16世紀

1501年
サファヴィー教団のイスマーイール1世が白羊朝を破りタブリーズを占領(サファヴィー朝の成立)。
1501年頃
雪舟の「天橋立図(京都国立博物館蔵)」が描かれる。
1502年
クリミア・ハン国に都サライを攻略されジョチ・ウルス(大オルダ)が滅亡する。
ヴィッテンベルク大学が創建される。
1503年
チェリニョーラの戦いで、スペインがナポリを征服。
アレクサンデル6世死去。後継教皇としてピウス3世、続いてユリウス2世が即位。
教皇アレクサンデル6世の息子チェーザレ・ボルジアが失脚する。
1504年
立河原の戦い。
イオシフ・ヴォロツキイ(英語版)らによる教会会議でロシアにおける異端者への厳罰が決定される。
1505年
明の正徳帝が第11代皇帝に即位。
スリランカにポルトガル人が到来、コロンボに要塞を築き、海岸地帯を占領(ポルトガル領セイロン) 。
1506年
燕山君がクーデターにより失脚し中宗が即位(中宗反正)。
1507年
細川政元が暗殺される(永正の錯乱)。
シャイバーニー朝によりティムール朝ヘラート政権が崩壊。
ポルトガルがモザンビーク島に要塞を築く。
マルティン・ヴァルトゼーミュラーの『世界誌概説』が出版され、その世界地図に「アメリカ」の名称が初めて用いられる。
1508年
亡命していた室町幕府第10代将軍足利義稙が上洛し将軍に復帰。
1509年
ディーウ沖の海戦でポルトガルがマムルーク朝・グジャラート・スルターン朝らのイスラム勢力に勝利しインド洋の覇権を握る。
1510年代
詳細は「1510年代」を参照
1510年
メディチ家出身のレオ10世が教皇になる。
ポルトガルがインドのゴアを占領。
サファヴィー朝のイスマーイール1世がメルヴ近郊でシャイバーニー朝のムハンマド・シャイバーニーを敗死させる。
ダヤン・ハーンがモンゴルを再統一。
明で安化王の乱。
朝鮮で三浦の乱。
1511年
ポルトガルがマラッカを占領。
スペインがキューバを占領、ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャルがキューバ総督となる。
前将軍足利義澄が水茎岡山城で死去。船岡山の戦いで勝利した細川高国・大内義興政権が成立。
1512年
ティムール朝のバーブルがサマルカンドを放棄。以後、中央アジアからインドに進出。
アラゴン王フェルナンド2世がパンプローナを含むピレネー以南のナバラ王国を占領(1515年に併合)。
旅行家レオ・アフリカヌスがソンガイ王国の都トンブクトゥを訪問する。
1513年
オスマン朝で「ピーリー・レイースの地図」が作成される。
1514年
チャルディラーンの戦いでオスマン朝がサファヴィー朝に勝利。
1515年
ウィーン二重結婚。
フランス王フランソワ1世即位。ミラノ公国を占領しスフォルツァ家を追放。
ポルトガルがホルムズ島を占領。
インドのゴアからポルトガル王マヌエル1世にインドサイが贈られる。
1516年
ヴェネツィアにゲットーが設置される。
マルジュ・ダービクの戦いでオスマン朝がマムルーク朝に大勝する。
ボローニャの政教協約でフランスの国家教会主義(ガリカニズム)が完成する。
1517年
マルティン・ルターの「95ヶ条の論題」(宗教改革の発端)。
リダニヤの戦いでオスマン朝のセリム1世がマムルーク朝を滅ぼす。
エルナンデス・デ・コルドバのユカタン半島上陸。
1518年
ストラスブールで「舞踏のペスト(英語版)」と呼ばれる集団ヒステリー事件発生。
ベーメンで採掘された銀をもとにヨアヒムスターラー銀貨(最初のターラー銀貨)が発行される。
フアン・デ・グリハルバのメキシコ東部遠征、トゥルム他でマヤ系先住民と接触。
1519年
スペイン王カルロス1世が神聖ローマ皇帝カール5世として即位。
神聖ローマ皇帝カール5世の支援を得て、フェルディナンド・マゼランが世界周航のためにセビリアから出帆する。
明で寧王の乱。

1520年
