13世紀

1201年
建仁の乱(城長茂の乱)。
コイテンの戦いで、テムジンがグル・カンのジャムカに率いられたモンゴル高原東部の諸部族を打ち破る。
1202年
フランス王フィリップ2世がイングランド王ジョンの大陸領土没収を宣言。
教皇インノケンティウス3世が勧請した第4回十字軍がヴェネツィアに集結。
シトー会のアルベルトがリガにリヴォニア帯剣騎士団を創設。
源頼家が明菴栄西を開山に迎え京都建仁寺が創建される。
1203年
インド仏教の中心地だったヴィクラマシーラ寺院がイスラム軍に破却される。
ゴール朝の将軍ムハンマド・バフティヤール・ハルジーのベンガル制圧の一環として行われる。
この事件でインド仏教は滅亡したとされ、破壊を逃れた僧侶はチベットなどの近隣に亡命する。
比企能員の変。源実朝が鎌倉幕府第三代将軍となる。前将軍源頼家が伊豆に幽閉される。北条時政が初代執権に就任。
運慶・快慶らにより東大寺南大門金剛力士像が完成する。
1204年
第4回十字軍が東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻撃し占領。
ヴェネツィアの協力を得てボードゥアン1世を皇帝とするラテン帝国が成立。
東ローマ帝国はいったん断絶し、ニカイア帝国ほかの亡命政権が成立( – 1261年)。
伊賀・伊勢平氏の叛乱(三日平氏の乱)。前将軍源頼家が殺害される。
1205年
藤原定家ら『新古今和歌集』編纂。
畠山重忠の乱。牧氏事件により執権北条時政が追放される。北条義時が鎌倉幕府第2代執権に就任。
ハドリアノポリスの戦い(1205年)で、カロヤン・アセン率いるブルガリア帝国軍がラテン帝国軍に大勝し、ラテン皇帝ボードゥアン1世が捕虜となる。
1206年
モンゴル諸族を統一したテムジンがクリルタイで推戴され、モンゴル帝国の初代皇帝(チンギス・ハン)に即位。
南宋の韓侂冑が金への北伐を行う(開禧北伐)。
インド北部でゴール朝の将軍クトゥブッディーン・アイバクが独立し奴隷王朝が成立。
テューリンゲン方伯の宮廷で「ヴァルトブルクの歌合戦」が開かれる。
1207年
承元の法難。
南宋の韓侂冑が暗殺される。
1208年
南宋と金の嘉定の和議(中国語版)。
1209年
教皇インノケンティウス3世が小さき兄弟会(フランシスコ会)を認可。
教皇インノケンティウス3世がイングランド王ジョンを破門する。
フランス王フィリップ2世によるアルビジョア十字軍始まる( – 1229年)。
ケンブリッジ大学が創設される。
1210年代
詳細は「1210年代」を参照
1210年
土御門天皇が譲位し、第84代順徳天皇が即位。
教皇インノケンティウス3世が神聖ローマ皇帝オットー4世を破門する。
教皇インノケンティウス3世がアッシジのフランチェスコと会見。
1211年
ブルガリアのタルノヴォ主教会議でボゴミル派が異端とされる。
西遼(カラ・キタイ)の帝位がナイマン部のクチュルクに簒奪される。
天山ウイグル王国のバルチュク・アルト・テギンがモンゴル帝国に臣従する。
1212年
ナバス・デ・トロサの戦いでアルフォンソ8世のカトリック連合軍がムワッヒド朝揮下のイスラム連合軍を破る。
少年十字軍。
プシェミスル朝のボヘミア国王オタカル1世が王国の世襲を認められる。
ブーヴィーヌの戦いでフランス王フィリップ2世がイングランド王ジョンに勝利。
鴨長明の『方丈記』が書かれる。
1213年
西遼の耶律氏の血統が断絶。
和田合戦。
1214年
モンゴルが中都を包囲し、金の宣宗は中都から開封へ遷都。
1215年
第4ラテラン公会議。
イングランド王国でマグナ・カルタが制定される。第一次バロン戦争( – 1217年)。
1216年
教皇ホノリウス3世が説教者修道会(ドミニコ会)を認可。
1217年
ジャン・ド・ブリエンヌらによる第5回十字軍。
源実朝が宋人陳和卿に命じ大型船を作らせるも渡航には失敗。
1218年
