800年頃
チチカカ湖周辺のティワナク文化(ティワナクV期前半)が最盛期を迎える。
インドのラージャスターン州ジャイプル近郊にあるチャンド・バオリの階段井戸が建設される。
室生寺の五重塔が建立される。
801年
征夷大将軍の坂上田村麻呂が陸奥へ向かう。
畿内の班田を12年に一度とする。
バルセロナ包囲戦でカール大帝がイスラム勢力に勝利しバルセロナ伯を設置。
802年
ジャヤーヴァルマン2世(英語版)がカンボジアを統一し、アンコール朝が成立。
東ローマ帝国で女帝エイレーネーが政変で廃位され、皇帝ニケフォロス1世が即位。
坂上田村麻呂が胆沢城を築く。後に鎮守府を置く。蝦夷の大墓公阿弖流為ら降伏する。
スコットランド北西ヘブリディーズ諸島のアイオナ修道院がヴァイキングに襲撃される(続く806年、825年にも)。
803年
カール大帝がアッバース朝のハールーン・アッ=ラシードに派遣していた使節がアーヘン宮廷に戻る。
ハールーン・アッ=ラシードから贈られた象「アブル=アッバース」を伴っての帰国となる。
ハールーン・アッ=ラシードがジャアファルを処刑。バルマク家一族を粛清。
東ローマ皇帝ニケフォロス1世と西ローマ帝国カール大帝の講和(ニケフォロスの平和(英語版))。
この講和により東ローマに服属しつつ、ヴェネツィアが事実上の独立を勝ち取る。
坂上田村麻呂が志波城を築く。
804年
坂上田村麻呂を再び征夷大将軍に任ずる。
最澄と空海が唐にわたる。
805年
唐の皇帝順宗が即位し政治改革を志す(永貞の革新)が、大病で退位し憲宗が即位。
最澄が天台宗を学んで帰国。
菅野真道と藤原緒嗣との間で「徳政相論」が行われる。
カール大帝によりアーヘン宮廷礼拝堂(アーヘン大聖堂)が完成し奉献される(796年 – )。
806年
桓武天皇が没し、第51代平城天皇が即位。
空海が真言宗を学んで帰国。
カール大帝による「国王分割令」(ディヴィシオ・レグノールム)。
アッバース朝の小アジア侵攻。
アッバース朝が東ローマ帝国から小アジアのティアナ・ヘラクレアを奪う。ラーフィー・イブヌル・ライスの反乱。
807年
伊予親王の変。
生野銀山が開坑される。
809年
ハールーン・アッ=ラシードが死去。
平城天皇が譲位し、第52代嵯峨天皇が即位(崇文の治)。
810年代
詳細は「810年代」を参照
810年
薬子の変。蔵人所を設置。
デンマーク王ゴズフレズがフランク王国支配のフリースラントを襲撃する。
811年
東ローマ皇帝ニケフォロス1世がプリスカの戦いでブルガリアのクルムに敗北し戦死。
征夷将軍文室綿麻呂が爾薩体・幣伊の二村の蝦夷を討つ(38年戦争終結)。
812年 – 東ローマ皇帝ミカエル1世ランガベーがカール大帝を「フランク族の皇帝」として承認。
813年
ガリシアのサンティアゴ・デ・コンポステーラで隠者ペラーヨ(スペイン語版)が聖ヤコブの墓を発見したという。
アッバース朝6代カリフのアミーンが異母兄マアムーンに暗殺される。マアムーンが第7代カリフに即位。
814年
日本最初の勅撰漢詩集『凌雲集』が成立。
嵯峨天皇がその子女8人に源姓を賜い臣籍降下させる(嵯峨源氏。賜姓源氏の始まり)。
カール大帝死去、息子のルートヴィヒ1世が単独皇帝となる。
815年 – 東ローマ皇帝レオーン5世が再び聖像破壊令を出す(第二次イコノクラスム – 843年)。
816年
空海が高野山金剛峯寺を開基。泰範の処遇をめぐり空海と最澄が訣別。
アゼルバイジャンでホッラム教徒バーバクの反乱( – 837年)。
816年頃 – このころまでに検非違使が設置される。
817年 –
唐の皇帝憲宗の命で淮南西道節度使の呉元済が討伐される。
皇帝ルートヴィヒ1世が帝国整序令を発布。
818年
菅原清公らが『文華秀麗集』を編纂。
嵯峨天皇が死刑停止の宣旨(『弘仁格』)を公布し死刑執行が停止される( – 1156年)。