オスマン帝国でスレイマン1世即位。オスマン帝国の全盛期。
イングランド王ヘンリー8世とフランス王フランソワ1世の会見(金襴の陣)。
デンマークによるストックホルムの血浴。
フェルディナンド・マゼランがパタゴニアを経由してマゼラン海峡を発見し太平洋へ到達。
1521年
フェルディナンド・マゼランが太平洋経由でフィリピンへ到達。
マクタン島の戦いでイスラムの部族長ラプ=ラプ率いる軍に敗れマゼランは戦死。
エルカーノらマゼランの部下たちはインド洋・大西洋を経てスペインに帰国し、世界周航を達成する。
アステカ帝国がエルナン・コルテスにより征服される。
ヴォルムス帝国議会でマルティン・ルターがカトリック教会との決別を宣言。
議会ではルターを異端者とし、帝国外へ追放するというヴォルムス勅令を公布する。
ルターはザクセン選帝侯によりヴァルトブルク城にかくまわれ、新約聖書をドイツ語に翻訳。
将軍足利義稙が出奔し管領細川高国が実権を掌握。
後柏原天皇が即位22年目にして即位の礼を行う。足利義晴が室町幕府第12代将軍となる。
明の嘉靖帝が第12代皇帝に即位。大礼の議の論争が起こる。
1522年
ドイツ騎士戦争。
ロドス島包囲戦でオスマン帝国が勝利。
1523年
スウェーデンがカルマル同盟を脱し独立(ヴァーサ朝 – 1654年)。国王はグスタフ1世。
ツヴィングリの「67ヶ条の論題」。チューリッヒでの宗教改革の始まり。
寧波の乱。
1524年
ドイツ農民戦争。
河越城の戦い(河越夜戦)で、北条氏康軍が上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏の連合軍を破る。
1525年
パヴィアの戦いでフランス王フランソワ1世が神聖ローマ皇帝カール5世により捕虜になる。
ポーランド王ジグムント1世がドイツ騎士団総長アルブレヒトを臣従させる。
1526年
後柏原天皇が没し、第105代後奈良天皇が践祚。
石見銀山が博多の豪商神屋寿禎により発見される。
続く1533年の灰吹き法の導入により世界的な銀生産地に発展。
インドでバーブルがムガル朝を建国する。
モハーチの戦いで、ハンガリー国王ラヨシュ2世が戦死する。
1527年
ローマの略奪により教皇クレメンス7世が神聖ローマ皇帝カール5世に屈服。
事実上のイタリアでの盛期ルネサンスの終了。技巧と奇想にあふれるマニエリスム様式が広がる。
ヴェステロースでの議会によりスウェーデンでルター派が国教とされる。
黎朝の王位が莫登庸により簒奪される。
三好元長が足利義維の堺政権を樹立(堺幕府)。
1528年
コルテスがスペインに一時帰国し国王カルロス1世にカカオその他の新大陸の産物を献上。
1529年
貴婦人の和約(カンブレーの和約)。
神聖ローマ帝国の首都ウイーンがオスマン帝国に包囲される(第一次ウィーン包囲)
マールブルク会談においてルター派とツヴィングリ派が聖餐論をめぐり決別。
サラゴサ条約。
ヴィシュワナート・ナーヤカがマドゥライ・ナーヤカ朝の君主として即位( – 1563年)。
この君主の時代に都マドゥライにインドで最大級のヒンドゥー教寺院であるミーナークシ寺院の建立が始まる。

1530年
フィリップ・メランヒトンが「アウクスブルク信仰告白」を起草する。
聖ヨハネ騎士団がマルタ島を領有する(マルタ騎士団)。
人文学者ギヨーム・ビュデがフランソワ1世に進言して「王立教授団(コレージュ・ド・フランスの前身)」が設立される。
1531年
天王寺の戦い(大物崩れ)で細川高国政権崩壊。
琉球王国最古の歌謡集『おもろさうし』第一回結集。
世界最古の先物取引が行われた証券取引所としてアントウェルペン証券取引所が創設される。
メキシコで「グアダルーペの聖母」が出現。
1532年
享禄・天文の乱により三好元長の堺政権(堺幕府)崩壊。
この混乱で畿内各地を一向一揆が攻撃、奈良の興福寺ほかを略奪炎上させる。