モンゴルに西遼が滅ぼされる。西遼の旧領はチンギス・カンの次男チャガタイのウルス(所領)となる(チャガタイ・ハン国)。
オトラル事件により、モンゴルの通商使節団がホラズム朝に虐殺され、チンギス・カンの西征が始まる。
クメール王国が南宋の宮廷に遣使する。
レオン王国のアルフォンソ9世によりサラマンカ大学が創設される。
1219年
鎌倉幕府第3代将軍源実朝が暗殺され、源氏の嫡流が途絶える。
デンマーク王ヴァルデマー2世がエストニアに侵攻し、トームペア城(現在のタリン)を築く。
1220年代
詳細は「1220年代」を参照
1220年
アルプス山脈を南北に縦断するゴッタルド峠(ゴットハルト峠)が開通する。
モンゴルにホラズム朝が滅ぼされる。
慈円が『愚管抄』を著す。
シーインタラーティットがタイのスコータイ朝を建国。
1221年
順徳天皇が譲位し、第85代仲恭天皇が即位。
承久の乱により幕府軍が朝廷軍に勝利。六波羅探題を設置。
後鳥羽上皇が隠岐へ、土御門上皇が阿波へ、順徳上皇が佐渡に流される。
仲恭天皇は廃位され(九条廃帝)、第86代後堀河天皇が践祚(翌1222年に即位)。
モンゴル軍がインダス河畔の戦いに勝利しホラサーン地方やアフガニスタンに進軍。
バルフ・ヘラート・メルブ・ニーシャープール・バーミヤーンを占領し破壊する。
チチェン・イッツァのトルテカ・マヤ系支配者に対する反乱によりマヤパンが政治的中心地となる。
1222年
ケン・アロクによりジャワでシンガサリ朝が建国される。
アフガニスタンのカラホトで長春真人(丘長春)がチンギス・ハンに会見する。
ハンガリー国王アンドラーシュ2世により「1222年の金印勅書(英語版)」が発布される。
パドヴァ大学創建。
1223年
カルカ河畔の戦いで、モンゴル軍がロシア・ポロヴェツ連合軍に最初の勝利。
道元が明全らと入宋する( – 1227年)。
1224年
ナポリ大学創建。
北条義時死去、伊賀氏の変、北条泰時が鎌倉幕府第3代執権に就任。
女真文字の信牌(旅券)を持つ女真船が越後国寺泊に漂着する。
南宋の太子趙竑が廃されて追放され(霅川の変(中国語版))、皇帝寧宗が死去の後に理宗が即位する。
1225年
アイケ・フォン・レプゴーにより『ザクセンシュピーゲル(ザクセン法鑑)』が編纂される。
エルサレム女王イザベル2世と神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の結婚。
1226年
藤原頼経が鎌倉幕府第4代将軍となる。
リミニの金印勅書で、ドイツ騎士団のプロイセン征服と領有が認められる。
教皇ホノリウス3世がカルメル会を認可。
1227年
六盤山にてチンギス・カン死去。
その三日後に興京が開城、モンゴルに西夏が滅ぼされる。
教皇グレゴリウス9世が神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を破門。
ボルンホーフェトの戦い(英語版)でデンマークがホルシュタイン伯とハンザ同盟の連合軍に敗北。
嘉禄の法難。洛中最古の木造寺院である大報恩寺本堂が建立される。
1228年
破門された神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が第6回十字軍を起こす(破門十字軍)。
1229年
オゴデイがモンゴル帝国第2代皇帝となる。その息子グユクがエミルの所領を与えられる(オゴデイ・ウルス)。
ヤッファならびにテル・エル・アジュル(英語版)協定の締結。
これによりアイユーヴ朝のアル・カーミルから皇帝フリードリヒ2世にエルサレムが返還される。
イフリーキーヤ総督アブー・ザカリーヤー1世がムワッヒド朝から独立しハフス朝が成立。
イエメンのマンスール・ウマル1世がアイユーブ朝から独立しラスール朝が成立。
ベーメンの修道院で作成された中世最大の写本「ギガス写本(悪魔の聖書)」に残された最後の年号はこの年のもの。
