14世紀

1300年代
詳細は「1300年代」を参照
1300年 – 1350年頃
メキシコのミシュテカ族によるオアハカ州モンテ・アルバン7号墓が造営される。
1301年
オゴデイ家のカイドゥが没し、30年にわたるカイドゥの乱が終わる。
後伏見天皇が譲位し、第94代後二条天皇が即位。
北条師時が鎌倉幕府第10代執権に就任。
ハンガリー国王アンドラーシュ3世の死によりアールパード朝が断絶。
イングランド王エドワード1世が王子エドワードに「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を授ける。
イングランド王位継承者としての「プリンス・オブ・ウェールズ」の始まり。
1302年
教皇ボニファティウス8世の回勅「ウナム・サンクタム(唯一聖なる)」。
フランス王フィリップ4世による三部会の招集。
ブリュージュの朝課事件(英語版)と、続く金拍車の戦い(コルトレイクの戦い)でフランドルがフランスから独立。
1303年
アナーニ事件。
マージ・アル・サファーの戦いでマムルーク朝がイルハン朝のシリア進軍を阻止する。
ハルジー朝のアラー・ウッディーン・ハルジーがメーワール王国の都チットールガルを攻撃し滅亡させる。
1305年
元のテムル(成宗)にオゴデイ家とチャガタイ家が服属しモンゴルが再統一される。
嘉元の乱(北条宗方の乱)。
1306年
チャガタイ家のドゥアがアルタイ山脈以西からオゴデイ家を追放し中央アジアを統一。
ボヘミア国王ヴァーツラフ3世の死によりプシェミスル朝が断絶。
ロバート1世がスクーンでスコットランド国王として戴冠する。
1307年
フランス王フィリップ4世が国内のテンプル騎士団団員を一斉に逮捕。
ドルチーノ派指導者フラ・ドルチーノが異端として処刑される。
ハルジー朝のマリク・カーフールの南征始まる。
ヤーダヴァ朝(1307年)、チャンデーラ朝(1309年)、カーカティーヤ朝(1310年)、ホイサラ朝・パーンディヤ朝(1311年)に遠征、貢納を約束させる。
元のテムル(成宗)死去、皇后ブルガンが監国となるも、コンギラト派に打倒され、カイシャン(武宗)が皇帝となる。
ラシードゥッディーンが『集史(ジャーミウッタワーリーフ)』をオルジェイトゥに献呈する(補足分の完成は1314年)。
1308年
神聖ローマ皇帝アルブレヒト1世が甥ヨーハンに暗殺される。
ハンガリー国王カーロイ1世が即位し、ハンガリー・アンジュー朝が成立。
後二条天皇が没し、第95代花園天皇が即位。
守邦親王が鎌倉幕府第9代将軍となる。
ルーム・セルジューク朝滅亡。
1309年
アヴィニョン捕囚(教皇のバビロン捕囚)。
聖ヨハネ騎士団がロドス島を奪取し、ロドス騎士団と呼ばれる。
1310年代
詳細は「1310年代」を参照
1311年
ヴィエンヌ公会議。
イングランドのリンカン大聖堂が完成。
尖塔までの高さは160mで初めてクフ王のピラミッドの高さを超えた建造物となる。
北条宗宣が鎌倉幕府第11代執権に就任。
1312年
北条煕時が鎌倉幕府第12代執権に就任。
ハインリヒ7世がイタリア遠征途上のローマで神聖ローマ皇帝として戴冠される。
ジェノヴァの航海者ランチェロット・マルチェロがカナリア諸島に到達。
1314年
バノックバーンの戦いで、イングランド軍がスコットランド軍に大敗し支配権を喪失。
フランスで「ネールの塔事件」が発覚する。国王フィリップ4世が死去。
1315年
北条基時が鎌倉幕府第13代執権に就任。
元のアユルバルワダ(仁宗)が科挙を復活させる。