819年 – 皇帝憲宗に献じた韓愈の『論仏骨表』が勅勘を被り、韓愈が潮州刺史に左遷される。
820年代
詳細は「820年代」を参照
820年
『弘仁格』と『弘仁式』が撰進される。
東ローマ帝国でレオーン5世が暗殺され、皇帝ミカエル2世が即位しアモリア朝が成立。
小アジアではこれに反対するスラブ人トマスの反乱が起きる。
821年
ホラサーンでターヒル朝が自立する。
唐と吐蕃との間で長慶会盟が結ばれる。唐の穆宗の妹太和公主がウイグルの崇徳可汗と婚姻する。
822年
現存最古の説話集『日本霊異記』を景戒が編集。
最澄が死去、その7日後に比叡山の大乗戒壇建立が勅許される。
空海が東寺を賜与される。
マヤのコパン第17代王ウキト・トーク即位の記録がある祭壇Lの年代。
823年
「唐蕃会盟碑」が建てられる。
嵯峨天皇が譲位し、第53代淳和天皇が即位。
825年
イングランドでウェセックス王国のエグバート王がマーシアをエランダンで破る。
後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン2世がムルシアを建設。
825年頃
イニゴ・アリスタがフランク王国に反乱を起こしナバラ王国を建国。
827年
チュニジアのアグラブ朝がシチリア島征服に着手。
菅原清公・良岑安世らが『経国集』を編纂。
東ローマ皇帝ミカエル2世からフランク王国のルートヴィヒ1世に『偽ディオニュシオス文書』が贈られサンドニ大聖堂に納められる。
828年 – エジプトのアレクサンドリアから聖マルコの遺骸がヴェネツィアに運ばれる。
828年頃 – 空海が綜藝種智院を創設。
829年 – ウェセックス王国のエグバートがイングランドを統一。
830年代
詳細は「830年代」を参照
830年頃
チェック人(西スラブ族)がモラビア王国建設。
淳和天皇の命により空海が『十住心論』を撰述(略本が『秘蔵宝鑰』)。
830年
唐で牛僧孺と李徳裕が争う(牛李の党争)( – 844年)。
ハッラーンにてアッバース朝カリフのマアムーンがサービア教徒に遭遇する。
カリフのマアムーンがバグダードに「知恵の館(バイト・アルヒクマ)」を建設する。
ハッラーンに続きバグダードでのギリシア語文献からアラビア語への翻訳が盛んになる。
832年
カリフのマアムーンがクフ王のピラミッドの内部に調査隊を潜入させる。
南詔がピュー(驃)を滅ぼす。
833年
アッバース朝でムウタスィムがカリフに即位。トルコ人奴隷(マムルーク)で親衛隊を組織。
『令義解』が撰集される。淳和天皇が譲位し、第54代仁明天皇が即位。
834年
仁明天皇の勅により空海が宮中真言院にて最初の後七日御修法を行う。
ハザールがドン川下流域に交易都市サルケルを建設。
835年
唐で甘露の変が起こる。
高野山にて空海が死去。
836年
アッバース朝がバグダードからサーマッラーに遷都。
プラティーハーラ朝のボージャ1世が北インドの中心地カナウジを制圧。
837年
唐の文宗の命による「開成石経」(西安碑林博物館蔵)が完成する。
838年
小野篁を隠岐国に配流。
承和の遣唐使(事実上の最後の遣唐使)で円仁が唐にわたる( – 847年)。
アモリオンの戦い。
839年
アマルフィ共和国が独立。
840年代
詳細は「840年代」を参照
840年
『日本後紀』が完成する。
ウイグルがキルギスの攻撃により崩壊。
統一ウイグル国家の崩壊により、甘州ウイグル王国・天山ウイグル王国他の地域政権が成立。
この一部がカラ・ハン朝成立に合流。
イタリア・カンパニア地方の中心都市カプアがイスラム教徒によって焼き払われる。
841年 – フォントノワの戦い。
842年
ストラスブールの誓い。マコンの和平。
嵯峨上皇が死去し、承和の変が起こる。
皇太子恒貞親王が廃され、道康親王が太子となる。
橘逸勢・伴健岑らが配流となり、太子の外伯父藤原良房の勢力が拡大。
吐蕃のランダルマ王が暗殺され、後継者争いから吐蕃は分裂する。
843年
