1世紀

0年代
詳細は「0年代」を参照
6年
前漢の平帝が死去、劉嬰(孺子嬰)が皇太子になり、王莽は摂皇帝と名乗る。
属州マケドニアから属州モエシアが分離する。
カイサリア・マリティマを首府とする属州ユダヤが成立する。
8年
王莽の簒奪により前漢が滅亡し、新が建てられる。
皇帝に対する陰謀と姦通罪によりアウグストゥスの孫娘小ユリアがアドリア海のトゥリメルス島(英語版)へ追放される。
同年に皇帝の命令で詩人オウィディウスが黒海沿岸のトミス(現在のコンスタンツァ)へ追放される。
9年 – トイトブルクの戦いでローマがゲルマニア人に敗れる。
10年代
詳細は「10年代」を参照
10年 – 王莽が「匈奴」を「降奴」に改名し、攻撃を開始。
14年 – ローマでアウグストゥス帝が死去し、ティベリウス帝が即位。
15年 – ローマがラエティアに遠征し、属州ラエティアが設置される。
17年
琅邪郡海曲県の呂母が挙兵する(新末後漢初の反乱の始まり)。
アルケラオス王の死により、ローマ帝国属州カッパドキアが設置される。
18年 – 赤眉の乱(- 27年)
20年代
詳細は「20年代」を参照
20年頃 – パルティア人ゴンドファルネスがインド・パルティア王国を建てる。
23年
新の崩壊。
王莽に対する儒者劉歆の陰謀が失敗。
昆陽の戦いで新軍が敗北、長安が陥落。
王莽が殺害されて新が滅亡し、緑林軍による更始帝政権が成立。
25年
後漢の建国。
赤眉軍により更始帝政権崩壊、赤眉軍は劉盆子を擁立。
漢の一族である劉秀が光武帝として即位し、洛陽(雒陽)を都とする後漢が成立(- 220年)。
25年頃 – 「ポートランドの壺」が作られる。
27年 – ティベリウス帝がカプリに隠棲する。
29年 – 後漢の光武帝が国立大学である太学を洛陽に設置する。
30年代
詳細は「30年代」を参照
30年頃 – イエスがゴルゴダの丘で刑死。
その後イエスの復活を信じる十二使徒らを中心にキリスト教が成立する。
31年 – ティベリウス帝の寵臣セイヤヌスが処刑される。
32年頃 – 最初のキリスト教殉教者ステパノが殺害される。
34年頃 – サウロ(パウロ)がダマスクスへの途上で回心する。
35年 – 後漢の光武帝が「天地之性人為貴」の詔を下す。
36年 – 後漢の光武帝が蜀の公孫述を滅ぼし中国を統一する。
37年
ローマでティベリウス帝が死去し、カリグラ帝が即位。
パルティアとローマが和睦する。
40年代
詳細は「40年代」を参照
40年
ベトナムで徴姉妹が後漢に対して反乱を起こす(- 43年)。
ナバテア王国最盛期の王アレタス4世が死去。
この頃までにペトラのエル・カズネ(宝物庫)が建造される。
アラビアのマダイン・サーレハ遺跡や、シリアのボスラ遺跡もこの頃のもの。
40年 – 70年 – エジプト在住のギリシア語著作家により『エリュトゥラー海案内記』が書かれる。
41年 – ローマでカリグラ帝が暗殺され、クラウディウス帝が即位。
43年 – ローマがブリタンニアに遠征し、属州ブリタンニアが設置される。
44年 – クラウディウス帝の勅令により、属州マウレタニアが設置される。
46年
ローマがオドリュサイ王国を併合し、属州トラキアが設置される。
クラウディウス帝によりオスティア港(ポルトゥス・アウグスティ)が開港する。
旧港オスティア・アンティカから見てテヴェレ川の対岸に設置された新港を指す。
パウロの第1回伝道旅行。
48年
パウロの第2回伝道旅行。
匈奴が北匈奴と南匈奴に分裂する。
50年代
詳細は「50年代」を参照
50年 – コロニア・アグリピネンシス(現ケルン)がローマ植民市に格上げされる。
52年
パウロの第3回伝道旅行。
伝承では使徒トマスがインドのケララ地方に上陸してキリスト教を伝えたとされる(トマス派)。
54年 – ローマでクラウディウス帝が死去し、ネロ帝が即位。
