12世紀全般
日本ではオーロラが見えやすい時代だった[1]。
北アメリカ大陸の中西部では「岩窟住居」で知られるプエブロ文化が発展する。
コロラド州メサ・ヴェルデ遺跡や、ニュー・メキシコ州のチャコ・キャニオン遺跡が代表例。
1100年代
詳細は「1100年代」を参照
1101年
源義親の乱(康和の乱)( – 1108年)。
大地震により興福寺金堂・大門倒壊する。興福寺と金峰山の僧徒争う。
メルシヴァンの戦いで、ルーム・セルジューク朝軍が「1101年の十字軍」を壊滅させる。
1102年
北宋の蔡京が「元祐党籍碑」を建て、旧法党関係者を追放する。
村上源氏が公卿の過半数を占める。
1103年 – 神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世による最古のラント平和令。
1105年 – 北宋の徽宗皇帝の命により花石綱が始まる。
1106年 – タンシュブレーの戦いで、イングランド国王ヘンリー1世が兄のノルマンディー公ロベール2世を破る。
1107年
堀河天皇が没し、宗仁親王が即位(第74代鳥羽天皇)。
ウェストミンスター合意。
イングランドでの叙任権闘争が終結し、国王ヘンリー1世とカンタベリー大司教アンセルムスが和解。
ノルウェー王シグール1世の十字軍遠征始まる(ノルウェー十字軍。 – 1110年)。
1108年
天仁元年の浅間山噴火。
中国の黄河大氾濫で河北省の鉅鹿が埋没。
1110年代
詳細は「1110年代」を参照
1111年 – イランのホラサン地方トゥースでイスラム神学者ガザーリーが死去。
1112年 – 白河法皇の還暦祝いで「西本願寺本三十六人家集」が宮廷で制作される。
1112年頃 – パガン朝でパーリ語・モン語・ピュー語・ビルマ語の刻まれたミャゼディ碑文が建てられる。
1113年
永久の変。
聖ヨハネ騎士団が認可される(創設は1023年頃か)。
キエフ洞窟修道院の修道士で年代記者ネストルにより『原初年代記』がまとめられる。
1115年
女真族の完顔阿骨打が金を建国。
異端とされたアントウェルペンのタンケルムが殺害される。
ベルナルドゥスによりシトー会系クレルヴォー修道院が設立される。
1117年 – ホイサラ朝のヴィシュヌヴァルダナによりチェンナケーシェヴァ寺院(英語版)が建立される。
1118年
アラゴン王アルフォンソ1世のサラゴサ占領。サラゴサはアラゴンの首都となる。
東ローマ皇帝ヨハネス2世コムネノスが即位。姉のアンナ・コムネナの陰謀事件。
1119年 – 金の太祖阿骨打の命により完顔希尹や完顔耶魯らが女真大字を作成(小字は1138年に熙宗により制定)。
1120年代
詳細は「1120年代」を参照
1120年
北宋と金との海上の盟が結ばれる。北宋で方臘の乱が起こる。
『元永本古今和歌集』の写本が書写される。
保安元年の政変。
ホワイトシップの遭難。
1120年頃
ホイサラ朝のヴィシュヌヴァルダナがホイサレシューヴァラ寺院を建立する。
バースのアデラードがアラビア語版エウクレイデス『原論』をラテン語に翻訳する。
1121年 – ソワソン教会会議でアベラールが異端宣告される。
1122年
ヴォルムス協約。
叙任権闘争全般が終結し、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世とローマ教皇カリストゥス2世が和解。
1123年
鳥羽天皇が譲位し、第75代崇徳天皇が即位する。
第1ラテラン公会議。
カタルーニャのボイ渓谷タウル地区のサント・クリメント教会とサンタ・マリア教会が献堂される。
1124年 – 藤原清衡が平泉の中尊寺金色堂を建立。
1125年 – 金が遼を滅ぼす。
1126年
靖康の変により金が北宋を滅ぼす。徽宗・欽宗が金に連行される(二帝北行)。
ナシ族により雲南の麗江古城が造営される。
1127年
欽宗の弟康王趙構(高宗)が南京で南宋を立てる。
新立の荘園を停止する(大治の荘園停止令)。
1128年 – トロワ教会会議でテンプル騎士団が認可される(創設は1119年)。
1129年