1230年代
詳細は「1230年代」を参照
1230年
寛喜の大飢饉( – 1231年)。
1231年
寛喜新制。
メルフィの会議において神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が『皇帝の書(リベル・アウグスタリス)』を発布する。
1232年
後堀河天皇が譲位し、第87代四条天皇が即位。御成敗式目ができる。
三峰山の戦いでモンゴル軍が完顔陳和尚率いる金軍を破る。
高麗が開京から江華島に都を遷す。
1233年
教皇グレゴリウス9世が異端審問制度を導入し、ドミニコ会に審問を委託する。
1234年
モンゴルが蔡州城を制圧し、金が滅ぼされる。
南宋の皇帝理宗が真徳秀らを登用し政治改革を行う(端平更化)。
法然の弟子源智が大谷の坊舎を知恩院として再興。
バグダードにムスタンスィリーヤ学院(英語版)が建立される。
教皇グレゴリウス9世による『グレゴリウス9世教皇令集』が出される。列聖は西方教会では教皇の専権行為となる。
1235年
モンゴルの首都カラコルムが建設される。
神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世による「マインツのラント平和令(帝国平和令)」。
1235年頃
キリーナの戦い(英語版)でスンジャタ・ケイタの率いるマンディンカ族が、スースー王国(英語版)から独立し、マリ王国を建国。
1236年
カスティーリャがイスラム支配下のコルドバを奪取。
モンゴルのバトゥの征西が始まり、ヴォルガ川を超える。
九条道家が円爾を開山に迎え京都東福寺が創建される。
高麗高宗の命で高麗八万大蔵経の作成が始まる( – 1251年)(現在は伽耶山海印寺が所蔵)。
1238年
タイでスコータイ朝成立。
東ガンガ朝のナラシンハ・デーヴァ1世(英語版)が即位。
この王のもとでコナーラクのスーリヤ寺院が建設される。
アラゴン王ハイメ1世によるバレンシアの征服(アラゴン王国のレコンキスタ完了)。
1239年
教皇グレゴリウス9世が神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を再破門。
皇帝フリードリヒ2世は教皇派のロンバルディア同盟を圧倒。
皇帝党(ギベリン)のヴェローナが北イタリアを席巻し教皇党(ゲルフ)との対立が激化する。
1240年代
詳細は「1240年代」を参照
1240年
ネヴァ河畔の戦いでノヴゴロド公アレクサンドル・ネフスキーがスウェーデン軍を破る。
モンゴルのバトゥがキエフを制圧しキエフ大公国が滅亡。
この時期までにルーシ各地がモンゴルの支配下におかれる(タタールの軛)。
1240年頃
神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世がカステル・デル・モンテを建設。
1241年
ワールシュタットの戦いでモンゴルのバトゥがドイツ・ポーランド諸侯連合軍を破る。
モヒの戦いでハンガリーが、オロモウツの戦いでモラヴィアがモンゴル軍に敗北する。
オゴデイ・カアンが死去、その第六皇后ドレゲネが摂政監国となる。
南宋の皇帝理宗が周敦頤・張載・程顥・程頤・朱熹を孔子廟に従祀する。
リューベックとハンブルクと間に商業同盟が結ばれる(ハンザ同盟の起こり)。
ラスール朝がアイユーブ朝からメッカを奪取する。
1242年
四条天皇が死去。
泉涌寺で葬儀が営まれ陵墓が作られる(御寺(みてら)の始まり)。
土御門上皇の皇子阿波院宮が第88代後嵯峨天皇として即位。
北条経時が鎌倉幕府第4代執権に就任。
ポワティエ伯ユーグ10世らによるフランス王ルイ9世への反乱。
チュド湖上の戦い(氷上の戦い)でノヴゴロド公アレクサンドル・ネフスキーがドイツ騎士団を破る。
1243年
クメール朝カンボジアでジャヤーヴァルマン8世が即位し廃仏政策を行う( – 1295年)。