57年 – 倭の奴国王が後漢に朝献して、倭奴国王印(金印紫綬)を授けられる(後漢・建武中元2、丁巳;『後漢書』光武帝紀、同東夷伝)。
59年 – ネロ帝が母の小アグリッピナを殺害する。
60年代
詳細は「60年代」を参照
60年 – ブリタンニアのイケニ族女王ブーディカがローマ帝国に反乱を起こすも鎮圧される。
60年頃 – ローマ帝国属州シリアのバールベックのユピテル神殿が建てられる。
62年 – キリスト教のエルサレム教会の初代主教ヤコブが殉教。
63年 – ローマとパルティアの和平、アルサケス家のアルメニア王ティリダテス1世が承認される。
64年
ポントゥス王国がローマ帝国に併合され、属州ポントゥスになる。
ローマ大火。ネロ帝がキリスト教徒を迫害し、ペテロとパウロが殉教。
大火の跡地にネロ帝は黄金宮殿ドムス・アウレアを建立する。
65年 – ピソの陰謀事件で、セネカが加担したと疑われネロ帝に自殺を命じられる。
66年 – 後漢で現存最古の磨崖碑「開通褒斜道刻石」が建立される。
67年 – 伝承では初めて後漢に仏教が伝わり、洛陽に白馬寺が建てられる。
68年
ネロ帝が自殺し、ユリウス=クラウディウス朝が断絶。
内戦からローマで四皇帝が乱立(四皇帝の年)。
この内戦を鎮圧したウェスパシアヌス帝が即位しフラウィウス朝が成立。
68年頃
メコン川下流域に扶南王国が成立し、オケオなどの港市国家が発展する。
70年代
詳細は「70年代」を参照
70年 – ユダヤ戦争でエルサレムが陥落する。
この時期までにクムラン遺跡周辺の洞窟に隠匿されたユダヤ教系の文書が「死海文書」として残存。
71年 – 属州ブリタンニアのローマの軍事拠点エボラクム(現ヨーク)が建設される。
73年 – ローマ軍が包囲したマサダ要塞が陥落。
79年
ウェスパシアヌス帝が死去、息子のティトゥス帝が即位。
ヴェスヴィオ火山の噴火によりポンペイが埋没。大プリニウスが噴煙に巻き込まれ死亡。
白虎観会議。
80年代
詳細は「80年代」を参照
80年 – ローマのコロッセウムとティトゥス浴場が完成する。
80年頃 – フラウィウス・ヨセフスが『ユダヤ戦記』を完成させる。
81年 – ティトゥス帝が死去し、弟のドミティアヌス帝が即位。
83年
グラウピウス山の戦いでローマ軍がピクト人(カレドニア人)連合軍に勝利する。
ドミティアヌス帝の命でライン川からドナウ川までの軍事境界線(リーメス・ゲルマニクス)がシュヴァルツヴァルトに築かれる。
85年頃 – 鮮卑が北匈奴を破る。
90年代
詳細は「90年代」を参照
90年
クシャーナ朝の王ヴィマ・タクトが後漢の班超を攻撃するが撃退される。以後クシャーナ朝は後漢に毎年貢献する。
属州ゲルマニアが再編され、ゲルマニア・スペリオル(上ゲルマニア・州都はマインツ)とゲルマニア・インフェリオル(下ゲルマニア・州都はケルン)に分割される。
90年代 – ヤムニヤ会議においてユダヤ教のヘブライ語聖書(タナハ)が確定される。
91年 – 後漢の竇憲の攻撃により北匈奴が康居に西走、後にこの子孫が悦般を形成。
92年 – 後漢の和帝が外戚で大将軍の竇憲に自殺を命じる。歴史家班固もこの事件に連座して獄死する。
94年 – 後漢の班超が西域諸国を制圧。
95年頃
使徒ヨハネがドミティアヌス帝の命によりパトモス島に流される。この時期に『ヨハネの黙示録』が成立。
フラウィウス・ヨセフスが『ユダヤ古代誌』を完成させる。
96年 – ローマでドミティアヌス帝が暗殺され、ネルウァ帝が即位。五賢帝時代始まる( – 180年)。
97年 – 甘英が班超により大秦国(ローマ帝国)へ派遣される。
98年
ネルウァ帝が死去し、養嗣子で属州ゲルマニア・スペリオル(上ゲルマニア)総督のトラヤヌスが皇帝として即位。
タキトゥスが『ゲルマニア』『アグリコラ』を執筆。
1世紀末 – 弥生文化が東北地方に波及する。