18世紀

1701年
スペイン継承戦争( – 1714年)。
イングランドで「1701年王位継承法」制定。
ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ1世がプロイセン王として戴冠(プロイセン王国の成立)。
モントリオールでイロコイ族とフランス・イギリス両植民地政府の間に「偉大なる平和」が結ばれる(ビーバー戦争の終わり)。
イェール大学が創設される。
播州赤穂藩主浅野長矩が江戸城中で高家肝煎吉良義央に斬りつける。
浅野長矩は切腹の刑となり、浅野家は改易される。
1702年
赤穂浪士大石良雄ら四十七士が吉良を討つ。
フランスでカミザールの乱( – 1705年)。
清で皇太子胤礽の外戚ソンゴトゥ(索額図)が失脚させられる。
1703年
ロシアのピョートル1世が新都サンクトペテルブルクの建設に着工。
メシュエン条約がイングランドとポルトガルで結ばれる。
幕府により大石良雄ら赤穂浪士が切腹を命じられる。
長州藩が製蠟所を設置。
元禄地震(房総沖M8.1〜8.5)。
オスマン帝国皇帝アフメト3世の即位。
1704年
教皇クレメンス11世の教皇勅書「クム・デウス・オプティムス」。
カトリック信者の儒教祭儀への参加を禁止し、典礼論争を差し止めとする。
フランスの東洋学者アントワーヌ・ガランが『千一夜物語』を初めてヨーロッパに紹介する。
1705年 – 大阪の豪商淀屋廣當(辰五郎)が幕府の命により闕所所払に処せられる。
1706年
トーマス・トワイニングがロンドンで「トムズ・コーヒーハウス」を開業(トワイニング社の始まり)。
パラグアイのラ・サンティシマ・トリニダー・デ・パラナのイエズス会伝道所が設立される。
1707年
宝永地震(東海・東南海・南海M8.4〜9.3)、富士山宝永大噴火(降灰砂は東方90kmの川崎で5cm・大被害)。
イングランド王国とスコットランド王国の合同でグレートブリテン王国成立。
以下の年表では「グレートブリテン王国」を「イギリス王国」あるいは「イギリス」と表記する。
ムガル帝国皇帝アウラングゼーブ死去、ムガル帝国軍はデカンを撤退しデカン戦争終結、以後ムガル帝国は急速に衰退。
1708年
清の康熙帝が第2皇子胤礽を廃太子とする(1709年に復権するも1712年に再度廃太子)。
イタリア人宣教師シドッティが屋久島に上陸し捕縛される。翌年に江戸へ移送される。
マントヴァ公国のゴンザーガ家が断絶する。
マラーター同盟結成( – 1818年)。
1709年
徳川綱吉が64歳で死去し、徳川家宣が江戸幕府第6代将軍となる。
生類憐れみの令を廃止する。新井白石が将軍侍講として登用される。
東山天皇が譲位し、第114代中御門天皇が即位。
東大寺大仏殿が再建され、落慶供養行われる。
ポルタヴァの戦いでロシアが勝利し、スウェーデン国王カール12世はオスマン帝国に亡命。
1710年代
詳細は「1710年代」を参照
1710年
閑院宮家の設立。宝永の改鋳。
ドレスデン近郊のマイセンにヨーロッパ最初の王立ザクセン磁器工場が創立される。
ロンドンのセント・ポール大聖堂が完成する。
ジョージ・バークリー『人知原理論』刊行。
1711年
清の康熙帝在位50周年に伴い、丁税免除を実施(「盛世滋生人丁」)。
南山集事件(中国語版)。
新井白石が朝鮮通信使の聘礼改革を行う。
レネ・デュゲイ・トルーアン率いるフランスの私掠船団がリオデジャネイロを襲撃。
1712年
ピョートル1世がモスクワからサンクトペテルブルクに遷都。
勘定奉行荻原重秀が罷免される。
1713年
教皇クレメンス11世が教皇勅書「ウニゲニトゥス」でジャンセニスムを禁止とする。
徳川家宣が死去し、徳川家継が江戸幕府第7代将軍となる。
ユトレヒト条約。
神聖ローマ皇帝カール6世が国事詔書で領土の分割禁止と長子相続を決定。
ウダール・ド・ラ・モットの『イリアス』仏訳を古典学者ダシエ夫人が批判してホメロス論争が起きる。
1714年
ラシュタット条約。
正徳の改鋳。江島生島事件。
イギリス女王アンが死去し、ステュアート朝断絶。