キョセ・ダグの戦いで、モンゴル帝国がルーム・セルジューク朝に勝利する。
バトゥがヴォルガ川下流域のサライを中心に独立する(ジョチ・ウルスの成立)。
1244年
藤原頼嗣が鎌倉幕府第5代将軍となる。
道元が越前永平寺を開く。
エルサレムが再びアイユーブ朝に奪回される。ラ・フォルビーの戦い。
最後のカタリ派の根拠地モンセギュールが陥落する。
1245年
第1リヨン公会議。
この会議の決定でプラノ・カルピニがモンゴル帝国へ派遣される。
教皇インノケンティウス4世が神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を破門し廃位を宣言。
フランドル女伯マルグリット2世がブルージュのベギン会修道院を創設。
ヤロスラヴの戦いで、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国がポーランド・ハンガリー連合軍に勝利。
1246年
後嵯峨天皇が譲位し、第89代後深草天皇が即位。
北条時頼が鎌倉幕府第5代執権に就任。寛元の政変(宮騒動)。
摂政監国ドレゲネ召集のクリルタイでモンゴル帝国第3代皇帝グユクが即位。
グユクに教皇使節プラノ・カルピニが会見する。
教皇宛に送られた「グユク・ハンの勅書(ヴァティカン図書館蔵)」はこの時のもの。
ライタ川の戦いでのオーストリア公フリードリヒ2世の戦死により、バーベンベルク家男系は断絶。
1247年
宝治合戦(三浦氏の乱)。
1248年
フランス国王ルイ9世による第7回十字軍。
パリ・シテ島のサント・シャペル教会が献堂される。
ケルン大聖堂が着工される(最終的な完成は1880年)。
グユク・カンが死去。グユクの皇后オグルガイミシュが摂政監国として国政を担当。
マリーン朝がフェズを都として建国される。
1249年
アルガルヴェ地方のシルヴェスとファロを奪還し、ポルトガルのレコンキスタが終了。
フランス国王ルイ9世がエジプトのダミエッタを占領。
1250年代
詳細は「1250年代」を参照
1250年
マンスーラの戦いとファルスクールの戦いでエジプトのマムルーク軍団が十字軍に勝利しルイ9世を捕虜とする。
マムルーク軍団はトゥーラーン・シャーを倒しシャジャル・アッ・ドゥッルを君主に擁立(マムルーク朝成立)。
スウェーデン王ビルイェル・ヤールによるフィンランド遠征(北方十字軍)。
1250年頃
ペルーのチムー王国チャンチャン遺跡近郊のパンパ・ラ・クルスの大量の人身供犠はこの時代のもの。
1251年
了行法師らの謀反事件(建長の政変)。
伽耶山海印寺の高麗版大蔵経が完成する。
1251年の羊飼い十字軍(英語版)。
リトアニア大公ミンダウガスが初代リトアニア国王となる。
モンゴル帝国第4代皇帝モンケが即位。摂政監国だったオグルガイミシュが殺害される。
1252年
宗尊親王が鎌倉幕府第6代将軍となる。
高徳院大仏(鎌倉大仏)が着工される。
フィレンツェでフローリン金貨が発行される(近代貨幣制度の先駆け)。
カスティーリャ王アルフォンソ10世の命で作られた「アルフォンソ天文表」はこの年を基軸にしている。
1253年
モンケ・カアンの命によるフレグの征西が始まる。
クビライの雲南・大理遠征により大理が降伏する。
フランス国王ルイ9世の命でウィリアム・ルブルックがモンゴル帝国に派遣される。
北条時頼が蘭渓道隆を開山に迎え建長寺が創建される。
ハールィチ・ヴォルィーニ大公ダヌィーロ・ロマーノヴィチがローマ教皇インノケンティウス4世からルーシ王の称号を授かる。
1254年
神聖ローマ皇帝コンラート4世死去(大空位時代が始まる( – 1273年))。
ホラント伯ウィレムが名目上の皇帝に選出され、「神聖ローマ帝国」の国号を初めて用いる。
ケルンやマインツがライン都市同盟を結成する。
フランス王ルイ9世がエジプトから持ち帰った「黒い聖母」をル・ピュイ=アン=ヴレのノートルダム大聖堂に奉献する。
1255年