モルガルテンの戦いでスイス軍がハプスブルク軍に勝利。
1315年-1321年頃
ヨーロッパで激しい飢饉。→ 小氷期。
1316年
北条高時が鎌倉幕府第14代執権に就任。
1317年
鎌倉幕府が持明院・大覚寺両統の迭立を提案するが不調に終わる(文保の和談)。
アヴィニョン教皇ヨハネス22世が回勅「クォルムダム・エクスィギト(ドイツ語版)」により清貧論争を激化させる。
アヴィニョン教皇ヨハネス22世が回勅「スポンデント・パリテル(英語版)」により錬金術を禁止。
1318年
花園天皇が譲位し、第96代後醍醐天皇が即位。
イル・ハン国宰相であったラシードゥッディーンが処刑される。
マルセイユにおいて教皇と総長に不服従を示したフランシスコ会厳格派(スピリトゥアル派)の修道士が処刑される。
1319年
アルメニア大地震で、アニが壊滅的な被害。
1320年代
詳細は「1320年代」を参照
1320年
デリーでトゥグルク朝が成立。
1320年の羊飼い十字軍(英語版)。
スコットランドでアーブロース宣言を採択、イングランドからの独立が決定的に。
1321年
ダンテ・アリギエーリが『神曲』を完成させ、この年に死去してラヴェンナに葬られる。
東ローマ皇帝アンドロニコス2世に対し孫のアンドロニコスが反乱を起こす( – 1328年)。
1322年
ミュールドルフの戦い(英語版)で、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世がハプスブルク家のフリードリヒ美王に勝利。
安藤氏の内紛から津軽大乱が発生。
1323年
南坡の変で、元の皇帝シデバラ(英宗)が御史大夫テクシに暗殺される。
トゥグルク朝の王子ウルグ・ハーンが南インド遠征でカーカティーヤ朝とパーンディヤ朝を滅ぼし、ホイサラ朝を再服従させる。
1303年とこの年のエジプトの大地震により、アレクサンドリアの大灯台が完全に崩壊する。
この頃、元から日本へ向かう東福寺造営料唐船が現在の韓国全羅南道新安郡沖で沈没(新安沈船)。
1324年
後醍醐天皇の挙兵計画である 正中の変が発覚。
マリ王国のマンサ・ムーサのメッカ巡礼。
1325年
イブン・バットゥータのメッカ巡礼、以後30年にわたる大旅行の始まり( – 1355年)。
アステカ人がテスココ湖の島に都市テノチティトランを築く。
正中の宗論にて、大徳寺の宗峰妙超が南都北嶺の学僧に勝利。
藤沢の清浄光寺(遊行寺)が創建される。
1326年
嘉暦の騒動
北条貞顕が鎌倉幕府第15代執権に就任。わずか10日で辞職。
北条守時が鎌倉幕府第16代執権に就任。
チャガタイ・ハン国の東西分裂。
オッカムのウィリアムが異端宣告を受ける。
1327年
王妃イザベラによりイングランド王エドワード2世が廃位され、息子エドワード3世が即位。
ジェーラムの戦いで、ムハンマド・ビン・トゥグルクがチャガタイ・ハン国を撃破。
キプチャク・ハン国に対するトヴェリ蜂起。
パドヴァのマルシリウスが破門される。
ウルムのツンフト闘争。
1328年
元で天暦の変(中国語版)。
フランスでカペー朝本家が断絶。分家のフィリップ6世が即位しヴァロワ朝が始まる。
ルートヴィヒ4世がイタリア遠征途上のローマで神聖ローマ皇帝として戴冠される。
東ローマ皇帝アンドロニコス2世が退位させられ、孫のアンドロニコス3世が即位。
モスクワ公イヴァン1世が、ウズベク・ハンからウラジーミル大公の位を獲得して、モスクワ大公国に昇格する。
キエフと全ルーシの府主教座がウラジーミルからモスクワに遷される。
イスラム法学者イブン・タイミーヤがダマスクスで獄死する。