白河法皇が没し、鳥羽上皇が院政を開始する。
南宋で明受の変(中国語版)。
1130年代
詳細は「1130年代」を参照
1130年
アナクレトゥスのシスマ。
ノルマン人ルッジェーロ2世が南イタリア・シチリアにシチリア王国を建国。
トランカヴェル家によりカルカソンヌの城塞都市の建設が始まる。
南モロッコのアトラス山脈付近にムワッヒド朝が成立する。
1130年頃 – ノルウェーにあるウルネスの木造教会が建設される。
1131年
コンスタンティノポリス総主教からキエフ大公ユーリー・ドルゴルーキーに「ウラジーミルの聖母」が贈られる。
アマルフィ公国がシチリア王国に併合される。
1132年
遼の皇族耶律大石(徳宗)がエミルにて西遼を建国。
1134年
西遼がカラハン朝を臣従させ、ベラサグン(クズオルド)に都を置く。
南宋が臨安(杭州)に都を定める。
平忠盛が肥前国神埼荘の預所となり日宋貿易に介入する。
1136年 – ノヴゴロド公フセヴォロドが追放される(12世紀のノヴゴロドの革命)。
1137年 – アラゴン王国とバルセロナ伯国の連合によるアラゴン連合王国の成立。
1138年
コンラート3世がホーエンシュタウフェン朝の初代ドイツ王に即位。
シリアのアレッポで死者23万人の大地震。
ポーランド大公ボレスワフ3世クシヴォウスティが死去。
「ボレスワフ3世の遺言状」で年長者相続を決めるも、後継者争いが起こりポーランドの分裂時代始まる。
1139年
オーリッケの戦いに勝利したポルトゥーカレ公アフォンソ1世がポルトガル王を称する。
第2ラテラン公会議。
ナポリ公国がシチリア王ルッジェーロ2世に征服される。
ヘンリ1世の王女マティルダがイングランドに上陸、イングランド王スティーブンと王位を争う(無政府時代)。
1140年代
詳細は「1140年代」を参照
1140年
スコットランド王デイヴィッド1世がイングランドよりカーライルの貨幣鋳造所を支配下に納め、スコットランドで初めてコインを製造。
サンス教会会議(英語版)でのクレルヴォーのベルナールの告発で、アベラールが再び異端宣告される。
ヴァインスベルクの戦いで、ホーエンシュタウフェン家のコンラート3世がヴェルフ家に勝利する。
この戦いでヴェルフ派は「ヴェルフ」とホーエンシュタウフェン派は「ウィーベリン」と呼ばれ、イタリアでは「教皇派(ゲルフ)」と「皇帝派(ギベリン)」と呼ばれるようになる。
高野山から覚鑁らが追われ、豊福寺(後の根来寺の中心寺院)を拠点とする。
1141年
カトワーンの戦いで西遼の耶律大石がセルジューク朝のアフマド・サンジャルに勝利する。
南宋で主戦派の岳飛が和平派の秦檜の陰謀により反逆罪で処刑される。
1142年
南宋と金の紹興の和議。
崇徳天皇が譲位し、第76代近衛天皇が即位。
聖ヨハネ騎士団がクラック・デ・シュヴァリエを獲得。以後大幅な拡張工事を行う( – 1170年)。
1143年
アフォンソ1世が即位、ポルトガル王国成立。
シチリア王国パレルモのマルトラーナ教会が宰相であるアンティオキアのイグナティウスによって建立される。
チェスターのロバートによりクルアーンの最初のラテン語訳がなされる。
1144年
最初のゴシック建築とされるフランスのサン=ドニ大聖堂が完成する(1136年 – )。
イスラム支配下のイベリア半島バレンシア地方シャティバでヨーロッパ最初の製紙工場が作られる。
モースル太守ザンギーが十字軍国家エデッサ伯領を征服する。
1145年
『三国史記』が完成。
シトー会出身最初の教皇エウゲニウス3世が選出される。
1147年
第2回十字軍(-1149年)。ヴェンド十字軍。
ポルトガル王アフォンソ1世がリスボン攻防戦でリスボンをイスラム勢力から奪回。
ムワッヒド朝がマラケシュを占領しムラービト朝を滅ぼす。
祇園闘乱事件。
1148年
シチリア王国が北アフリカのマフディーヤを制圧しズィール朝が滅亡。
1150年代
詳細は「1150年代」を参照
1150年
ゴール朝のアラーウッディーンがカンダハール近郊の戦いでガズナ朝に勝利。
ゴール朝はガズナを占領し、ガズナ朝はパンジャーブ地方のラホールに遷都。