ポルトガル王アフォンソ3世がコインブラからリスボンに遷都。
聖ラザロ騎士団が教皇に正式に認可される。
1256年
北条長時が鎌倉幕府第6代執権に就任。
クビライが閃電河河畔に開平府(後の上都(ザナドゥ))を築く。
教皇アレクサンデル4世により各地の隠修士団体が統合され聖アウグスティノ修道会が成立する。
1257年
インドネシア・ロンボク島のサマラス火山(リンジャニ山東側カルデラ)の大噴火。
アラムート城砦のニザール派がモンゴルに降伏する。
正嘉鎌倉地震。
1258年
バグダードの戦いで勝利したモンゴルのフレグがバグダードへ入城。
カリフのムスタアスィムを処刑し、アッバース朝を滅ぼす。
シモン・ド・モンフォールらが国王ヘンリー3世にオックスフォード条項を認めさせる。
翌1259年にウェストミンスター条項に拡大される。
正嘉の飢饉。
1259年
モンケが合州城近郊の釣魚山にて陣没。
後深草天皇が譲位し、第90代亀山天皇が即位。
崔氏政権が倒れ、高麗がモンゴルに降伏。
ペラゴニアの戦いで、ニカイア帝国がエピロス・アカイア・シチリア連合軍に勝利する。
1260年代
詳細は「1260年代」を参照
1260年
クビライが開平府にて即位し、カラコルムのアリクブケと帝位を争い内戦になる。
元で基本通貨となる交鈔「中統元宝交鈔(中統鈔)」が発行される。
日蓮が『立正安国論』を著わし前執権の北条時頼に送る。
フレグがイラン・イラクで自立してフレグ・ウルス(イル・ハン国)が成立。
マムルーク朝がモンゴル軍をアイン・ジャールートの戦いで破る。マムルーク朝スルタンにバイバルスが即位。
フランスのシャルトル大聖堂が竣工し献堂式が行われる。
モンタペルティの戦いで、シエーナがフィレンツェに勝利する。
ペラゴニアの戦いで、ニカイア帝国がラテン帝国・エピロス専制侯国の連合軍に勝利する。
1261年
ニカイア帝国がジェノヴァとニュムファエウム条約を締結し、帝国内での特権を承認し軍事援助を引き出す。
ニカイア帝国がラテン帝国からコンスタンティノポリスを奪回。
東ローマ帝国が復活しパレオロゴス朝のミカエル8世が即位。
マムルーク朝のバイバルスがアッバース朝最後のカリフの叔父をカイロに迎え入れカリフ・ムスタンスィル2世として擁立。
チベット仏教サキャ派の僧侶パスパがモンゴル帝国の国師となる。
1262年
ベルケ・フレグ戦争。
1263年
ラーグスの戦いで、スコットランド王アレグザンダー3世がノルウェー王ホーコン4世のスコットランド上陸を阻止し撃退。
リトアニア国王ミンダウカスが暗殺され、リトアニアに異教が復活する。
1264年
アリクブケがクビライに投降し、年号が至元と改まる。
最初のモンゴルの樺太侵攻。
北条政村が鎌倉幕府第7代執権に就任。
ポーランドでカリシュの法令発布。
第二次バロン戦争( – 1267年)。
1265年
東ローマ皇帝ミカエル8世がモンゴル系諸国と同盟を結ぶ。
フレグ・ウルスのアバカには娘マリアを、ジョチ・ウルスのノガイには娘エウフロシュネーを娶わせる。
「ド・モンフォールの議会」でオックスフォード条項とマグナカルタが正式に承認される。
同年、国王ヘンリー3世はイーブシャムの戦いでシモン・ド・モンフォールを倒す。
1266年
惟康親王が鎌倉幕府第7代将軍となる。この年で『吾妻鏡』の記載が終わる。
フランス王ルイ9世の弟シャルル・ダンジューがシチリア王カルロ1世となる。
ベネヴェントの戦いでカルロ1世はフリードリヒ2世の庶子マンフレーディを戦死させる。
1267年
クビライの命により燕京(後の大都)の都市改造が始まる。
運河として通恵河が開削され、物資の集積地である都市内港の積水潭が建設される。
1268年
北条時宗が鎌倉幕府第8代執権に就任。
タリアコッツォの戦いでシチリア王カルロ1世がコンラート4世の子コッラディーノに勝利。
コッラディーノ処刑によりホーエンシュタウフェン家が完全に断絶する。