1329年
マイスター・エックハルト(1328年に死去)の著作と教説が異端宣告される。
1330年代
詳細は「1330年代」を参照
1330年
イングランド王エドワード3世が母后イザベラとマーチ伯を失脚させる。
1330年頃
吉田兼好が『徒然草』を執筆。
1331年
元弘の乱( – 1333年)。
8月 後醍醐天皇が三種の神器を持って笠置山に入る。笠置山の戦い、赤坂城の戦い。
9月 鎌倉幕府の奏請により、量仁親王が即位して北朝初代光厳天皇となる。笠置落ちの後醍醐天皇が捕らえられる。
10月 後醍醐天皇が神器を光厳天皇に渡す。
元朝で「至順2年の疫病」。
1332年
鎌倉幕府が後醍醐天皇を隠岐島に流す。佐渡で日野資朝が、鎌倉で日野俊基が処刑される。
デンマーク王クリストファ2世死去、デンマークの空位時代始まる( – 1340年)。
1333年
鎌倉幕府の滅亡。
2月 千早城の戦い。後醍醐天皇が隠岐島を脱出し、船上山の戦いで幕府軍を退ける。
5月 足利尊氏が六波羅探題を制圧し、近江国番場蓮華寺で幕府軍を壊滅させる。
5月 新田義貞が鎌倉を陥落させる(鎌倉の戦い)。東勝寺で北条氏一族郎党が自害(東勝寺合戦)。
5月 後醍醐天皇が、光厳天皇と正慶の年号を廃止する。
建武の新政の始まり。
6月 後醍醐天皇が京都に入る。足利尊氏が鎮守府将軍に、護良親王が征夷大将軍になる。
7月 記録所を復置する。
9月 雑訴決断所を設置する。
1334年
二条河原の落書が書かれる。
南禅寺を五山の第一とする。
スコットランド王デイヴィッド2世がフランスに亡命。
1335年
北条時行が中先代の乱を起す。足利直義が鎌倉脱出の際に護良親王を殺害。
ハンガリー王カーロイ1世、ポーランド王カジミェシュ3世、ボヘミア王ヨハンによるヴィシェグラード会議。
アヴィニョン教皇宮殿が建設される( – 1364年)。
イルハン朝のアブー・サイードが暗殺され、フレグ王統は断絶。
1336年
建武政権の崩壊。
1月 後醍醐天皇が足利尊氏追討を命じる(建武の乱)。
箱根・竹ノ下の戦いで足利尊氏が結城親光を滅ぼす。
3月 筑前国の多々良浜の戦いで足利尊氏が菊池武敏を破る。
5月 湊川の戦いで足利尊氏が新田義貞・楠木正成を滅ぼす。
6月 足利尊氏が京都を制圧、千種忠顕や名和長年を滅ぼす。
9月 足利尊氏が擁立した北朝第2代光明天皇が即位する。
光厳院が治天の君となり、土御門東洞院殿が天皇の御所となる(現在の京都御所の原型)。
11月 後醍醐天皇が北朝に三種の神器を渡す。足利尊氏が是円・真恵兄弟を起草者として『建武式目』を定める。
12月 後醍醐天皇が吉野へ逃れる(南北朝分立( – 1392年))。
ハリハラとブッカがトゥグルク朝から独立を宣言し、ヴィジャヤナガル王国を建国。
1337年
イングランドとフランスの間で百年戦争が始まる(-1453年)。
フランドル伯を追放したヤコブ・ヴァン・アルテベルデがフランドル都市連合を結成する。
1338年
室町幕府の成立。
5月 北畠顕家が高師直らと堺浦石津に戦うが敗死。
7月 新田義貞が斯波高経らと越前藤島で戦うが敗死。
8月 北朝が足利尊氏を征夷大将軍(室町幕府初代将軍)とする。
レンゼ選帝侯会議(ドイツ語版)により、神聖ローマ皇帝の選出にローマ教皇の承認は不必要だと決定される。
カザフスタン東南部のバルハシ湖からイシク湖近辺のステップ地帯でペストが発生。
1339年
8月15日、後醍醐天皇が譲位し、第97代後村上天皇が即位。翌16日、後醍醐天皇が52歳で没する。
北畠親房が『神皇正統記』を執筆( – 1343年)。
