4世紀

301年
9月3日にサンマリノが独立。
アルメニアが世界初のキリスト教国となる。
303年 – ディオクレティアヌスによる最後のキリスト教徒大迫害。
304年 – 匈奴の劉淵が大単于を自称。華北は五胡十六国時代の戦乱に入る。
305年 – ディオクレティアヌスが退位し、テトラルキア体制が動揺する。
ディオクレティアヌスはサロナ近郊のスプリトの宮殿に引退する。
305年頃 – リュコポリスのメリティオス(英語版)がアレクサンドリア教会から分派する(メリティオス派)。
306年 – コンスタンティヌス1世がガリアでローマ皇帝を称す。
309年 – ローマ皇帝コンスタンティヌス1世によりソリドゥス金貨(ノミスマ)が発行される。

310年 – クチャ出身の仏図澄が洛陽に来て仏教を布教。
310年頃 – スリランカのスリー・メーガワンナ(英語版)王の治世第9年にインドのカリンガ国より仏歯が招来される。
311年 – 西晋で永嘉の乱。華北への異民族侵入が激化し洛陽が陥落。
312年 – ミルウィウス橋の戦いで、コンスタンティヌス1世がマクセンティウスに勝利し、帝国西方唯一の皇帝となる。
313年
ローマ皇帝コンスタンティヌス1世とリキニウスがミラノ勅令でキリスト教を公認する。
高句麗が楽浪郡と帯方郡を併合する。
314年 – アルル教会会議でドナトゥス派が排撃される。
315年 – フォロ・ロマーノのコンスタンティヌスの凱旋門が建設される。
316年 – 長安が陥落し西晋が滅亡。
317年 – 琅邪王司馬睿(元帝)が建康を都として東晋を建国(- 420年)。
319年 – 前趙から自立した羯族の石勒が後趙を建国。

320年 – インドでチャンドラグプタ1世がグプタ朝を建国。
322年 – 東晋で王敦の乱( – 324年)。
324年
クリュソポリスの戦いで、西方正帝コンスタンティヌス1世が東方正帝リキニウスに勝利する。
リキニウスは処刑されテトラルキアは完全に崩壊。コンスタンティヌス1世によるローマ帝国の統一。
ローマ教皇シルウェステル1世によりローマのサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の献堂式が行われる。
325年 – 第1回ニケーア公会議(5月20日 – 6月19日)。
最初の全地公会議。アレイオス派を排斥し、ニカイア信条を採択、復活祭の日付を制定。
326年 – 皇帝コンスタンティヌス1世の母ヘレナがキリストの聖遺物を発見しエルサレムに聖墳墓教会が建立される。
327年 – 東晋で蘇峻の乱( – 329年)。

330年
皇帝コンスタンティヌス1世がビュザンティオンをコンスタンティノポリスに改名しローマから都を遷す。
前趙を滅ぼし華北の大半を併せた後趙の石勒が皇帝となる(高祖明帝)。
332年 – ローマ帝国でコロヌスの土地緊縛令。
337年 – ニコメディアでローマ皇帝コンスタンティヌス1世が死去。コンスタンティヌス1世の息子たちでローマ帝国が三分割される
長男コンスタンティヌス2世が帝国西方を、次男コンスタンティウス2世が帝国東方を、三男コンスタンス1世が帝国中央を相続。
338年 – 「建武四年」の銘がある金銅仏坐像(伝河北省石家荘出土、サンフランシスコ・アジア美術館(英語版)蔵)が作られる。
「建武」は後趙石虎の年号で、この像は現時点で紀年銘のある最古の中国の仏像である。
339年 – サーサーン朝のシャープール2世のキリスト教徒迫害が始まる。