バレンシア地方のシャティバでヨーロッパ最初の製紙工場が建てられる。
1152年
アリエノール・ダキテーヌがフランス王ルイ7世と離婚し、同年アンジュー伯アンリと再婚する。
シャンパーニュ伯アンリ1世が伯位を継ぐ。シャンパーニュの大市などの振興政策を行う。
1153年
金の海陵王が会寧から燕都へ都を遷す。
1154年
アンジュー伯アンリがイングランド王ヘンリ2世となりプランタジネット朝を開く(アンジュー帝国)。
シチリア王ルッジェーロ2世の命によりイドリースィーが世界地図「タブラ・ロジェリアナ」を完成させる。
東ローマ皇帝マヌエル1世がイタリア遠征を行うが失敗。
1155年
スウェーデン王エーリク9世のフィンランド遠征。北方十字軍始まる。
オーストリア辺境伯ハインリヒ2世がオーストリア公に昇爵。
この時期までにハインリヒ2世はクロスターノイブルクからウィーンへ遷都する。
ローマから急進的改革者アルノルド・ダ・ブレシアが追放され火刑に処せられる。
近衛天皇が死去し、第77代後白河天皇が即位。
1156年
保元の乱。
鳥羽法皇が死去し、兄崇徳上皇と弟後白河天皇の対立が激化。
源氏平氏の諸将が白河北殿を襲撃し炎上、後白河天皇側が勝利。
藤原頼長は横死、崇徳上皇は讃岐国に配流される。
信西を中心とした保元新制が成立。
1157年
スルタンのアフマド・サンジャルの病没により、統一セルジューク朝が滅亡。
ブランデンブルク辺境伯が設置され、アスカーニエン家のアルブレヒト熊公が封じられる。
1158年
後白河天皇が譲位し、第78代二条天皇が即位。
1159年
平治の乱。
三条殿の襲撃により信西政権崩壊、藤原信頼・源義朝らが政権奪取。
平清盛の巻き返しによる六波羅合戦、藤原信頼処刑、源義朝殺害。
ザクセンのハインリヒ獅子公がリューベック市を建設。
1160年代
詳細は「1160年代」を参照
1160年
ウラジーミルの生神女就寝大聖堂が完成する。
南宋で会子が紙幣として発行される。
太皇太后藤原多子が二条天皇のもとに入内する(二代の后)。
平清盛が正三位参議に補任され、武士として初めて公卿となる。
1161年 – 金が南宋との采石磯の戦いで敗北。海陵王が廃位殺害され世宗が即位。
1162年頃 – セーナ朝のバッラーラ・セーナ王がパーラ朝を滅ぼしベンガルを統一。
1163年 – パリのノートルダム大聖堂が着工される(最終的な完成は1345年)。
1164年
平家一門が厳島神社に装飾経を寄進(平家納経)。
南宋と金の隆興の和議(中国語版)(乾道の和議)。
スウェーデンのガムラ・ウプサラに大司教座が置かれる。
1165年
二条天皇が譲位し、第79代六条天皇が即位。
後白河院により蓮華王院が完成する。
1165年頃 – 東ローマ皇帝マヌエル1世コムネノスのもとに司祭王ヨハネス(プレスター・ジョン)を差出人とする書簡が届けられる。
1166年
フランスのケルシー地方ロカマドゥールにて聖アマドゥールの聖遺物が発見される。
ハインリヒ獅子公がニーダーザクセンのブラウンシュヴァイクに獅子像(英語版)を建てる。
1167年
平清盛が太政大臣となる。
日本僧重源が南宋に渡る。
南フランスのカラマンにてカタリ派の教会会議が開催される。
この会議を主催したのは東方から来たボゴミル派(ドラゴヴィツァ派)のニケタスとされている。
1168年
朱熹と陸九淵の鵞湖の会がもたれる。
日本僧明菴栄西が南宋に渡る。栄西と重源が合流しこの年に日本に帰国。
六条天皇が譲位し、第80代高倉天皇が即位。平清盛が出家し福原に退隠し、六波羅館を息子重盛が継承。
ロスキレ司教アブサロンの指揮でデンマーク軍がスラブ系異教徒ラーン人の根拠地リューゲン島を征服。
ファーティマ朝宰相シャーワルが十字軍に対抗する焦土作戦でフスタート市を焼き尽くす。
1169年
エジプトでサラーフッディーンがファーティマ朝の宰相となる。
シチリア島のエトナ山で大噴火。
1170年代
詳細は「1170年代」を参照
1170年
カンタベリー大司教トマス・ベケット暗殺事件。
殿下乗合事件。
1171年
エジプトのファーティマ朝が断絶。代わってサラーフッディーンがアイユーブ朝を興す。