福建省晋江市に残るマニ教の寺院・草庵摩尼教寺(中国国家重要文化財)が建立される。
1340年代
詳細は「1340年代」を参照
1340年
サラードの戦いにて、カスティーリャ軍が勝利し、マリーン朝はイベリア半島から撤退。
スロイスの海戦で、イングランド軍がフランス軍に勝利し、制海権を握る。
イルハン朝のジハーン・テムルを廃し、タージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグがジャライル朝を建国。
ハールィチ・ヴォルィーニ戦争始まる( – 1392年)。
妙法院焼き討ち事件で佐々木道誉が上総に配流される。
1341年
塩冶高貞が高師直の讒言により討たれる。
ブルターニュ継承戦争( – 1365年)。
東ローマ帝位継承戦争(1341 – 1347年)(英語版)
ヨハネス5世パレオロゴスとヨハネス6世カンタクゼノスの帝位争い。
この混乱で帝国はバルカン半島の領土の多くを喪失し、小国家へと転落。
1342年
花園法皇が関山慧玄を開山に迎え妙心寺が創建される。
東ローマ帝国の都市テッサロニキでゼーロータイ(熱心党)の反乱が起こる( – 1350年)。
1343年
ナポリ地震(英語版)による津波で近隣のアマルフィ市街が壊滅。
1344年
アラゴン王国がバレアレス諸島のマヨルカ王国を併合。
アトス山から来たアタナシオスによりメテオラに修道院が作られる(後のメガロ・メテオロン修道院)。
至正4年の黄河大氾濫(1344年の黄河大氾濫(英語版))。
1345年
足利尊氏が夢窓疎石を開山に迎え天龍寺が創建される。
イブン・バトゥータが泉州から上陸し、大都で元のトゴン・テムル(順帝)に会う。
1346年
クレシーの戦い。
ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが「セルビア人とローマ人の皇帝」となる。
デンマーク王ヴァルデマー4世がエストニアをドイツ騎士団に売却する。
1347年
ジョチ・ウルスジャーニー・ベクのカッファ包囲戦。
カッファは黒海北岸クリミア半島のジェノヴァの植民都市で、この戦いからヨーロッパ最初のペスト感染が確認される。
ヨーロッパにおけるペスト大流行。
ペストの感染は南イタリアからアルプスを超えて全域に拡大、ヨーロッパや北アフリカの人口が激減( – 1351年)。
カレー包囲戦によりカレー市がイングランド軍に降伏(「カレーの市民」)。
ハンガリー王ラヨシュ1世がナポリ女王ジョヴァンナ1世を追放、都ナポリを占領(ラヨシュ1世のナポリ遠征)。
1348年
南アルプスのフリウリ地方からケルンテン地方に至る大地震発生。フィラッハで最大級の被害。
四條畷の戦いで、高師直が楠木正行を敗死させる。南朝の吉野行宮が攻撃され、後村上天皇は賀名生行宮に退避。
北朝第3代崇光天皇が即位する。
イングランド国王エドワード3世によりガーター騎士団が設置される。ガーター勲章も制定。
神聖ローマ皇帝カール4世の命でプラハ大学(現カレル大学)が設立される。
ニュルンベルクのツンフト闘争( – 1349年)。
1349年
足利尊氏の四男基氏が初代鎌倉公方として下向。
京都四条河原で「(貞和5年の)桟敷崩れの勧進田楽」。
セルビアで「ドゥシャン法典」が公布される。
1350年代
詳細は「1350年代」を参照
1350年
タイでアユタヤ王朝成立。
室町幕府で足利直義と高師直との抗争が勃発(観応の擾乱 – 1352年)。
1351年
紅巾の乱。
高師直らが族滅され、尊氏と直義の対立が激化。正平の一統により北朝の崇光天皇が廃位される。