ヴェルダン条約でフランク王国が3つに分裂。
コンスタンティノポリス教会会議で聖像崇敬派の最終的な勝利が確定し、イコノクラスムが終結する。
主催者は東ローマ皇帝ミカエル3世の母テオドラ (テオフィロスの皇后)(英語版)と総主教メトディオス1世。
このことを記念して「正教勝利の主日」が制定される。
ノルウェーのオーセベリ墳丘墓に船葬用の船体(オスロのヴァイキング船博物館蔵)が埋められる。
文室宮田麻呂が乱を企てたとして伊豆に流される。
844年 – クラビホの戦いでアストゥリアス王ラミロ1世がイスラム教徒に勝利。
845年
唐の武宗が仏教を弾圧(会昌の廃仏)。
唐では祆教・摩尼教・景教などの外来の三夷教も弾圧される。
ハンブルクがデンマーク王ホリック率いるヴァイキングに襲撃される。
846年 – ローマを攻撃したイスラム軍をグイード1世・ディ・スポレートが撃退。
846年頃
ブハーリーがハディース『真正集(サヒーフ・アル=ブハーリー)』を完成させる。
イブン・フルダーズベがアラビア語として最古の地理文献である『諸道と諸国の書』を執筆。
この著作には東方諸国として「スィーン(支那=唐か)」「シーラ (新羅か) 」「ワークワーク(倭国=日本か)」の記載がある。
847年
ローマで「ボルゴの火災(英語版)」。
円仁が新羅船により日本に帰国。
849年
イタリアのナポリ・アマルフィ・ガエタの艦隊がイスラム艦隊に勝利(オスティアの海戦)。
東ローマ皇帝ミカエル3世の叔父バルダスによりコンスタンティノポリス大学(マグナウラ宮殿大学)が再興される。
850年代
詳細は「850年代」を参照
850年 – 仁明天皇が譲位し、第55代文徳天皇が即位。
850年頃 – 『偽イシドルス法令集(英語版)』が北フランスで編纂される。
この法令集には教皇首位権を説いた「コンスタンティヌスの寄進状」も含まれる。
851年
ジャングランの戦いで、ブルターニュ王エリスポエが西フランク王シャルル2世に勝利し独立を獲得。
常暁の奏上によりこの年から宮中で大元帥法が行われる。
853年 – 唐の商人欽良暉が博多から福州に円珍を送る。
855年
斉衡地震により奈良の東大寺大仏の頭部が落下する。
ヴァランス教会会議でヨハネス・スコトゥス・エリウゲナが断罪される。
ウェセックス王エゼルウルフが末子アルフレッドを連れてローマに巡礼する( – 856年)。
856年
懐建可汗が唐から冊封を受けて天山ウイグル王国が成立する。
イランのダムガンで死者20万人の大地震(ヘカトンピュロスの地震)。
858年
文徳天皇が没し、第56代清和天皇が即位。
藤原良房が臣下としては初の摂政となる。
859年
唐で裘甫の乱が起こる。
南詔王世隆が皇帝を自称する。
モロッコ・フェズのカラウィーイーン大学が創設される。
860年代
詳細は「860年代」を参照
860年
行教が清和天皇の命を受けて石清水八幡宮を創建。
ヴァリャーグが東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻撃するも撃退される(ルーシ・ビザンツ戦争)。
861年
日本で宣明暦が採用される。
唐で822年に作成された暦で、1685年の貞享暦への改定まで使用され続ける。
ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂がベネディクト会士により建立される。
862年
伝承ではノルマン人ルス族のリューリクがノブゴロド公国を建国する。ロシア国家のはじまり。
フランドル家のボードゥアン1世が西フランク王シャルル2世の王女ジュディトと結婚し、初代フランドル辺境伯となる。
863年
ララカオン川の戦いで東ローマ帝国がアッバース朝アミールのウマル・アル=アクタに勝利。
東ローマ帝国のメトディオス、キュリロス(コンスタンティノス)兄弟がスラヴ人に対してキリスト教伝道を開始する。