ハノーヴァー選帝侯ゲオルクがイギリス王ジョージ1世となり、ハノーヴァー朝成立。
バーナード・デ・マンデヴィル『蜂の寓話』刊行。
オネガ湖のキジ島にプレオプラジェンスカヤ教会(顕栄聖堂)が建てられる。
隣接するポクローフスカヤ教会(生神女庇護聖堂(1764年完成))とともに「キジ島の木造教会建築」を形成している。
1715年
海舶互市新例(長崎新令)が定められる。
スコットランドでマー伯ジョン・アースキンによるジャコバイトの反乱。
ジェームズ2世の遺児であるジェームズ老僭王がスコットランドに上陸するも反乱は鎮圧される。
フランス国王ルイ14世が死去す、曾孫のルイ15世が即位。
教皇クレメンス11世の教皇勅書「エクス・イラ・ディエ」。
典礼論争におけるイエズス会の宣教方法を禁止とする。
1716年
徳川家継が8歳で死去し、将軍家秀忠系は断絶。
紀州家出身の徳川吉宗が江戸幕府第8代将軍となり、享保の改革に着手する。
家継に仕えていた間部詮房・新井白石らが罷免される。大奥法度十九箇条が出される。
清で地丁併徴が進められ地丁銀制が導入される。
1717年
大岡忠相越前守が江戸町奉行就任。
プロイセンでヨーロッパ最初の義務教育制度が導入される。
スペインがヌエバ・グラナダ副王領を設置(1723年に廃止の後1739年に再設置)。
トーマス・トワイニングがイングランド初の紅茶専門店「ゴールデン・ライオン」を開業する。
近代フリーメイソン組織であるグランドロッジ・オブ・イングランドが発足する。
1718年
四カ国同盟戦争。
フレデリクスハルド要塞攻囲中のスウェーデン国王カール12世が流れ弾により落命。
パッサロヴィッツ条約。オスマン帝国の安定によりチューリップ時代始まる( – 1730年)。
ピョートル1世の皇子アレクセイに死刑判決が下り、処刑直前に獄死。
フランス領ルイジアナのミシシッピ川河口付近にヌーヴェル・オルレアン(ニューオーリンズ)が建設される。
1719年
享保4年の相対済令。
ファドゥーツ伯爵領とシェレンベルク男爵領とを併せてリヒテンシュタイン公国が成立。
1720年代
詳細は「1720年代」を参照
1720年
江戸の町火消(町人による消防組織)の「いろは組」が設置される。
日本でキリスト教以外の漢訳洋書輸入の禁が緩められる。
ハーグ条約。
サヴォイア領シチリア島とオーストリア領サルデーニャ島の領有が交換される。
サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ2世がサルデーニャ王の称号を獲得。
イギリスで南海泡沫事件が起こる。
フランスでも同年ミシシッピ計画のバブルが崩壊する。
イギリスでキャラコ使用禁止法が出される。
マルセイユのペスト大流行(ヨーロッパで最後のペスト大流行)。
ハサンプルの戦いで、ムガル皇帝ムハンマド・シャーがサイイド兄弟を倒す。
1721年
ロバート・ウォルポールがイギリス最初の首相となる(責任内閣制の始まり)。
20年以上にわたる安定政権を築き、戦争回避に努めたのでこの時期を「パクス・ウォルポリアナ(Pax Walpoleana)」と呼ぶ。
ニスタット条約により大北方戦争が終結( – 1700年)。
ロシアの勝利による「バルト帝国」スウェーデンの没落。
ロシアはスウェーデンからカレリア・エストニア・リヴォニア・イングリアを獲得。
ピョートル1世が元老院からツァーリ(ロシア皇帝)に戴冠される(ロシア帝国の始まり)。
同年にピョートル1世はモスクワ総主教庁を廃止し、聖務会院を設置。
デンマークの宣教師ハンス・エデゲがグリーンランドに上陸し先住民イヌイットに宣教する。
吉宗の命令で全国人口調査が初めて行われる(「子午改め」)。この頃、江戸の人口は100万人を超える。
小石川養生所完成。
1722年
オランダ海軍提督ヤコブ・ロッゲフェーンが南太平洋のイースター島(ラパ・ヌイ島)を発見。
イギリスでアタベリー陰謀事件。
オスマン皇帝アフメト3世によりサーダバード宮殿(英語版)が建設される。
アフガン系ギルザイ部ホタキ朝のミール・マフムードがサファヴィー朝の都イスファハーンを制圧。