イングランド王として初めてヘンリ2世がアイルランドに上陸し東海岸地帯を支配。
1172年 – 南宋孝宗皇帝の兄で明州刺史の趙伯圭から日本の後白河法皇と平清盛に供物が届けられる。
1173年 – ピサの斜塔が着工される(最終的な完成は1372年)。
1174年
平清盛が大輪田泊(神戸)に経が島(経ヶ島)を築く。
シチリアのパレルモ・モンレアーレ大聖堂が完成する。
1176年
レニャーノの戦いで、ロンバルディア同盟が神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世に勝利。
ミュリオケファロンの戦いで、ルーム・セルジューク朝軍が東ローマ皇帝マヌエル1世に勝利。
1177年
後白河法皇の側近達が鹿ケ谷の陰謀を企てるが失敗。安元の大火(太郎焼亡)。
カスティーリャ王アルフォンソ8世が要塞都市クエンカを占領。
モンジザールの戦いで、エルサレム国王ボードゥアン4世がサラーフッディーンに勝利する。
1178年
治承の大火(次郎焼亡)。
高倉天皇の中宮徳子が言仁親王(後の安徳天皇)を出産。
1179年
第3ラテラン公会議。この会議の決定でカタリ派が異端とされる。
日本の朝廷で宋銭流通に関する議論が行われる。
『百練抄』にはこの治承三年六月の条に「近日、天下上下病に悩む、これ銭病と号す」との記録がある。
治承三年の政変で、後白河法皇が幽閉される。
1180年代
詳細は「1180年代」を参照
1180年
ゲルンハウゼン帝国議会。
神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世が、ザクセン・バイエルン公ハインリヒ3世を帝国追放刑に処し所領を没収。
バイエルンはヴィッテルスバッハ家が、ザクセンはアスカーニエン家が領有する。
レバノンのマロン派教会が教会合同でローマ教会に復帰する。
高倉天皇が譲位し、第81代安徳天皇が即位。福原行幸。
治承・寿永の内乱(源平合戦)の始まり。
以仁王が令旨を下し挙兵(以仁王の挙兵)、源頼朝ら各地の源氏が平氏に対して挙兵。
石橋山の戦い、頼朝の鎌倉入り、富士川の戦い。
1181年
南都焼討、平清盛死去、養和の大飢饉。
クメール朝カンボジア国王にジャヤーヴァルマン7世が即位。
最初の仏教信者の王としてアンコール・トム(バイヨン・象のテラス・ライ王のテラス他)の都城を建設。
ハンガリー国王ベーラ3世がザダル(ザラ)を含むアドリア海沿岸のダルマティア地方を占領する。
1182年
アンドロニコス・コムネノスが東ローマ帝国皇太后マリアを殺害。
皇太后暗殺と同時にコンスタンティノポリス在留のヴェネツィアやジェノヴァなどラテン人も虐殺する(英語版)。
1183年
倶利伽羅峠の戦い、源義仲が京に進軍し平氏が都落ち。
平氏とともに西走した安徳天皇と並立して、第82代後鳥羽天皇が即位。
旅行家イブン・ジュバイルの第1回メッカ巡礼旅行。
1184年
源義仲の没落と平氏追討の再開。
水島の戦い、法住寺合戦、宇治川の戦い、粟津の戦い。
一ノ谷の戦い。
ヴェローナ教会会議(英語版)。
教皇ルキウス3世の勅書「アド・アボレンダム(英語版)」によりカタリ派・ワルドー派・フミリアーティ他が異端とされる。
1185年
治承・寿永の内乱の終結。
屋島の戦い。
壇ノ浦の戦い。
平氏が滅亡、安徳天皇は祖母平時子に抱かれて入水し8歳で崩御。
守護地頭の設置。後白河法皇による東大寺大仏再建の開眼供養が行われる。
元暦地震(文治地震)。
ノルマン系シチリア国王グリエルモ2世が東ローマ帝国のテッサロニキを陥落させる
これで狂乱状態となった首都市民により皇帝アンドロニコス1世が殺害され、コムネノス朝が断絶する。
アセンとペタルの蜂起。第二次ブルガリア帝国が建国され皇帝ペタル4世が即位。
ロシアのイーゴリ公がポロヴェツ族(キプチャク族)に大敗。
1186年
大原御幸。
摂政近衛基通が失脚し、叔父の九条兼実が摂政になる。
摂関家が近衛家と九条家に分裂し、五摂家の始まりとなる。
ラホールのガズナ朝をゴール朝が滅ぼす。
1187年