ローマ教皇ニコラウス1世がコンスタンティノポリス総主教フォティオスを破門にする。「フォティオスの教会分裂」の始まり( – 867年)。
神泉苑にて最初の御霊会が行われる(祇園祭の始まり)。
864年
富士山貞観大噴火。
側火山である長尾山ほかが形成され、流れ出た青木ヶ原溶岩が樹海のもとをなす。
剗の海が埋没し富士五湖の西湖・精進湖が形成される。
カスピ海南岸にアラヴィー朝(ザイド朝)が成立。
西フランク王シャルル2世によりヴァイキングに対する組織防衛や造幣局に関するピトレ勅令(フランス語版)が出される。
コンクの修道士アリヴィスクスがアジャン教会所蔵の聖女フォワの聖遺物を窃取する( – 875年)。
864年頃
第一次ブルガリア帝国のボリス1世がキリスト教に改宗する。
865年
デーン人大異教軍がイングランド東部イースト・アングリアに上陸し各地を制圧する。
高岳親王(真如)が天竺行きの途上の羅越国にて死去する。入唐僧宗叡が帰国(入唐八家の最後の帰国)。
866年
応天門の変がおこる。応天門放火の罪で大納言伴善男が流罪となる。
日本最初の大師号として最澄に「伝教」、円仁に「慈覚」の号が贈られる。
867年
東ローマ帝国でミカエル3世が暗殺されアモリア朝が断絶。
政変を起こしたバシレイオス1世が単独皇帝に即位しマケドニア朝が成立。
コンスタンティノポリスのハギア・ソフィア大聖堂アプス半ドームの「玉座の聖母子像」のモザイクが造られる。
イランにサッファール朝が興る。
868年
唐で龐勛の乱が起こる。
エジプトにトゥールーン朝が興る。
『熊野年代記』に記録された慶竜による最古の補陀落渡海。
869年
第4コンスタンティノポリス公会議による総主教フォティオスの追放( – 870年)。
デーン人大異教軍との戦いでイースト・アングリア王エドマンドが殉教する。
イラクで黒人奴隷が反乱を起こす(ザンジュの乱)。
『続日本後紀』が完成する。『貞観格』が撰進され施行される。
貞観地震発生、陸奥国を大津波が襲う。
「石碑11号」に残るティカル最後の王ハサウ・チャン・カウィール2世のマヤ文字の記録の年。
870年代
詳細は「870年代」を参照
870年 – メルセン条約により中部フランクが東西に2分割される。
871年
アルフレッドがイングランド王となる( – 899年)。
『貞観式』が撰進され施行される。
873年 – サッファール朝がターヒル朝を倒しホラーサーン地方を獲得。
874年
唐の僖宗皇帝が法門寺に仏舎利ほかの宝物を寄進し封印する(法門寺地下宮殿宝物)。
『植民の書』ではノルウェー人首領インゴールヴル・アルナルソンが最初のアイスランド定住したと伝える。
シーア派の十二イマーム派では第12代イマームのムハンマド・ムンタザルが隠れイマーム(ガイバ)となったとされる。
875年
聖宝が醍醐寺を創建。
唐で黄巣の乱が起こる( – 884年)。
中央アジア最初のイラン系イスラム王朝であるサーマーン朝が興る。
イタリアにおけるカロリング朝の断絶。
876年
清和天皇が譲位し、第57代陽成天皇が即位。
淳和皇后が恒寂(恒貞親王)を開山に迎え大覚寺(旧嵯峨院)が創建される。
アンデルナハの戦いで、東フランク王ルートヴィヒ3世ら三兄弟が西フランク王シャルル2世を撃退。
877年
トゥルーン朝がシリアを併合。
キエルジー勅令(フランス語版)により西フランク王シャルル2世が諸侯の官職の世襲を認める。
ロカのヤルルン渓谷を叛徒に占領され吐蕃が滅亡する。
878年
エサンドゥーンの戦いで、イングランド王アルフレッドがヴァイキングのデーン人の侵入を撃退。ウェドモーアの和議が結ばれる。
ギフレー1世(カタルーニャ語版)(多毛伯)がバルセロナ伯を世襲化する。
元慶の乱が起こり藤原保則が陸奥の蝦夷平定に派遣される。
広州大虐殺。
879年
コンスタンティノポリスの教会会議による総主教フォティオスの復権( – 880年)。