マムルーク朝のバイバルスがアンティオキアを攻略しアンティオキア公国が滅亡する。
哲学者ロジャー・ベーコンがフランシスコ会で断罪され投獄される。
1269年
マリーン朝がムワッヒド朝を滅ぼす。
パスパ文字が元の国字として公布される。
クビライの庶子アウルクチが西平王に封じられる。
1270年代
詳細は「1270年代」を参照
1270年
フランス国王ルイ9世による第8回十字軍。ルイ9世はチュニスで熱病にかかり死去。
パリ司教エティエンヌ・タンピエによる13命題の異端宣言。
エチオピアでザグウェ朝を滅ぼしたイクノ・アムラクがソロモン朝(英語版)を興す。
1271年
クビライが大都を首都と定め、国号を大元(元)と称した。
高麗の世子(後の忠烈王)がクビライの王女クトゥルク=ケルミシュと結婚。
マムルーク朝のバイバルスが十字軍の城クラック・デ・シュヴァリエを攻略。
イギリス王太子エドワードによる第9回十字軍。
元使の趙良弼が来日。
龍ノ口法難の後、日蓮が佐渡島に流される。
1272年
元使の趙良弼が再来日。
二月騒動で、北条氏名越流や時宗の異母兄時輔らが討伐される。
親鸞の娘覚信尼により大谷廟堂が建立される(後の本願寺の起源)。
陳朝で黎文休らによる最初のベトナム編年体通史『大越史記』が編纂される。
1273年
ハプスブルク家のルドルフ1世が神聖ローマ帝国君主に選ばれ、大空位時代終わる。
ボードゥアン2世の死去に伴い、シチリア王カルロ1世がラテン帝国継承権を獲得。
トマス・アクィナスが『神学大全』の著述を終える。
モンゴルが済州島(耽羅)を征服し、三別抄の乱が鎮圧される。
モンゴルが襄陽・樊城の戦いで南宋の呂文煥を降伏させる。この戦いでイスラム式の回回砲が用いられる。
文永新制。
1274年
第2リヨン公会議。
文永の役。
1275年
北条時宗の命で元の使者杜世忠らを龍ノ口刑場で斬る。
丁家州の戦いで、南宋が元に敗北し、宰相賈似道が逃亡、途上で暗殺される。
マリーン朝のアブー・ユースフ・ヤアクーブがイベリア半島に上陸しエシハの戦いでカスティーリャ軍に勝利。
マムルーク朝のバイバルスがヌビアのキリスト教国マクリア(英語版)を攻撃し臣従させる。
1275年頃
北条実時が称名寺に金沢文庫を創設する。
1276年
博多湾に沿って防塁を築く。
元が南宋の都臨安(杭州)を制圧し、摂政謝太后と恭帝が降伏する。
エルビスターンの戦いで、マムルーク朝のバイバルスがモンゴル軍に勝利。同年バイバルスはダマスカスで病没。
1277年
パリ司教エティエンヌ・タンピエによる219命題の異端宣言。
地中海のジェノヴァのガレー船がフランドルのブリュージュ外港のズウィン湾に到着。
これにより地中海から大西洋を経由し北海・バルト海を結ぶ商業航路が開かれる。
1278年
マルヒフェルトの戦いで神聖ローマ皇帝ルドルフ1世がベーメン王オタカル2世に勝利。
フランスのフォア伯とスペインのウルヘル司教の共同領主権のもとでアンドラの自治が認められる。
1279年
元が南宋を崖山の戦いで滅ぼし、150年ぶりに中国を統一する。
北条時宗が元の使者周福らを再度斬首する。
チョーラ朝とホイサラ朝の連合軍がパーンディヤ朝軍に敗北し、チョーラ朝は滅亡。
シチリア王カルロ1世がナポリのカステル・ヌォーヴォ(英語版)(マスキオ・アンジョイーノ)を建設( – 1282年)。
1280年代
詳細は「1280年代」を参照
1280年
元で郭守敬が「授時暦」を完成させる。
1281年
亀山天皇が譲位し、第90代後宇多天皇が即位。
弘安の役。
教皇マルティヌス4世が東ローマ皇帝ミカエル8世を破門にする。
1282年
シチリアの晩禱事件。
ウェールズ公ルウェリン・アプ・グリフィズがイングランド王エドワード1世に敗れ、ウェールズは独立を喪失。
神聖ローマ皇帝ルドルフ1世がオーストリア・シュタイアーマルクを獲得。
元への帰順を拒み南宋の遺臣文天祥が刑死する。
北条時宗が無学祖元を開山に迎え円覚寺が創建される。