東ローマ皇帝ヨハネス6世カンタクゼノス主催の教会会議で静寂主義(ヘシュカスム)の教義が勝利する。
1352年
足利直義が急死する。八幡の戦いにより南朝が京都から脱出し、正平の一統が崩壊。
広義門院寧子が治天の君の代行となり、北朝第4代後光厳天皇が即位。
フランス王ジャン2世が、エトワール騎士団を創設する。
1353年
トガ・テムルが殺害され、イルハン朝が滅亡する。
ラオス初の統一王朝であるラーンサーン王国が成立する。
1356年
神聖ローマ皇帝カール4世によって、帝国の基本的な体制を規定する金印勅書が発布される。
ポワティエの戦い。フランス国王ジャン2世がイングランド軍の捕虜になる。
アトス山出身の修道士アナスタシオスが、メテオラのメガロ・メテオロン修道院を創設する。
元朝で交鈔が廃止になる。
1357年
ポルトガル国王ペドロ1世の即位。惨殺された愛妾イネス・デ・カストロを王妃として復権させる。
1358年
足利義詮が室町幕府第2代将軍となる。
エティエンヌ・マルセルの乱、ジャックリーの乱。
商人ハンザと都市ハンザの統合でハンザ都市同盟が正式に発足。
ドゥブロヴニクを中心とするラグサ共和国がハンガリー王国から独立する。
1359年
ジョチ・ウルス、君主(ハン)乱立時代に入る( – 1378年)。
ルドルフ4世(建設公)がオーストリア大公を自称。また同年、ウィーンにシュテファン大聖堂を建立。
筑後川の戦いで九州における南朝側が優位に立つ。
1360年代
詳細は「1360年代」を参照
1360年
ブレティニー条約(ブレティニ・カレー条約)が結ばれる。
イギリス王はフランス王位請求権を破棄、イギリス王のガスコーニュ・ギュイエンヌ領有をフランス王は承認。
1361年
康安の変で、幕府執事細川清氏が佐々木道誉らにより失脚させられる。
スコータイ朝のリタイ王がスリランカから高僧を招き出家する。
これはタイの君主として初めての出家で、経緯を記録したマンゴー林石碑が建てられる。
1362年
デンマークとハンザ同盟との戦争が始まる( – 1370年)。
1363年
ヴァロワ家のフィリップ豪胆公がブルゴーニュ公となる(ブルゴーニュ公国の成立)。
ルドルフ4世がチロル伯領を奪取。
鄱陽湖の戦い。
1364年
アヴィニョン教皇宮殿が完成する(1335年 – )。
1365年
元で皇太子アユルシリダラと結んだ将軍ココテムルがボロト・テムル政権を倒す。
オーストリア公ルドルフ4世がウィーン大学を創設する。
1366年
オスマン帝国のムラト1世がブルサからエディルネに遷都。
貞治の変で、幕府執事斯波義将とその父斯波高経が佐々木道誉らに失脚させられる。
カスティーリャ王ペドロ1世が庶兄エンリケに追放される(第一次カスティーリャ継承戦争の始まり)。
1367年
ナヘラの戦いで、エドワード黒太子の協力によりペドロ1世がカスティーリャ王に復帰。
フランス王シャルル5世による王室文庫が設立される(フランス国立図書館の始まり)。
1368年
摂津国住吉行宮で後村上天皇が死去し、第98代長慶天皇が即位。
足利義満が室町幕府第3代将軍となる。 応安の半済令施行。
朱元璋が応天府(南京)にて明朝を建て、一世一元の制のもと洪武帝となる。
明軍の北伐により元朝の順帝は大都を捨て、漠北に逃れる(北元)。
アウクスブルクのツンフト闘争が成功する。
1369年
モンティエルの戦いでカスティーリャ王ペドロ1世が殺害される。
殺害したトラスタマラ伯エンリケがエンリケ2世として王位に就く(トラスタマラ朝の成立)。