ナーディル・シャーがサファヴィー朝のタフマースブ2世を擁立し、実権を握る。
清の雍正帝が第5代皇帝に即位。
1723年
ジュンガルのカザフ地方侵攻(大いなる災厄(アクタバン・シュブルンドゥ))。
清で改土帰流が行われる。清でキリスト教布教が全面的に禁止される。
足高の制。
1724年
神聖ローマ皇帝カール6世が国事詔書で領土の分割禁止に加え女子相続の承認を決定。
シャカル・ケーダーの戦いで、カマルッディーン・ハーンがムガル朝に勝利しニザーム王国を独立させる。
五同志が大坂船場に懐徳堂を創設。
1725年
雍正のチベット分割。
ロシア皇帝ピョートル1世死去、その皇后が女帝エカチェリーナ1世として即位。
ローマ市内の「スペイン階段(スパーニャ階段)」が完成する。
1726年
『古今図書集成』の刊行。
スウィフトが『ガリヴァー旅行記』を出版する。
1727年
キャフタ条約。
イギリス国王ジョージ1世が死去、ジョージ2世(ジョージ・オーガスタス)が即位。
王の名にちなみこの時代をオーガスタン時代またはジョージアン時代と呼ぶ。
モラヴィア兄弟団が結成される。
イブラヒム・ミュテフェッリカによりイスラム教徒最初の活版印刷所がイスタンブルに創設される。
ラージャスターン地方のアンベール王国の君主ジャイ・シング2世が、首都をアンベールからジャイプルへと遷都。
1728年
文字の獄で曾静(中国語版)が逮捕され、影響を与えた呂留良の著作が処分される。
徳川吉宗の命でベトナムから象が輸入される。
京都で中御門天皇の上覧があり(広南従四位白象)、江戸では将軍吉宗も見物するなど、各地で象ブームが起こる。
天一坊事件。
オヨ王国がダホメ王国を服属させる。
イーフレイム・チェンバーズが『サイクロペディア、または諸芸諸学の百科事典』を刊行。
1729年
清で軍機処の前身である軍機房が設置される。
清の雍正帝により編纂された『大義覚迷録』が刊行される。
コルシカ独立戦争( – 1769年)。
1730年代
詳細は「1730年代」を参照
1730年
オスマン帝国でパトロナ・ハリル(英語版)の反乱、チューリップ時代終わる。
大宰相ネヴシェヒルリ・イブラヒム・パシャ(英語版)が殺害され、皇帝アフメト3世が退位させられる。
プロイセンのフリードリヒ王子が逃亡に失敗し捕えられる。
大坂の堂島で世界初の先物取引がおこなわれる。
1731年
徳川幕府からの招聘により清の画家沈南蘋が来日する( – 1733年)。
山井鼎・荻生北渓『七経孟子攷文』刊行。
パルマ公国のファルネーゼ家男系が断絶する。
1732年
享保の大飢饉。林鳳岡による『華夷変態』が編纂される。
教皇クレメンス12世の命でトレヴィの泉の建設が始まる( – 1762年)。
マラータ同盟の宰相バージー・ラーオによるプネーのシャニワール・ワーダー宮殿が完成する。
1733年
ポーランド継承戦争( – 1735年)。
プロイセンでカントン制度(選抜徴兵制)を導入。
ヴォルテールの『哲学書簡』がイギリスで出版される。
ジョージア植民地が設立される(イギリス系アメリカ13植民地の最後)。
1734年
ビトントの戦いで、スペイン軍がオーストリア軍に勝利。
スペイン王子のパルマ公ドン・カルロスが南イタリアを征服し、ナポリ・シチリア国王カルロ7世として即位。
1735年
中御門天皇が譲位し、第115代桜町天皇が即位。
清の雍正帝が死去、最初の太子密建により乾隆帝が第6代皇帝に即位。
1736年
イランのサファヴィー朝を滅ぼし、ナーディル・シャーがアフシャール朝を開く。
元文の改鋳。
1737年
マラーター王国がムガル帝国の首都デリーを攻撃(デリーの戦い)。
トスカーナ大公ジャン・ガストーネの死去に伴いメディチ家が断絶。
ハノーファー選帝侯国にゲッティンゲン大学が創設される。
1738年
教皇クレメンス12世が教皇勅書「イン・エミネンティ」で初めてフリーメイソンを排斥する。
アフシャール朝のナーディル・シャーがギルザイ族を倒しカンダハール・カーブルなど全アフガニスタンを占領。
1739年
ジェンキンスの耳の戦争。
ナーディル・シャーのムガル帝国侵攻。
