マカバイがエルサレム神殿を回復。ハスモン家によるユダヤ支配のはじまり。
紀元前155年 – ルシタニア戦争。
紀元前150 – 100年頃 – ギリシアでアンティキティラ島の機械が製作される。
これは現在確認できる世界最古の歯車式アナログ計算機とされている。
紀元前148年
共和政ローマがマケドニアを属州にする。
ヌミディア王マシニッサ死去。エル・フロウブ(現アルジェリア)の墓に葬られる。
紀元前146年
第3次ポエニ戦争によりカルタゴが共和政ローマに滅ぼされる。
コリントスの戦いによりコリントスが共和政ローマに滅ぼされる。
アカイア同盟は解体され、ギリシア各都市は属州アカエアに編入される。
紀元前145年頃
グレコ・バクトリア王国の主要都市アイ・ハヌムが月氏に滅ぼされる。
プトレマイオス8世がアレクサンドリアからアリスタルコスら多数の知識人を追放する。
紀元前142年 – ハスモン家の大祭司ヨナタンが殺害され、弟のシモンがセレウコス朝の支配から独立。
紀元前141年 – パルティア国王ミトラダテス1世がバビロニアに侵攻してセレウコス朝のセレウキアを陥落させる。
パルティアはティグリス川に面したセレウキア対岸のオピス(後のクテシフォン)を拡充する。
紀元前133年
ローマでティベリウス・グラックスが護民官となり、「センプロニウス農地法」を提出するが反対派に暗殺される。
ティベリウスの死を契機に共和政ローマは「内乱の一世紀」へ突入( – 紀元前27年)。
ペルガモン国王アッタロス3世が領土をローマに遺贈する。
これに不満を持つ王族のアリストニコスがエウメネス3世を名乗り反乱を起こす。
ヌマンティア戦争でスキピオ・アエミリアヌスがヌマンティアを陥落させる。
紀元前132年 – エデッサやカルラエを含む北シリアにオスロエネ王国が成立( – 244年)。
紀元前130年代 – グレコ・バクトリア王国がトハラ(大夏)人によって滅ぼされる。
紀元前130 – 100年頃 – ヘレニズム時代の彫刻「ミロのヴィーナス(ルーブル美術館蔵)」が作られる。
紀元前129年頃 – パルティアがヘカトンピュロスからクテシフォンに都を遷す。
紀元前128年 – ハスモン朝のヨハネ・ヒルカノス1世がサマリア人のゲリジム山の神殿を破壊する。
紀元前123年 – 共和政ローマでガイウス・グラックスが護民官となる。
紀元前121年
元老院最終勧告によりガイウス・グラックスが公敵と見做され逃亡した後に自害、支持者3000人余も処刑される。
共和政ローマがガリア・ナルボネンシス(ガリア・トランスアルピナ)を属州にする。
紀元前113年 – キンブリ・テウトニ戦争( – 紀元前101年)。
紀元前112年 – ユグルタ戦争( – 紀元前105年)。
紀元前107年 – 共和政ローマでガイウス・マリウスの軍制改革。