細川晴元・六角定頼・法華一揆ら反対派が結集し、山科本願寺を焼き討ち。
1533年
石山本願寺(大坂御坊)が本願寺教団の本山になる。
ベトナムで黎朝と莫朝が分裂し、南北朝時代が始まる( – 1592年)。
インカ帝国がフランシスコ・ピサロにより征服される。
フランス王子アンリ(後のアンリ2世)とカトリーヌ・ド・メディシスの婚姻。
イングランド王ヘンリー8世がキャサリン・オブ・アラゴンと離婚、アン・ブーリンと再婚。
アルジェリアのバルバロス・ハイレッディンがオスマン朝に帰服し、提督(パシャ)となる。
1534年
イングランド国教会の成立。
教皇クレメンス7世がイングランド王ヘンリー8世を破門。
ヘンリー8世が国王至上法を発布し、イングランド国教会がカトリック教会から分離。
ジャック・カルティエ第1回探検行。
イグナチオ・デ・ロヨラらイエズス会を結成。
フランスで檄文事件。
再洗礼派によるミュンスターの反乱。
1535年
ジャック・カルティエ第2回探検行。イロコイ族の村落オシュラガの山をモンロワイヤルと命名。
ミラノのスフォルツァ家断絶。ミラノはハプスブルク家に支配される。
ヘンリー8世の離婚に反対したジョン・フィッシャーやトマス・モアが処刑される。
スペインがチュニスを占領し、ハフス朝を保護下に置く。
スペインがメキシコシティを首都にヌエバ・エスパーニャ副王領を設置。
1536年
イングランド王ヘンリー8世がウェールズを併合。
ジャン・カルヴァンの『キリスト教綱要』が出版され、カルヴァンはジュネーヴにて宗教改革を行う。
天文法華の乱。
1537年
スペインの探検団がパラグアイ川畔にヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・アスンシオンを建設(現パラグアイの始まり)。
教皇パウルス3世が回勅「スブリミス・デウス」で新大陸先住民を奴隷とすることを禁止する。
1538年
プレヴェザの海戦で、オスマン帝国艦隊がスペイン・ヴェネツィア艦隊に勝利し、地中海の制海権を握る。
オスマン帝国ハディム・スレイマン・パシャの遠征。
ディーウ沖海戦で、ポルトガル艦隊がオスマン帝国艦隊に勝利、インド洋の制海権を握る。
1539年
ヴィレル・コトレ勅令。
1540年代
詳細は「1540年代」を参照
1540年
イエズス会がローマ教皇パウルス3世より正式に修道会として認可される。
シェール・シャーがカナウジの戦いでムガル朝を破りデリーとアーグラを占領。北インドでのスール朝の覇権を確立。
1541年
ジャック・カルティエ第3回探検行。
エルナンド・デ・ソトが北アメリカのミシシッピ川に到達。
イングランド王ヘンリー8世がアイルランド王国国王を名乗る。
ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂祭壇壁画『最後の審判』が完成する。
レーゲンスブルク帝国議会(英語版)。
オスマン帝国のブダ占領。
ハンガリーはオスマン帝国領、オスマン帝国配下のトランシルヴァニア公国領、ハプスブルク帝国領に三分割される。
1542年
明で嘉靖帝暗殺未遂事件(壬寅宮変または宮婢の変)。
アルタン・ハンが山西省に侵入し各地で虐殺・略奪する。
この年までにイングランドの全ての修道院が解散され、王室による財産没収が完了。
スペインがリマを首都にペルー副王領を設置。
ラス・カサスの『インディアスの破壊についての簡潔な報告』が公表され、インディアス新法が制定される。
1543年
種子島にポルトガル人が来訪、日本へ鉄砲伝来。
ニコラウス・コペルニクスが『天体の回転について』で地動説・太陽中心説を発表。
ニコロ・フォンタナ・タルタリアが最初の近代語訳(イタリア語訳)エウクレイデス『原論』を刊行。
解剖学者アンドレアス・ヴェサリウスが『ファブリカ (人体の構造)(英語版)』 を刊行。
ムガル朝のフマーユーンがシンドから逃亡し、サファヴィー朝のタフマースブ1世のもとに亡命。