ナーディル・シャーが北西インドのラホールを占領。カルナールの戦い。
ムガル帝国の首都デリーを占領、デリー大虐殺、「孔雀の玉座」他の宝物を略奪。
イギリスでジョン・ウェスレーがメソジスト運動を始める。
デイヴィッド・ヒューム『人間本性論』が刊行される。
ロシア船籍の船が太平洋側にたびたび出没する(元文の黒船)。

1740年
プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世死去、その息子フリードリヒ2世が即位。
この年にフリードリヒ2世はヴォルテールに依頼し、オランダで『反マキャヴェリ論』を出版。
神聖ローマ皇帝カール6世死去、その長女マリア・テレジアがハプスブルク家家督を継承。
オーストリア継承戦争( – 1748年)。
オランダ領東インドでバタヴィア華僑虐殺事件。
清朝が漢人の満洲への移住を禁止する封禁令を出す。
1741年
ロシアでイヴァン6世が政変で廃位され摂政アンナ・レオポルドヴナが追放される。女帝エリザヴェータが即位。
ジョナサン・エドワーズの説教「怒れる神の御手の中にある罪人」がコネチカット州エンフィールドで行われる。
1730年代から1740年代にかけての植民地アメリカにおける「第一次大覚醒」(信仰復活運動)に大きな影響を与える。
1742年
松平乗邑らにより公事方御定書が制定される。
教皇ベネディクトゥス14世が教皇勅書「エクス・クオ・シングラリ」にて典礼論争におけるイエズス会の宣教方法を改めて禁止とする。
ロシア人探検家セミョン・チェリュスキンがユーラシア大陸最北端のチェリュスキン岬に到達。
ヴィッテルスバッハ家の神聖ローマ皇帝カール7世が即位(1437年以来のハプスブルク家出身でない皇帝)。
1743年
メーワール国王のジャガト・シング2世がウダイプルのピチョーラ湖の小島にジャグニワース宮殿を建設( – 1746年)。
1744年
クリンケンベルグ彗星の最接近(「1744年の大彗星」)。
第一次カーナティック戦争。
1745年
徳川家重が江戸幕府第9代将軍となる。老中松平乗邑が解任される。
アラビアのサウード家がイスラーム教ワッハーブ派に帰依し同派の守護者となる。
神聖ローマ皇帝カール7世死去、マリア・テレジアの夫君フランツ1世が即位。
1746年
ペルーのリマ・カヤオ沖地震(M8.6〜8.8)。
乾隆帝が紫禁城乾清宮養心殿に三希堂を設置する。
カロデンの戦いでチャールズ若僭王の反乱が失敗し、ジャコバイト運動は壊滅。
反乱を支持したスコットランドの氏族制度(クラン)を解体するため「1746年の衣装法(英語版)」などの法令が制定される。
1747年
桜町天皇が譲位し、第116代桃園天皇が即位。
ディドロとダランベールが『百科全書』の共同編集者となる。
ナーディル・シャーが暗殺され、アフシャール朝から各地に独立勢力が生まれる。
カブールを中心にアフマド・シャー・ドゥッラーニーがドゥッラーニー朝(サドーザイ朝)を興す。
カスティリオーネらにより円明園付属の西洋楼海晏堂の建設が始まる。
1748年
モンテスキューの『法の精神』が刊行される。
スペインのバレンシア地方のシャティバを中心に大地震が発生。
加賀騒動。
1749年
第二次カーナティック戦争。
シェーンブルン宮殿が完成する。
ノバスコシア植民地の新総督府としてハリファックス市が建設される。
1750年代
詳細は「1750年代」を参照
1750年
ヴォルテールがプロイセンのフリードリヒ2世を訪問しポツダムのサン・スーシー宮殿に滞在( – 1753年)。
マドリード条約により、ポルトガルとスペインとのアマゾン地域の領土が確定される。
1751年
ドゥニ・ディドロらにより『百科全書』が刊行される( – 1772年)。
乾隆帝の第一次南巡(中国語版)。
1752年
ミャンマーでアラウンパヤー朝(コンバウン朝)が成立する。
アメリカのベンジャミン・フランクリンが雷が電気であることを凧揚げ実験で証明する。
1753年
カール・フォン・リンネの『植物の種』が刊行され、学名が初めて用いられる。
イギリスで博物館法が制定され大英博物館が設立される(一般公開は1759年から)。