日蓮が武蔵国池上郷で死去、その滞在地が池上本門寺となる。
1283年
元で京杭大運河(済州河・会通河・通恵河)の改修が始まる( – 1292年)。
元軍がアンコール・トムに侵攻する。
1284年
北条貞時が鎌倉幕府第9代執権に就任。安達泰盛らによる弘安徳政の実施。
ドイツ・ハーメルンで約130人の子供が集団失踪(「ハーメルンの笛吹き男」伝説のおこり)。
ナポリ湾の海戦でアラゴン王ペドロ3世がナポリ王カルロ1世に勝利。アラゴン十字軍が始まる。
メロリアの海戦 (1284年)(英語版)でジェノヴァがピサに勝利し、ティレニア海の覇権を握る。
1285年
霜月騒動にて平頼綱が安達泰盛らを討つ。
クビライが三度目の征東行省を設置(第三次日本侵攻を計画するも実現せず)。
1287年
後宇多天皇が譲位し、第92代伏見天皇が即位。
パガンの戦いで元がパガン朝を滅ぼす。
元でナヤン・カダアンの乱( – 1292年)。
「聖ルチア祭の洪水(英語版)」で、ゾイデル海の開口部が北海とつながる。
1288年
白藤江の戦いで陳朝ベトナムが元朝に勝利。
イルハン朝の使節ラッバーン・バール・サウマがローマ教皇ニコラウス4世ほか各国君主と会見。
1289年
久明親王が鎌倉幕府第8代将軍となる。
マムルーク朝が十字軍支配のトリポリを占領。
1290年代
詳細は「1290年代」を参照
1290年
浅原事件。
奴隷王朝を倒してハルジー朝が成立する。
イングランド王エドワード1世がユダヤ人追放令を布告。
ポルトガル王国のディニス1世がコインブラ大学を創設する。
1291年
マムルーク朝のアシュラフ・ハリールが十字軍の最後の拠点のアッコを陥落させる。
ウーリ・シュヴィーツ・ウンターヴァルデンの三州による原初同盟が結ばれる(スイス連邦の始まり)。
亀山法皇が無関普門を開山に迎え南禅寺が創建される。
1293年
九州に鎮西探題を置く。
鎌倉大地震(永仁鎌倉地震)。この地震の混乱で平頼綱が誅殺される(平禅門の乱)。
竹崎季長が『蒙古襲来絵詞』を完成させ、甲佐神社へ奉納する。
元朝から来たコカチン(英語版)(コケジン)がホルムズに到着する。
1294年
ラデン・ウィジャヤ(英語版)が元朝をジャワから追い払い、マジャパヒト王国を建てる。
クビライが死去し、テムルがモンゴル帝国(元)の第6代カアンとなる。
宣教師ジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノが大都に到着。
ケレスティヌス5世が在位半年で教皇を退位し、ボニファティウス8世が教皇となる。
1295年
バイドゥを倒したガザン・ハン(前年にイスラム教に改宗)がイルハン国の君主となる。
イングランド王エドワード1世による模範議会が招集される。
スコットランドとフランスが「古い同盟」を結ぶ。
マルコ・ポーロがヴェネツィアに帰国する。
クメール朝カンボジアのジャヤーヴァルマン8世が崇仏派のインドラヴァルマン3世により暗殺される。
1296年
イングランド王エドワード1世がスコットランドよりスクーンの石を奪う。
元の使節周達観がクメール朝カンボジアに来訪。
1297年
鎌倉幕府が永仁の徳政令を出す。
スターリング・ブリッジの戦いで、ウィリアム・ウォレス率いるスコットランド軍がイングランド軍を撃破。
フランソワ・グリマルディらがモナコの要塞を占拠(モナコ公国の始まり)。
1298年
フォールカークの戦いで、エドワード1世率いるイングランド軍がスコットランド軍を撃破。
コルチュラの戦いでジェノヴァがヴェネツィアに勝利、マルコ・ポーロが捕虜となる。
伏見天皇が譲位し、第93代後伏見天皇が即位。
1299年
オスマン1世がイェニシェヒルを占領、ルーム・セルジューク朝から独立を宣言しオスマン朝成立。
元の成宗が禅僧一山一寧を使者として日本に送る。
『一遍聖絵(一遍上人絵伝)』(清浄光寺蔵)が円伊によって描かれる。