タナ湖周辺のワイナ・ダガでの戦いでエチオピア・ポルトガル連合軍がイスラム軍を撃退。
1544年
ルター訳聖書(新約聖書・旧約聖書全巻)の刊行。
ケーニヒスベルク大学創設。
1545年
スペイン人によりポトシ銀山が発見される。
教皇パウルス3世によりトリエント公会議が召集される。
教皇の至上権の再確認、禁書目録を定めて異端弾圧の強化
1546年
シュマルカルデン戦争。
足利義輝が室町幕府第13代将軍となる。
アントニオ・メンドーサによりメキシコの鉱山都市グアナファトが築かれる。
1547年
イングランドがスコットランドを攻撃して破る。
イヴァン4世がロシア皇帝(ツァーリ)として即位。
1548年
イグナチオ・デ・ロヨラの『霊操』が出版される。
スコットランド女王メアリーがフランスへ亡命。
メキシコのサカテカス銀山が開かれる。メキシコのシルバー・ラッシュ始まる。
大内氏による最後の遣明船が北京に入城する。
1549年
フランシスコ・ザビエルの鹿児島来訪により、日本にキリスト教が伝来。
国王エドワード6世のもとイングランドで一般祈祷書が制定される。
チューリッヒ一致信条で、ツヴィングリ後継者ハインリヒ・ブリンガーとカルヴァンが改革派教会合同を行う。
江口の戦いで細川(晴元)政権が崩壊、三好長慶による三好政権が畿内に成立。
1550年代
詳細は「1550年代」を参照
1550年
庚戌の変でアルタン・ハーンが北京を包囲。
平戸に初めてポルトガル商船が入港。ザビエルの平戸上陸。
ラス・カサスとフアン・ヒネス・デ・セプルベダのバリャドリード論争。
ジョルジョ・ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』が刊行される。
1551年
ザビエルが山口での布教許可を得て、南蛮寺(大道寺)を建てる。大寧寺の変で陶晴賢が大内義隆を滅ぼす。
ローマのグレゴリアン大学が創建される。
南米最古の王立サンマルコス大学がリマに創建される。
ロシアのストグロフ教会会議(英語版)(百章教会会議)で非所有派(英語版)が排斥される。
1552年
ロシアのイヴァン4世がカザン・ハン国を征服。
ザビエルが広州港外の上川島にて死去。
1553年
嘉靖の大倭寇始まる。
イングランド王エドワード6世死去。ジェーン・グレイの即位を阻み、女王メアリー1世が即位。
1554年
甲相駿三国同盟(善徳寺の会盟)締結。
イングランド女王メアリー1世とスペイン王子フェリペ(後の国王フェリペ2世)の結婚。
1555年
アウクスブルクの和議。ルター派の信仰が認められる。
厳島の戦いで毛利元就が陶晴賢を滅ぼす。
ムガル朝のフマーユーンがスール朝を倒し、デリーを奪回する。
イングランド最初の勅許会社であるモスクワ会社が設立される。
1556年
明で華県地震。
ロシアのイヴァン4世がアストラハン・ハン国を征服。
ムガル帝国でアクバル即位。第二次パーニーパットの戦いでスール朝残党軍を破る。
カール5世の退位により、息子フェリペ2世がスペイン王を、弟フェルディナント1世が神聖ローマ皇帝を分割して継承。カール5世はスペインのユステ修道院に隠棲する。
ローマのナヴォーナ広場でポンポニオ・アルジェリオ(英語版)が処刑される。
1557年
後奈良天皇が没し、第106代正親町天皇が践祚。
ポルトガルのマカオ永久居留権が明に認められる。
スペインで第1回目の国家破産(国庫支払い停止宣言:バンカロータ)。
スペインの国家破産は国王フェリペ2世在世中の1557年、1560年、1575年、1596年の4回起きる。
1558年
フランスがイングランドからカレーを奪回。
エリザベス1世がイングランド女王に即位。
リヴォニア戦争で、ポーランド・スウェーデンとロシア・ツァーリ国(モスクワ大公国)とが戦う( – 1583年)。
ミマール・スィナンの建築によるスレイマニエ・モスクが完成する。
1559年