1754年
宝暦治水( – 1755年)。
コロンビア大学が創設される。
1755年
リスボン大地震。
モスクワ大学創建。
フレンチ・インディアン戦争( – 1763年)。
ジャン=ジャック・ルソーの『人間不平等起源論』が刊行される。
1756年
外交革命。七年戦争( – 1763年)。
プラッシーの戦いでフランスに対するインドでのイギリスの優位が確定。
1757年
清がジュンガル王国を滅ぼし、東トルキスタンを「新疆」と名づけ藩部とする。
清が西洋人との交易を広州一港に限定し、特権商人公行にのみ貿易を許可する(広東貿易体制の成立)。
ダミアンによるフランス国王ルイ15世暗殺未遂事件。
1758年
ハレー彗星接近(12月25日)。
天文学者エドモンド・ハレーはこの彗星が約75年周期で出現することを1703年に予言していたので、彼の名を取りハレー彗星と呼ぶ。
宝暦事件。
1759年
クネルスドルフの戦いでプロイセン軍がロシア・オーストリア軍で惨敗するも窮地を脱する(ブランデンブルクの奇跡)。
リッチモンド宮殿所属の王立植物園キューガーデンが建てられる。
アダム・スミスによる『道徳感情論』が出版される。
1760年代
詳細は「1760年代」を参照
1760年
徳川家治が江戸幕府第10代将軍となる。
ヴォルテールがジュネーヴ近郊のフェルネーに定住する(「フェルネーの長老」)。
フランス領モントリオール市が陥落し、ヌーベルフランス全域がイギリスに征服される。
1761年
フランスでカラス事件(フランス語版)がおきる。
バッキンガム公爵の邸宅をイギリス王ジョージ3世が私邸として購入する(バッキンガム宮殿の始まり)。
第三次パーニーパットの戦いで、ドゥッラーニー朝アフガンがマラータ同盟に勝利する。
1762年
桃園天皇が没し、第117代後桜町天皇が即位。
壬午士禍により李氏朝鮮の英祖の王子荘献世子が廃され窮死する。
清朝が新疆支配のためイリ将軍府を設置。
ロシアでピョートル3世が政変で廃位され、皇后が即位し女帝エカチェリーナ2世となる( – 1796年)。
サンクトペテルブルクのエルミタージュ宮殿(冬宮殿(ズィームニイ・ドヴァリェーツ)が完成する。
イギリスがスペイン領キューバの首府ハバナを占領( – 1763年)。
ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』が刊行される。
1763年
ポンティアック戦争( – 1766年)。
パリ条約とフベルトゥスブルク条約により七年戦争が終わる。
ブラジルの首府がサルヴァドールからミナス・ジェライスの外港リオデジャネイロに遷る。
ユスティヌス・フェブロニウスの『教会の現状とローマ教皇の正統なる権限について』が出版される(フェブロニウス主義)。
1764年
ブクサールの戦いで、イギリス東インド会社がムガル皇帝・アワド太守・ベンガル太守の連合軍に大勝する。
エカチェリーナ2世がヘーチマン制を廃止する。
幕府が清朝への輸出向け俵物三品(煎海鼠・乾鮑・鱶鰭)の増産を奨励。
ジェヴォーダンの獣事件( – 1767年)。
チェーザレ・ベッカリーアの『犯罪と刑罰』が出版される。
ホレス・ウォルポールの『オトラント城奇譚』が出版される(ゴシック・リヴァイヴァルの始まり)。
1765年
清緬戦争( – 1769年)。
イギリスが13植民地に対し印紙法を課す。
イギリス東インド会社がベンガル・オリッサ・ビハールのディーワーニー(州財務長官の職務権限)を獲得。
1766年
フランスがロレーヌ公国を併合する。
イギリスの科学者ヘンリー・キャベンディッシュが水素を発見する。
スペインでエスキラーチェ暴動(英語版)が起こる
1767年
田沼意次が側用人になる。いわゆる「田沼時代」の始まり ( – 1786年)。
明和事件。
イギリス人サミュエル・ウォリスがタヒチ島を発見。
1768年
ジェノヴァがフランスにコルシカ島を売却する。
トリエステで美術史家ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンが殺害される。
