17世紀の人物

カール12世(スウェーデン)(位1697年〜1718年)
ピョートル1世(ロシア)(位1682年〜1725年)

バルト帝国
北方戦争でロシアと戦う
1700年ナルヴァの勝利
ロシアのピョートル1世がバルト海進出をもくろみ
当初のナルヴァの戦いではスウェーデン軍が勝利した。
1709年 ポルタヴァの敗北
敗れてオスマン帝国に亡命した。ロシア軍の勝因は、前回の敗北にこりたピョートルが火砲中心の装備に切り替えたことであった。

オスマン帝国を動かす
カールはオスマン帝国のスルタンの保護を受けながら再起を図った。
フランスとも提携オスマン帝国軍をロシアに向けようとした。オスマン帝国もまた、ロシアの南下を阻止するためスウェーデンと結ぼうとした。

1710年 ロシア=トルコ戦争
オスマン帝国がロシアに宣戦、戦争はロシア=トルコ戦争に転化した。
ピョートルのロシア軍は戦勝を確信してプルート河畔まで敵陣深く侵攻、オスマン帝国軍に包囲されたが、ピョートルは賄賂で講和に持ち込んで危機を脱した。

万暦帝(位1572~1620年
明末期の皇帝。後半から衰退明らかになる。

明の第14代皇帝廟号が神宗
当初十年は名宰相張居正の改革によって財政再建に成功
→その後宮廷で豪遊

宦官の政治への介入
官僚の反宦官派である東林派との激しい党争
周辺の諸民族の反乱
朝鮮半島への日本の豊臣秀吉の侵略に対する出兵
国内では抗租、奴変、民変などの社会問題

明の衰退がはっきりとしてくる
ヨーロッパ人の渡来も多くなり、イタリア人マテオ=リッチが北京で布教

2012教育