340年頃 – 「皇女コンスタンティナの石棺(英語版)」(ヴァティカン美術館蔵)が作られる。
346年 – 朝鮮半島でツングース語族とも扶余語族とも仮説を挙げられている満州の夫余の一派が南下して馬韓を統一し、百済を建国する。
347年 – 東晋の桓温が成漢を滅ぼし四川を併合。
350年代
詳細は「350年代」を参照
350年
アクスム王国(現エチオピア)がキリスト教を国教とする。
冉閔が後趙の石氏ら胡族を虐殺し、漢民族優位の冉魏を建国(冉閔の乱)。
350年頃
アクスム王国がクシュ王国を滅ぼす。
バクトリア地方にキダーラ朝(英語版)が成立する
353年
コンスタンティウス2世がローマを再統一する。
東晋の書家王羲之が曲水の宴を蘭亭で催し『蘭亭序』を書く。
356年 – 新羅で訖解尼師今が死去し昔氏王統が断絶、奈勿尼師今が即位し金氏王統が始まる。
新羅は始皇帝の労役から逃亡してきた秦人を起源とする辰韓諸国の一つでこの時期までに朝鮮半島南東部を統一したとされる。
357年 – 前燕が中原に進出する。これにより高句麗が再起する。
359年 – 「ユニウス・バッススの石棺(英語版)(サン・ピエトロ大聖堂宝物館蔵)」が作られる。

360年
コンスタンティウス2世がコンスタンティノポリスに聖ソフィア大聖堂を建立。
ユリアヌスがルテティアにてローマ皇帝に即位。ルテティアはガリア系パリシイ族の名にちなみパリに改名される。
361年
ユリアヌスがコンスタンティウス2世の死去に伴い首都に入城。「異教」復活政策を開始(背教者ユリアヌス)。
363年
ユリアヌスがペルシア遠征でクテシフォン撤退ののちマランガで戦死。
後継の皇帝ヨウィアヌスはニシビスとシンガラをペルシアのシャープール2世に割譲し退却。
ニシビスのキリスト教徒(シリアのエフレムほか)とその学院はエデッサに逃れる。
ラオディキア教会会議(英語版)。
ガリラヤ地震 (363年)(英語版)でナバテア地方のペトラが甚大な被害。
東晋で桓温による「庚戌土断」が行われる。
364年
ローマ皇帝ヨウィアヌス死去、後継の皇帝ウァレンティニアヌス1世が即位。
365年
皇帝ユリアヌスの従兄弟プロコピウスの反乱。
クレタ島沖を震源地とする大地震が発生。
この地震と津波によりギリシア・シチリア島・エジプト・イベリア半島・リビア(キュレネ・サブラタ)が壊滅的な被害。
366年 – 前秦支配下の敦煌鳴沙山の断崖に僧楽僔が石窟を掘る(敦煌莫高窟の始まり)。
367年 – アレクサンドリア司教アタナシオスが『新約聖書』を現行27文書に限定することを通達(復活祭書簡)。
『新約聖書』から除かれた文書が外典とされ、この時期に『ナグ・ハマディ文書』も隠匿されたか。
369年
倭国が朝鮮半島南部に任那を建国、倭国の北限とする。
石上神宮に所蔵されている七支刀は銘文によるとこの年に作られたか。
第287回オリンピック。記録に残る最後のオリンピック。
370年代
詳細は「370年代」を参照
370年 – 前秦が前燕を滅ぼし華北を統一。
371年 – 百済の近肖古王が平壌へ攻め込み高句麗の故国原王を戦死させる。
372年 – 前秦から高句麗に仏教が伝来する。
373年 – シリアのキリスト教修道士エフレム死去。
375年 – フン族が黒海北岸にいた東ゴート族を圧迫し服属させる。ゲルマン民族大移動の発端。
※人口の増加による耕地不足に加え、アジア系フン人がドン川を越えて西進して黒海北岸の東ゴート人を征服し、西ゴート人を圧迫したため。

376年
インドのグプタ朝でチャンドラグプタ2世が即位する。
後の西ゴート人の前身となるゴート系難民集団がドナウ川を突破しローマ帝国領内に侵入を開始。
378年
コンスタンティノポリスのヴァレンス水道橋が完成する。
ローマ皇帝ウァレンスがハドリアノポリスの戦いで西ゴート人に敗れ戦死。
テオティワカンの将軍シヤフ・カックがティカルを征服し、テオティワカン王族のヤシュ・ヌーン・アイーン1世が即位。