カトー・カンブレジ条約の締結によりイタリア戦争が終結。
教皇パウルス4世の命によりローマ宗教裁判所から『禁書目録』が刊行される。
ジュネーヴ大学創建。
嘉靖の大倭寇の中心人物だった王直が処刑される。
1560年代
詳細は「1560年代」を参照
1560年
桶狭間の戦いで、織田信長が今川義元を滅ぼす。
アンボワーズの陰謀。
エディンバラ宗教会議により、ジョン・ノックスらによる「スコットランド信仰告白」が承認される。
1561年
スペイン国王フェリペ2世がバリャドリッドからマドリードに宮廷を遷す。
フランスからスコットランドへ女王メアリーが帰国。
上杉政虎(謙信)が関東管領に就任。川中島の戦い(八幡原の戦い)。
イエズス会士ガスパル・ヴィレラが「イエズス会日本通信」書簡で堺を「東洋のベニス」として紹介する。
1562年
ヴァシーの虐殺からユグノー戦争が始まる。
明の内閣大学士厳嵩が弾劾され、徐階が首輔となる。
1563年
トリエント公会議が閉会する。
エリザベス1世のもとでイングランド国教会の39ヶ条が制定される。
タウングー朝ビルマのバインナウン王がアユタヤ朝タイを攻撃して都アユタヤを占領する。
1564年
ムガル皇帝アクバルがヒンドゥー教徒へのジズヤ(人頭税)を廃止する。
ロシア皇帝イヴァン4世が退位を宣言。
1565年
ロシア皇帝イヴァン4世の復位宣言、オプリーチニナ制度を導入。
アルタン・ハーンがフフホト(帰化城)を建設。
永禄の変で、三好三人衆と松永久秀により将軍足利義輝が殺害される。
ターリコータの戦いで、デカンのムスリム5王国同盟が南インドのヴィジャヤナガル王国に勝利する。
アンドレス・デ・ウルダネータがセブ島からメキシコへの航路を開発(マニラ貿易・アカプルコ貿易の始まり)。
マルタ包囲戦でマルタ騎士団がオスマン帝国軍を撃退。
1566年
戸部主事海瑞が嘉靖帝に諫言して投獄される。
月山富田城の戦いで毛内元就が尼子義久を降伏させる。
皇帝イヴァン4世のもとロシア初の印刷所が造られ、『使徒行伝』が発行される。
1567年
明で嘉靖帝が死去。
息子の隆慶帝が第13代皇帝に即位。海瑞が釈放される。
日本との往来を除いて明が海禁を緩和し、福建省漳州月港(中国語版)が開港(隆慶開関(中国語版))。
東大寺大仏殿の戦いで大仏殿が炎上する。
稲葉山城の戦いに勝利した織田信長が岐阜を根拠地とする。
スコットランド女王メアリが廃位され、息子ジェームズ6世が即位。翌1568年にメアリはイングランドに亡命。
スペイン支配下のネーデルラント総督にアルバ公が着任。
1568年
三好政権から織田政権へ。
三好三人衆に擁立された足利義栄が室町幕府第14代将軍となる。
観音寺城の戦い。三好残党は阿波に落ち延びるが、その途上将軍義栄が病死。
織田信長が足利義昭を奉じて京に入り、足利義昭が室町幕府第15代将軍となる。
スペインのモリスコによるアルプハラスの反乱(英語版)。
トルダの勅令。
1569年
メディチ家のコジモ1世がトスカーナ大公となる(トスカーナ大公国)。
ビルマ系タウングー朝のバインナウン王がアユタヤ朝の首都アユタヤを制圧する。
越相同盟により、足利義氏が古河公方となり、上杉謙信の関東管領が承認される。
1570年代
詳細は「1570年代」を参照
1570年
ローマ教皇ピウス5世がイングランド女王エリザベス1世を破門(「レグナンス・イン・エクスケルシス」)。
ロシアのイヴァン4世によるノヴゴロド虐殺。
石山合戦が始まる。姉川の戦い。
大村純忠がポルトガルとの貿易拠点として長崎を開港。
1571年
スペイン人ミゲル・ロペス・デ・レガスピがフィリピンのマニラを占領。
ポルトガル王セバスティアン1世による日本人奴隷禁止の命令。
レパントの海戦で、ヨーロッパ連合艦隊がオスマン帝国艦隊に勝利。
クリミア・ハン国がモスクワを焼き払う(モスクワ大火 (1571年)(英語版))。
隆慶和議により明とモンゴルの和平が成立、アルタン・ハンは順義王の称号を得る。