ブルゴーニュ公フィリップ豪胆公とフランドル女伯マルグリット3世の結婚。
南朝方の左兵衛督楠木正儀が北朝方に出奔する。
日本最大の板碑である野上下郷石塔婆(埼玉県秩父郡長瀞町)が建立される。
1370年代
詳細は「1370年代」を参照
1370年
ティムール朝の成立。
リモージュの虐殺。
シュトラールズント条約がデンマークとハンザ同盟で結ばれる。
1371年
明の洪武帝による海禁令。
「日本国王良懐(懐良親王)」が明に遣使し、冊封を受ける。
後光厳天皇が譲位し、北朝第5代後円融天皇が即位する。
現存最古の『古事記』の写本が真福寺(大須観音)の僧賢瑜により筆写される(真福寺本)。
スコットランド王ロバート2世が即位して、ステュアート朝が始まる。
マリツァ川の戦いで、オスマン帝国軍がセルビア諸侯連合軍を撃破する。
1372年
万里の長城の最西端にある嘉峪関を設置する。
九州探題今川了俊により太宰府陥落、懐良親王と菊池武光らを追う。
1373年
英葡永久同盟。
北朝軍が南朝の河内天野行宮(金剛寺)を攻略。
1375年
アステカ王国の成立。
八聖人戦争で、フィレンツェとローマ教皇庁が戦う( – 1378年)。
「カタロニア地図(英語版)」が作成される。
マムルーク朝がキリキア・アルメニア王国を滅ぼす。
1375年頃
チムー王国がトゥクメのシカン文化圏を征服する。
1376年
イングランドで「善良議会」が召集され、ランカスター公らが弾劾される。同年、エドワード黒太子が死去。
シュヴァーベン都市同盟がウルムで結ばれる。
空印の案。
1377年
イングランドで「悪政議会(英語版)」が招集される。エドワード3世が死去し、孫のリチャード2世が国王に即位。
ヴェネツィアで世界最初の「海上検疫」が行われる。
教皇グレゴリウス11世がアヴィニョンからローマに帰還。
イブン・ハルドゥーンが「キタブ・アル・イバル(英語版)(助言書)」の第一部『歴史序説(ムカディマ)』を執筆。
ジャワ島中東部のマジャパヒト王国がスマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国を征服する。
1378年
花の御所の造営開始。
神聖ローマ皇帝カール4世がフランス王シャルル5世をパリに訪問。この年に皇帝カール4世が死去。
ローマとアヴィニヨンで教皇が分立し、教会大分裂(シスマ)。
フィレンツェでチョンピの乱が起きる。
モスクワ府主教位をめぐるミチャイ事件。
1379年
康暦の政変で、管領細川頼之が斯波義将らに失脚させられる。
1380年代
詳細は「1380年代」を参照
1380年
クリコヴォの戦いでルーシ諸侯連合軍がジョチ・ウルスに勝利。
キオッジャの戦いでヴェネツィアがジェノヴァに勝利し覇権を確立する。
胡惟庸の獄。洪武帝が中書省を廃止し、六部を皇帝の直属とする。五軍都督府の設置。
1381年
イングランドでワット・タイラーに率いられた農民・労働者が暴動を起こす(ワット・タイラーの乱)。
明で全国に里甲制を導入し、魚鱗図冊・賦役黄冊の作成を行う。万里の長城の最東端にある山海関が整備される。
雲南地方の梁王バツァラワルミが明に滅ぼされる。
オスマン帝国のムラト1世が東ローマ帝国を属国とする。
1382年
明で錦衣衛が創設される。
足利義満により相国寺が創建される。北朝第6代後小松天皇が即位する。
ポーランドのチェンストホヴァのヤスナ・グラ修道院に「黒い聖母」が納められる。
ナポリ女王ジョヴァンナ1世が暗殺され、アンジュー家傍流のカルロ3世が即位。
ハーッジー2世を廃位したバルクークがマムルーク朝の君主となる(バフリー・マムルーク朝からブルジー・マムルーク朝へ)。