スコットランドのエディンバラで『ブリタニカ百科事典』初版本が出版される。
1769年
ゴルカ王プリトビ・ナラヤン・シャハがカトマンズを征服しネパールを統一。
フィレンツェのウフィツィ美術館が開館する。
1770年代
詳細は「1770年代」を参照
1770年
後桜町天皇が譲位し、第118代後桃園天皇が即位。
ジェームズ・クックがイギリスによるオーストラリア東南部の領有を宣言。
フランス王太子ルイ(ルイ16世)とオーストリア王女マリー・アントワネットの結婚。
デンマークでストルーエンセが請願審議官(メートル・デ・ルケット)に就任(「ストルーエンセ時代」 – 1772年)
1771年
ベトナムで西山党の乱起こる( – 1802年)。
ヴォルガ川周辺のカルムイク人が東トルキスタンのイリ地方へ移動(トルグート部)。カルムイク人の一部はこの地に残留。
フランスで大法官モプー(英語版)の司法改革によるパリと地方の高等法院の解体。
教皇クレメンス14世がヴァティカン美術館(ピオ・クレメンティーノ美術館)を公開する。
ロシア支配下のカムチャッカ半島から脱出したモーリツ・ベニョヴスキーが日本に来航するも入国拒否される。
1772年
第一次ポーランド分割。
明和の大火(行人坂の火事)。
田沼意次が老中となる。南鐐二朱銀を発行。
1773年
教皇クレメンス14世の回勅「ドミヌス・アク・レデンプトール(英語版)」が出される。
これによりイエズス会が解散(英語版)となる(- 1814年)。
ボストン茶会事件。
ロシアでプガチョフの乱( – 1775年)。
ウォーレン・ヘースティングズが最初のベンガル総督(のちのインド総督)となる。
1774年
キュチュク・カイナルジ条約によりロシアは黒海北岸を獲得。
フランス国王ルイ15世死去、孫のルイ16世が即位。
宰相モールパ伯の進言により高等法院が復活。
イギリスでキャラコ禁止法が廃止され、機械輸出禁止法が制定される。
杉田玄白らによる『解体新書』が出版される。
山東省で白蓮教系清水教徒による王倫 (清)(中国語版)の乱が起こる。
1775年
スウェーデン人植物学者カール・ツンベルクが長崎に来航。翌年には江戸で将軍家治に謁見。
アメリカ独立戦争( – 1783年)。
レキシントン・コンコードの戦い、ボストン包囲戦、ジョージ・ワシントンが最高司令官となる。
アワド太守アーサフ・ウッダウラがファイザーバードからラクナウに遷都。
1776年
7月4日、アメリカ独立宣言が採択される。
スペインがリオ・デ・ラ・プラタ副王領を設置。
フランスで財務総監ジャック・テュルゴーが失脚。後任にジャック・ネッケルが就任。
アダム・スミスによる『国富論』が出版される。
エドワード・ギボンによる『ローマ帝国衰亡史』第1巻が出版される。
1777年
サラトガの戦い。
バイエルン系ヴィッテルスバッハ家が断絶。
プファルツ選帝侯がバイエルン選帝侯位を継承しヴィッテルスバッハ家が統合される。
1778年
バイエルン継承戦争( – 1779年)。
ミラノのスカラ座が完成する。
仏米同盟条約の締結。
1779年
イランでアーガー・モハンマド・シャーがカージャール朝を開く( – 1925年)。
ハワイ島のケアラケクア湾でイギリス人探検家ジェームズ・クックが現地住民に殺害される。
後桃園天皇が死去する。

1780年
閑院宮師仁親王が、第119代光格天皇として即位。
オーストリアのマリア・テレジア死去。
ロシアのエカチェリーナ2世の提唱で武装中立同盟が結成される( – 1783年)。
ロンドンで反カトリック派によるゴードン暴動(英語版)が発生。
第四次英蘭戦争( – 1784年)。
ナポリ王国のカゼルタ宮殿が完成する(1752年 – )。
イラン北西部タブリーズの大地震。
インドのヴァーラーナシー(ベナレス)のカーシー・ヴィシュヴァナート寺院が、アヒリヤー・バーイー・ホールカルによって再建される。
殺人罪で投獄されていた平賀源内が獄死。
植民地ペルーにおけるトゥパク・アマルー2世の反乱。
1781年