ボソにより下ブルグント王国が独立し、プロヴァンス地方がその版図となる。
クロアティアの独立がローマ教皇ヨハネス8世に認められる。
『日本文徳天皇実録』が完成する。
880年代
詳細は「880年代」を参照
880年
リブモント条約により西フランク王国がロレーヌ西部を放棄。カロリング家の領土相続争いが決着する。
黄巣が洛陽・長安を占領。皇帝僖宗は蜀に逃亡する。
881年 – ラインラント各地の都市がヴァイキングに攻撃され、アーヘンでは大聖堂が破壊される。
882年 – オレグがリューリクの子イーゴリを擁してキエフを占領し、キエフ大公国を建てる。
883年
唐の皇帝僖宗が安化公主を南詔王隆舜に降嫁する。
モンテ・カッシーノ修道院がイスラム教徒サラセン人に破壊される。
884年
藤原基経によって陽成天皇が事実上廃位させられ、第58代光孝天皇が即位。
王満渡の戦いで、黄巣が唐軍に大敗し逃亡、狼虎谷にて自殺する。
アショト1世がバグラトゥニ朝アルメニア王国を建国する。
885年
ノルマン人のパリ攻撃に対しパリ伯ウードやパリ司教ゴズランらが篭城戦( – 886年)。
宦官田令孜と節度使王重栄の対立から皇帝僖宗は鳳翔に逃亡。
886年
イングランド王アルフレッドがロンドンを奪還し、デーン王グスルムとの間で協定を結ぶ。
887年
イタリアにおけるカロリング朝断絶。
光孝天皇が死去し、第59代宇多天皇が即位。藤原基経が初の関白となる。これに絡み阿衡事件が起こる。
仁和3年の浅間山大噴火。
888年
最後の統一フランク王のカール3世(肥満王)が死去。統一フランク王国は分裂する。
統一フランク王国は分裂し、東フランクとロタリンギアをアルヌルフが、西フランクをパリ伯ウードが、イタリアをフリウリ公ベレンガリオ1世が継承。
ルドルフ1世により上ブルグント王国が独立し、スイス西部がその版図となる。
ミラッツォの戦い(英語版)で東ローマ帝国にアグラブ朝が勝利する。
宇多天皇が仁和寺を創建。
889年 – 高望王に平姓を賜う(桓武平氏)。
890年代
詳細は「890年代」を参照
890年 – シリア北部にハムダーン朝が成立。
891年
藤原基経死去。宇多天皇は摂関を置かず、源能有・菅原道真らを登用して国政改革に着手(寛平の治)。
ルーヴァンの戦いで、東フランク王アルヌルフがノルマン人ヴァイキングに大勝。
892年
朝鮮半島で甄萱が完山(全州)に後百済を建てる。新羅が分裂への道を歩み始める。
アッバース朝がサーマッラーから再びバグダードに遷都。
菅原道真により『類聚国史』が完成する。
892年頃 – 東ローマ皇帝レオーン6世により「バシリカ法典」が出される。
893年
ブルガリア王にシメオン1世が即位する。第一次ブルガリア帝国は全盛期を現出。
唐に滞在中の留学僧中瓘が日本に宛てて遣唐使中止を奏上。
894年 – 菅原道真の進言により、遣唐使が廃止される。
895年 – 東国で7年間に及ぶ群盗蜂起(寛平・延喜東国の乱)が勃発。
896年
パンノニア(現ハンガリー)に首長アールパードに率いられた騎馬民族マジャル人が定住。
教皇フォルモススの「死体裁判」が行われる。
この時代から次の10世紀を教皇庁の「鉄の時代」と呼び、教皇の権威は低下しローマは混乱が続く。
897年 – 父である宇多天皇より位を譲られて、第60代醍醐天皇が即位する。
898年 – 古マタラム王国のバリトゥン王が即位。その治世でプランバナン寺院群を建立。
899年
藤原時平が左大臣に、菅原道真が右大臣に就任、両者の対立が激化。
カルマト派がクーファ近郊からイラク南部に勢力を拡大し反乱を起こす。
900年代
詳細は「900年代」を参照
900年
バルフの戦いでサーマーン朝のイスマーイールはサッファール朝のアムル・イブン・アル=ライスに勝利。
サーマーン朝はホラーサーンとマー・ワラー・アンナフルを支配下に置き最盛期を迎える。
ランゴバルド系カプア公国(英語版)が独立する。
甄萱が後百済を建国。