比叡山焼き討ち。
1572年
明の万暦帝が第14代皇帝に即位。張居正の改革始まる。
サンバルテルミの虐殺。
フランス国王シャルル9世の妹マルグリットとナヴァル王アンリの結婚から発生。
ナールデンの虐殺(英語版)
ロシアのイヴァン4世がオプリーチニナ制度の廃止を宣言。
ポーランド・リトアニア国王ジグムント2世が男系嗣子なくして死去、ヤギェウォ朝断絶。
1573年
三方ヶ原の戦い、一乗谷城の戦い、小谷城の戦い。
上京焼き討ち、槇島城の戦い、織田信長の将軍足利義昭追放により室町幕府滅亡。
セイム(ポーランド議会)がフランス王子アンリを国王ヘンリク・ヴァレジに選出、ヘンリク条項が採択される。
1574年
オスマン帝国がハフス朝を滅ぼしチュニジアを併合。
ムガル皇帝アクバルがアーグラからファテープル・シークリーに遷都。
越前一向一揆蜂起する。
織田信長が「蘭奢待」を切り取る。織田信長が「洛中洛外図屏風(上杉本)」を上杉謙信に贈る。
1575年
長篠の戦い。
織田信長が越前一向一揆を鎮圧する。
1576年
織田信長が安土城を築く。
イエズス会士オルガンティノにより京都に最初の教会である南蛮寺が建てられる。
足利義昭が毛利輝元を頼り、その勢力下の備後国鞆に移る(鞆幕府)。
1577年
信長が紀伊雑賀一揆を攻める。安土城下を楽市とする。
手取川の戦いで上杉謙信が信長に大勝。信貴山城の戦いで松永久秀が自殺。
1578年
御館の乱。有岡城の戦い。
アルカセル・キビールの戦い。
アルタン・ハーンがソェナムギャツォを招聘し「ダライラマ(3世)」の称号を贈る。
1579年
オスマン帝国大宰相ソコルル・メフメト・パシャが暗殺される。
ネーデルラント南部10州がスペインに帰順しアラス同盟を結成。北部7州は反発しユトレヒト同盟を結成。
天正伊賀の乱。
1580年代
詳細は「1580年代」を参照
1580年
石山合戦が終結し、顕如が石山を退去。大村純忠が長崎をイエズス会に寄進する。
スペインがポルトガルを併合し、アジア航路も支配下に置く。
フランシス・ドレークが二番目の世界周航を達成。
ムガル皇帝アクバルがイエズス会士ロドルフォ・アクワヴィヴァらを招聘し布教を許可する。
1581年
ネーデルラント連邦共和国(オランダ)がスペイン統治権の否認を宣言。
スウェーデン国王ヨハン3世が兼任するフィンランド大公が設置される。
ロシア皇帝イヴァン4世が皇太子イヴァンを誤って殺害する。
織田信長による京都御馬揃え。
1582年
織田政権から羽柴政権(豊臣政権)へ。
天目山の戦い、備中高松城の戦い、三職推任。
本能寺の変、山崎の戦い、清洲会議。
天正遣欧少年使節が長崎を出港。
明の内閣大学士張居正が死去、万暦帝の親政が始まる。
教皇グレゴリウス13世がグレゴリオ暦を発布。
チュヴァシ岬の戦いで勝利したイェルマークがシビル・ハン国の都カシリクを制圧する。
1583年
賤ヶ岳の戦い、北ノ庄城の戦い、羽柴秀吉が大坂城を築く。
神聖ローマ皇帝ルドルフ2世がプラハに遷都。
ケルン大司教(選帝侯)ゲプハルト1世が結婚を機にカルヴァン派に改宗し、ケルン戦争が起こる( – 1588年)。
1584年
小牧・長久手の戦い。
スペインのエル・エスコリアル宮殿が完成する(1563年 – )。
スペイン王フェリペ2世が天正遣欧少年使節を歓待する。
デルフトでオラニエ公ウィレムが暗殺される。
ロシアでノヴォ・ホルモゴイ(現アルハンゲリスク)港が開かれる。
ムガル皇帝アクバルがファテープル・シークリーからラホールに遷都。
1585年
紀州征伐で根来寺炎上。四国征伐で長宗我部元親が降伏。関白相論から羽柴秀吉が関白になる(武家関白制)。
教皇グレゴリウス13世が天正遣欧少年使節を歓待する。
フランスで三アンリの戦い( – 1588年)。
パルマ公のスペイン軍がアントウェルペンを制圧。アントウェルペンの繁栄の終焉。