神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の農奴解放令と宗教寛容令(ヨーゼフ主義)。
イマヌエル・カントの『純粋理性批判』が刊行される。
世界初の鋳鉄製アーチ橋のアイアンブリッジが完成する。
ウィリアム・ハーシェルが天王星を発見。
清で乾隆帝の命による四庫全書完成する(1741年- )。
1782年
天明の大飢饉( – 1787年)。
幕府が印旛沼・手賀沼の干拓に着手。
タイ王国でチャクリー朝が成立しラーマ1世が即位。
1783年
パリ条約でイギリスがアメリカの独立を承認。
モンゴルフィエ兄弟により熱気球による史上初の有人飛行が行われる。
アイスランドでラキ火山とグリムスヴォトン火山が連続して噴火。
浅間山の天明大噴火。
1784年
江戸城中で若年寄田沼意知が佐野政言により殺害される。
筑前国福岡藩領内の志賀島にて「漢委奴国王印」が発見される。
イギリス首相ウィリアム・ピットがインド法を制定し、インド庁(英語版)を設置。
カロン・ド・ボーマルシェの「フィガロの結婚」が上演される。
黒海沿岸のロシア領オデッサが開港する。
グリゴリー・シェリホフがコディアック島のスリー・セインツ湾にアラスカ最初のロシア人植民地を形成。
1785年
マリー・アントワネットの首飾り事件。
ジョン・ウォルターが世界最古の日刊新聞『タイムズ(ロンドン・タイムズ)』を創刊。
ロシア女帝エカチェリーナ2世による「貴族への特許状(恵与状)」が発布される。
山口鉄五郎ら幕府の蝦夷地調査団が派遣される。
1786年
英仏通商条約(イーデン条約(英語版))でイギリス製品がフランスに流れ込む。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテのイタリア旅行( – 1788年)。
トスカーナ大公レオポルド1世がヨーロッパで最初の死刑完全廃止を行う。
台湾で林爽文事件。
将軍徳川家治死去、老中田沼意次が辞任させられる。
最上徳内らが国後島・択捉島・得撫島を調査。
1787年
フィラデルフィアの憲法制定議会において、アメリカ合衆国憲法が制定される。
北西部条例によりアメリカ合衆国がオハイオ領土を統治することが決定される。
徳川家斉が江戸幕府第11代将軍となる。
江戸や大阪で天明の打ちこわしが最高潮に達する。京都で御所千度参りが起こる。
松平定信が老中首座になり寛政の改革に着手( – 1793年)。
ピニョー・ド・ベーヌが阮福暎の息子阮福景を伴いフランスに帰国。
ルイ16世と会見しフランスとベトナムの攻守同盟(ヴェルサイユ条約)を締結。
1788年
オーストラリアが流刑植民地とされ、イギリス人の移民が始まる。
フランスの探検家ラ・ペルーズ伯が南太平洋で消息不明となる。
第一次ロシア・スウェーデン戦争(- 1790年)。
清・ネパール戦争( – 1792年)。
京都で天明の大火。
1789年
フランス革命( – 1794年)。
革命時代を1789年 – 1799年とする説もある。フランス革命の年表も参照のこと。
三部会の召集、球戯場の誓い、バスティーユ牢獄襲撃、国民議会の創設、
封建制の廃止(八月四日の夜)、人権宣言、ヴェルサイユ行進、国王と議会のパリ移動。
リエージュ革命、ブラバント革命。
ジェレミ・ベンサム『道徳および立法の諸原理序説』が刊行される。
ジョージ・ワシントンが初代アメリカ大統領に選出される( – 1797年)。
ドンダーの戦いで、阮恵率いる西山朝がベトナム黎朝と清朝の連合軍を撃破。
昭統帝が清に亡命し、黎朝滅亡(1428年 – )。
尊号一件。棄捐令。
寛政蝦夷の乱(クナシリ・メナシの戦い)。
バウンティ号の反乱。

1790年
国民議会「教会財産を没収(国有化)」
承徳避暑山荘と外八廟が完成する(1703年 – )。
乾隆帝八十歳の祝賀で安徽省から「四大徽班」が相次いで北京に来訪する(京劇の起源)。
寛政異学の禁。石川島人足寄場の設置。全国に薬草栽培を奨励。
フランスで修道団体の解散、アッシニア債権発行、聖職者民事基本法の導入、高等法院の解体。
エドマンド・バークの『フランス革命の省察』が刊行される。