1383年
長慶天皇が譲位し、第99代後亀山天皇が即位。
1385年
ポーランド王国とリトアニア大公国がクレヴォの合同を結ぶ。
ジョアン1世がアヴィス朝を創始。アルジュバロタの戦いでカスティーリャ王国軍撃破。
カンブレー二重結婚。
1386年
ポーランド・リトアニア連合王国成立(ヤギェウォ朝)。
ゼンパッハの戦い(英語版)でスイス軍がハプスブルク軍に勝利し事実上の独立を果たす。
フランスでカルージュ対ル・グリ事件(最後の決闘裁判)。
イングランドで「驚嘆議会」が召集される。
南禅寺を首位とし京都・鎌倉を並立させる五山制度が成立する。
1388年
ブイル・ノール湖畔の戦いで明が北元に勝利。
逃亡したトグス・テムル(天元帝)が殺害され、王子ディボド(地保奴)は琉球に配流される。
北元でクビライ家の皇帝(ハーン)が断絶し、アリクブケ家に帝位が移る。
イングランドで「無慈悲議会」が召集され、国王リチャード2世の寵臣らが弾劾される。
威化島回軍により、李成桂が政変を起こし高麗の実権を握る。
1389年
コソヴォの戦いで、オスマン帝国がセルビアを従属させる。
オスマン帝国のムラト1世が謁見の際にセルビア人貴族ミロシュ・オビリッチに暗殺される。
ファルシェーピングの戦いで、デンマーク=ノルウェー摂政マルグレーテが勝利し、メクレンブルク家のスウェーデン王アルブレクトを廃位する。
1390年代
詳細は「1390年代」を参照
1390年
熊野新宮の遷宮で現存最古の「古神宝類(国宝)」が奉納される。
朱元璋が雲南地方を明に併合し、雲南布政司を置く。
李善長の獄。
1391年
明徳の乱で、山名氏清が幕府軍に討たれる。
1392年
李成桂が高麗を滅ぼし李氏朝鮮建国。
明徳の和約による南北朝の合一。後亀山天皇が京都に帰り、神器を第100代後小松天皇に渡す。
フランス国王シャルル6世が発狂する。
モスクワ大公ヴァシーリー1世がニジニー・ノヴゴロド・スーズダリ公国を併合する。
チベット仏教の僧ツォンカパが「ガワドンの啓示」を受ける。
1393年
オスマン帝国のタルノヴォ征服により第二次ブルガリア帝国が滅亡する。
フランスで「燃える人の舞踏会」事件。
藍玉の獄。
1394年
足利義満が将軍職を第4代足利義持に譲り、太政大臣となる。
李成桂が開京(開城)から漢陽(漢城、今のソウル)に遷都。
1395年
ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティが神聖ローマ皇帝ヴェンツェルからミラノ公の称号を授かる(ミラノ公国の成立)。
テレク河の戦いで、ティムールがジョチ・ウルスのトクタミシュに勝利、ティムールはジョチ・ウルスの都サライを破壊。
1396年
ニコポリスの戦いで、オスマン帝国がキリスト教諸国同盟軍を撃破する。
1397年
カルマル同盟成立し、デンマークが盟主となる。
足利義満が北山山荘(その一部が現在の鹿苑寺金閣)の造営を始める。
1398年
ティムールのインド北部侵攻。トゥグルク朝を敗走させティムールはデリーに入城。
リューネブルクとリューベックを結ぶ塩街道にシュテックニッツ運河が開通する。
1399年
靖難の変。
李氏朝鮮に、大内義弘自らが百済の後裔だと主張し、土地割譲求める。
応永の乱で、首謀者大内義弘戦死、義弘の弟大内弘茂降伏。
イングランド王リチャード2世が廃位され、ヘンリー4世が即位してランカスター朝が成立。
1400年代
詳細は「1400年代」を参照
1400年
ベトナムで胡季犛が陳朝を滅ぼし胡朝初代君主となる。