クレッソン泉の戦い、ヒッティーンの戦い。
アイユーブ朝のサラーフッディーンがエルサレム王国の十字軍を壊滅させる。
エルサレム国王ギー・ド・リュジニャンは捕縛され、エルサレム市街はアイユーブ朝に降伏する。
イスラム教徒のエルサレム占領に対抗し、ザグウェ朝エチオピアの王ゲブレ・マスケルが「新しきエルサレム」である新都ラリベラを造営。
山田寺講堂本尊薬師如来像が興福寺衆徒により強奪される(山田寺仏頭)。
1188年頃
ミュンヘンとブラウンシュヴァイク共同所有となっている「ハインリヒ獅子公の福音書(ドイツ語版)」が完成する。
1189年
スコットランド王ウィリアム1世がイングランドからの主権を回復(カンタベリー協定)。
第3回十字軍(-1192年)。
衣川の戦いで源義経が殺害される。奥州合戦により奥州藤原氏滅亡。
ホイサラ朝のバッラーラ2世が後期チャールキヤ朝を滅ぼす。
1190年代
詳細は「1190年代」を参照
1190年
キリキアのサレフ川で神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世が溺死。
フランス王フィリップ2世がセーヌ川右岸のシテ島近辺に城砦を構える(ルーヴル宮殿の始まり)。
1191年
イングランド王リチャード1世がキプロス島を占領。
アルスフの戦いで、リチャード1世の十字軍がサラーフッディーンを撃退。
イングランドのグラストンベリー修道院の墓地でアーサー王の古墓が発見されたとの報告がなされる。
建久新制。
1192年
源頼朝が征夷大将軍となる(一般的にはこれを以って、鎌倉時代の始まりとされる)。
サラーフッディーンとリチャード1世の休戦協定(ヤッファ協定(英語版))。
十字軍はシリアの海岸の領土とエルサレム巡礼の許可を得るだけにとどまる。
帰国途中のリチャード1世をオーストリア公レオポルト5世が拘束する。
タラーインの戦いで、ゴール朝のシハーブッディーン・ムハンマドがチャーハマーナ朝のプリトヴィーラージャ3世(英語版)に勝利する。
翌年にはデリーを占領しゴール朝の北インド支配が確定、ラージプート勢力は支配に服する。
金の都燕京(北京)の盧溝橋が完成する。
1193年
源頼朝の富士の巻狩り。曾我祐成・曾我時致兄弟が父の仇工藤祐経を討つ(曾我兄弟の仇討ち)。
ゴール朝の将軍ムハンマド・バフティヤール・ハルジーがインドのナーランダ僧院を破却。
1194年
南宋の孝宗(太上皇帝)が死去。皇帝光宗が趙汝愚・韓侂冑らに廃位され寧宗が即位(紹熙の内禅)。
ホラズム・シャー朝がセルジューク朝を滅ぼし、イラン・イラクを制圧。
神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世のシチリア遠征。パレルモは降伏しオートヴィル朝は断絶。
1195年
アラコルスの戦い(英語版)でムワッヒド朝のヤアクーブ・マンスールがカスティーリャ軍に勝利。
東ローマ皇帝イサキオス2世が廃位され、弟のアレクシオス3世が即位。
南宋の宰相趙汝愚が韓侂冑により罷免され失脚する。
1196年
慶元の党禁により朱熹の学派が弾圧される。
高麗で崔忠献の武臣政権が成立。
建久七年の政変。
1197年
ムワッヒド朝のヤアクーブ・マンスールが哲学を禁止し哲学者イブン・ルシュドを追放。
1198年
後鳥羽天皇が譲位し、第83代土御門天皇が即位。
プシェミスル朝のボヘミア公オタカル1世が陞爵してボヘミア王となる。
教皇インノケンティウス3世がフランス国王フィリップ2世を離婚問題から聖務停止に処す。
修道士ヨアキムがカラブリア地方のシラ山にフィオーレ修道院を建立する。
1199年
ハーリチ・ヴォルィーニ大公国(ガリツィア・ロドメリア大公国)が成立。
イングランド王リチャード1世が死去、弟ジョンが国王となる。
教皇インノケンティウス3世がドイツ騎士団を騎士修道会として認可する。
源頼朝が死去。
息子の頼家が左中将になり家督を継ぐ。十三人の合議制が敷かれる。
三左衛門事件で文覚らが佐渡に流される。
1200年代
1200年
朱熹が死去。
梶原景時の変。
北条政子が明菴栄西を開山に招き鎌倉寿福寺を創建。