アレクサンドル・ラジーシチェフが『ペテルブルクからモスクワへの旅』を刊行したことでシベリアに流刑にされる。
1791年
ポーランド5月3日憲法。
フランスで同職組合(ギルド)の解散、1791年憲法、ヴァレンヌ事件、ピルニッツ宣言。
フランス科学アカデミーがメートル法を採用する。
ジェレミ・ベンサム『パノプティコン』が刊行される。
ベルリンのブランデンブルク門が完成する。
ヤッシー条約によりロシアがクリミア・ハン国を併合。
七分積金(囲米)の導入。戯作者山東京伝が手鎖50日の処分を受ける。最初の上覧相撲。
1792年
フランスがオーストリアに宣戦布告しフランス革命戦争始まる。
8月10日事件でフランス王権の停止。九月虐殺。フランス第一共和政成立。
スウェーデン国王グスタフ3世が仮面舞踏会で暗殺される。
オスマン帝国のセリム3世が西洋式新軍隊のニザーム・ジェディード(新秩序)導入を開始する。
林子平が処罰されその著作『海国兵談』は発禁・版木没収にされる。学問吟味の実施。
ロシア使節ラクスマンが漂流民大黒屋光太夫らを連れて根室に来航。
島原大変肥後迷惑。
1793年
ルイ16世の処刑。第一次対仏大同盟結成。
革命裁判所・公安委員会の設置によりジャコバン派独裁による恐怖政治が始まる。
フランス革命暦の採用、国民総徴集法によるフランス国民皆兵の徴兵制度の成立。
ヴァンデの反乱、リヨンの反乱、トゥーロン攻囲戦。
ノートルダム大聖堂で「理性の祭典」、ルーヴル美術館開館。
第二次ポーランド分割。
イギリス統治下のベンガル地方にザミーンダーリー制度が導入される。
清の乾隆帝とイギリス全権大使ジョージ・マカートニーが貿易の交渉するが決裂。
松平定信が老中首座及び将軍補佐役を辞任、老中首座に松平信明が就任(寛政の遺老)。
1794年
「最高存在の祭典」。テルミドールの反動。総裁政府成立。
桂川甫周の『北槎聞略』がまとめられる。
蔦屋重三郎が東洲斎写楽の役者大首絵を出版( – 1795年)。
オランダ東インド会社代表イサーク・ティチングが紫禁城に入り歓待される。
ヌートカ条約(英語版)により、イギリスが太平洋沿岸のブリティッシュ・コロンビアを獲得。
1795年
フランスがオランダを占領し、バタヴィア共和国を建てる。
第三次ポーランド分割によりポーランド国家が消滅。
カメハメハ1世(大王)によりハワイ諸島が統一されハワイ王国が成立。
1796年
清の乾隆帝が譲位し、嘉慶帝が第7代皇帝に即位。
清政府による最初のアヘン輸入禁止令。
湖北にて白蓮教徒の乱が起こり、三世の春は終わる( – 1804年)。
ナポレオンの第一次イタリア遠征。
アーガー・モハンマド・シャーがイランを統一し、ガージャール朝を建てる。
ロシア女帝エカチェリーナ2世死去、息子のパーヴェル1世が即位。
1797年
湯島聖堂の林家私塾を幕府直轄の昌平坂学問所(昌平黌)に変更する。
カンポ・フォルミオ条約によりジェノヴァ共和国とヴェネツィア共和国が消滅。
フランスはリーグレ共和国とチザルピーナ共和国を建て、オーストリアはヴェネツィア他を併合。
1798年
本居宣長が『古事記伝』を完成させる。
フランスが教皇領を占領しローマ共和国を、スイスを占領しヘルヴェティア共和国を建てる。
ナポレオンのエジプト遠征。第二次対仏大同盟結成。
タラの丘でのユナイテッド・アイリッシュメンの反乱がイギリス政府に鎮圧される。
トマス・ロバート・マルサスが匿名で『人口論』を刊行。
エドワード・ジェンナーが種痘法を発表。
1799年
清の乾隆太上皇帝死去、嘉慶帝は親政を開始し、先帝の寵臣ヘシェン(和珅)に自死を命じる。
第四次マイソール戦争にイギリスが勝利し、南インドのマイソール王国が藩王国となる。
ブリュメール18日のクーデタで統領政府成立。
1800年代
詳細は「1800年代」を参照
1800年
伊能忠敬が蝦夷地の測量に向かう。
アレッサンドロ・ボルタが後に電池として知られる大電流を発生させる装置(ボルタの電堆)を発明。
ナポレオンの第二次イタリア遠征。ナポレオンのアルプス越え。マレンゴの戦い。
コロンビア特別区(ワシントンD.C.)がアメリカ合衆国の首都になる。