ハルハ部のアブタイ(アバダイ)によりカラコルム近郊に最古の仏教寺院エルデネ・ゾー(エルデニ・ジョー)が建てられる。
1586年
正親町天皇が譲位し、第107代後陽成天皇が即位。
羽柴秀吉が豊臣の姓を賜り太政大臣となる。徳川家康が豊臣秀吉に臣従する。
1587年
九州征伐で島津義久が降伏。バテレン追放令。京都聚楽第が完成。北野大茶湯。
前スコットランド女王メアリ・スチュアートがエリザベス1世暗殺未遂容疑で処刑される。
1588年
後陽成天皇の聚楽第行幸。豊臣秀吉が刀狩令と海賊停止令を出す。天正大判の鋳造。
アルマダの海戦で、スペイン無敵艦隊がイングランドに敗北。
カトリック同盟のギーズ公アンリ1世と枢機卿ルイ・ド・ロレーヌの兄弟が国王アンリ3世の命令で暗殺される。
1589年
摺上原の戦い。
フランス国王アンリ3世が暗殺されヴァロワ朝が断絶。アンリ4世が即位しブルボン朝を開く。
モスクワ総主教座が設置される。
1590年代
詳細は「1590年代」を参照
1590年
豊臣秀吉の全国統一の完成。
小田原征伐による後北条氏滅亡。徳川家康が関東八州に移封され江戸城に入る。
奥州仕置により東北諸大名を帰順させる。関東や東北にも太閤検地が進む。
京都改造(天正の地割、寺町通の形成、御土居の建設)。
1591年
豊臣秀吉の命令で千利休が切腹する。九戸政実の乱。
ロシア皇帝フョードル1世の弟ドミトリー皇子が謎の死を遂げる。
1592年
豊臣秀吉が甥の秀次に関白を譲る。江戸駿河台の吉祥寺内に学寮(旃檀林)創立。
文禄の役( – 1593年)。
寧夏で哱拝の乱が起こる。
播州で楊応龍の乱が起こる。
スリランカのシンハラ王朝がキャンディに遷都し、仏歯が運ばれる。
1593年
フランス国王アンリ4世がカトリックに改宗する。
シサクの戦いで、クロアチアとカルニオラ(スロベニアの一部)連合軍がオスマン軍を破る。
1594年
ザビエルの墓があるゴアのボム・ジェズ教会が建立される。
1595年
豊臣秀次が謀叛の疑いにより、切腹を命じられる。聚楽第の破却。
豊臣秀吉による京都東山方広寺大仏殿が完成し、千僧供養が行われる。
1596年
サン=フェリペ号事件。
浅間山大噴火。慶長大地震(伊予地震・豊後地震・伏見地震)。
明で鉱税の害(礦税の禍)。
ブレスト合同。ポーランドの宮廷がクラクフからワルシャワに遷る。
1597年
長崎で日本二十六聖人が殉教。
慶長の役( – 1598年)。
後陽成天皇の命により日本最古の活字印刷(慶長勅版)が行われる。
ヤコポ・ペーリらによって最初のオペラ「ダフネ」が作られる。
1598年
フランス王アンリ4世によるナントの勅令。
サファヴィー朝のアッバース1世がイスファハーンに遷都。
ロシア皇帝フョードル1世死去によりリューリク朝断絶。義兄ボリス・ゴドゥノフが皇帝となるが動乱時代を招来。
シビル・ハン国がロシアに滅ぼされる。
醍醐の花見。五大老・五奉行が制度化される。豊臣秀吉死去。
朝鮮から日本軍が撤兵する際の露梁海戦で李舜臣が戦死。
イエズス会士マテオ・リッチが北京に入城する。
1599年
南京にてイエズス会士マテオ・リッチが陽明学左派の思想家李卓吾と会見。
建築家ドメニコ・フォンターナがポンペイ遺跡を発見。
シギスムンド(ジグムント3世)がスウェーデン王位を廃され、ポーランド王位のみに残留。
これによりヴァーサ家はスウェーデン系とポーランド系に分裂する。
カラブリア地方での反スペイン蜂起の企てで思想家カンパネッラが逮捕される( – 1626年)。
1600年代
詳細は「1600年代」を参照
1600年
関ヶ原の戦い。
豊後国臼杵にオランダ船リーフデ号が漂着する。
教皇クレメンス8世がイエズス会にのみ認められていた日本での宣教活動を全ての修道会に認める。
ローマのカンポ・デ・フィオーリ広場(英語版)にてジョルダーノ・ブルーノ刑死。
イギリス東インド会社設立。
フランス王アンリ4世がメディチ家のマリー・ド・メディシスと結婚。