ローマでの貴族と平民間の身分間闘争
ローマはイタリア中部にある世界でもかなり有名な都市ですね。
ローマはもともとは小さな都市国家で、アテネなどのギリシャポリスたちよりかなり遅れて発展
大国ペルシャやギリシャからするとかなりの後進国、後発の国家であった
「ローマは一日にして成らず」という格言が有名ですが、実際ローマという1つの国が成立するまでにかなりの時間がかかりました。そんな建国から統一まで500年以上
前509年 ラテン人によって共和政ローマが始まる
前753年にローマはラテン人によって建国されました。しかしすぐにエトルリア人という民族によってローマを支配されます
しばらくエトルリア人の王による統治が続きましたが、前509年にエトルリア人の王を追放してラテン人による共和政が始まります。
★共和政とは:要するに君主制の反対の意味で、皇帝や君主が存在しない統治体制のこと。
現在の日本やイギリスは王がいるので君主制、アメリカはいないので共和政と言うことが出来る
パトリキ(貴族)による、政治権力の独占
初期の共和政ローマでは、パトリキ(貴族)による権力の独占
元老院という国の方針を決める機関(今で言う国会)が存在していたのですが、その構成員はなんと300人ものパトリキ(貴族)たち!
元老院での役職として
・コンスル(執政官):行政・軍事の最高政務官(任期1年、2名)
・ディクタトル(独裁官):国の非常時の際に全権限を委譲され舵をとる独裁官(半年任期、1名)
コンスルは基本的には大統領のようなものですが、2人もいます。これはエトルリア人のような独裁王が出現しないようにしたいという貴族たちの思惑です。
が、戦争などの非常時には独裁官という全ての物事を決めてくれる人がいたほうが事がスムーズに運ぶものですから、ディクタトルという役職も用意されています。
一般の元老院議官もコンスルもディクタトルも、全てパトリキ(貴族)から選ばれていました
これで割を食うのがプレブス(平民)です。
貴族で構成された政治家たちが、平民のためになる政治をするはずがないですからね。平民たちは非常に貧しい生活を送っていました。
ですが、平民たちは商工業の発展のおかげで豊かになり始めます。
裕福になったので新しい武器を手に入れて、重装歩兵として戦争で活躍し始めるようになります。
戦争という国家としての義務に、平民が参加するようになったことで、プレブス(平民)の発言力が高まる
アテネの民主政と同じ
2021人間科学