380年 – ローマ皇帝テオドシウス1世がキリスト教を国教と定める(テッサロニキ勅令)
→アタナシウス派キリスト港以外の異教の礼拝を禁止
※大司教の下に司教・司祭・が置かれて聖職者が階層化され五本山と呼ばれる有力な教会が首位権を唱えるなど教会の序列化が進んだ。

380年頃 – 「エスクイリーノの財宝(英語版)(大英博物館蔵)」が埋蔵される。
381年 – 第1コンスタンティノポリス公会議。
アポリナリオス主義を排斥し、三位一体論の定義やニカイア・コンスタンティノポリス信条を採択。
382年
ローマ皇帝グラティアヌスが異教と異教神官の特権を剥奪し、元老院議場から勝利女神ウィクトリアの祭壇の撤去を命じる。
同時にグラティアヌスは「最高神祇官(ポンティフェクス・マクシムス)」の称号を拒否し、この称号は教皇に譲渡される。
ローマ教皇ダマスス1世に命じられヒエロニムスが聖書のラテン語訳に着手する(ヴルガータ、完成は405年頃)。
383年 – 淝水の戦いで、東晋が前秦に勝利する。前秦の苻堅は求心力を失い、以後華北は分裂する。
384年
慕容垂が自立し後燕を建国。
東晋の慧遠が廬山に入り東林寺を創建。
東晋から百済に仏教が伝来する。
アルメニア王国が東西に分割され、それぞれサーサーン朝とローマ帝国の支配下に置かれる。
385年
エジプトのアレクサンドリア市のセラピウム(セラピス神殿)が破壊される。
後秦の姚萇が苻堅を殺害する。
386年 – 鮮卑の拓跋珪(道武帝)が自立し、盛楽を都とする北魏を建国。

390年
慧遠が廬山にて白蓮社を結成する。
テッサロニキの虐殺で、ミラノ司教アンブロシウスが皇帝テオドシウス1世を破門する。
「テオドシウスのオベリスク」がコンスタンティノポリスの競馬場(ヒッポドローム)に建立される。
これはエジプト第18王朝の王トトメス3世がルクソールのカルナック神殿に建てたものを移送したものである。
391年 – 倭軍が渡海して百済・新羅を破り、臣民とする(高句麗広開土王碑)。
392年 – 皇帝テオドシウス1世がローマ帝国内での異教を禁止する。
393年 – 第293回オリンピック。古代オリンピック最後の年といわれるが、記録には残っていない。
394年
フリギドゥスの戦いで、簒奪者エウゲニウスを倒した皇帝テオドシウス1世により東西ローマ帝国が再統合される。
フォロ・ロマーノにあるローマ建国以来燃え続けてきたウェスタ神殿の「ウェスタの聖なる火(英語版)」が消される。
エジプトのフィラエ島イシス神殿に現存する最後のヒエログリフが刻まれる。
395年 – テオドシウス1世が死去し、ローマ帝国が東西に分割相続される。
東ローマ帝国をアルカディウス帝が、西ローマ帝国をホノリウス帝が継承。
東ローマ皇帝の後見者ルフィヌス(英語版)が、西ローマ皇帝の後見者スティリコと対立し殺害される。
396年 – 高句麗の談徳(広開土境好太王)が百済を攻め、その北部を領土とし、城下の誓いをさせる(広開土王碑)。
397年
河西回廊の後涼から南涼・北涼が独立し、姑臧で郭黁の乱が起こる。
第三カルタゴ教会会議で『新約聖書』の選定が確認される。
398年 – 北魏の道武帝が盛楽から平城に都を遷す。
399年
中国の法顕が仏典を求めてインドに赴く。
百済が3年前の誓いに背き、倭と連合して新羅に侵入したため、新羅は高句麗に援助を求める(広開土王碑)。