中国 官吏登用制度 土地制度

このテーマは全ての学部で正誤問題、間違いの選択肢も含め出題

官吏登用制度

「郷挙里選」「漢」
「九品中正法」「魏」
「科挙」「隋」「唐」
「科挙が官吏登用法」として整えられたのは「宋」
→「殿試(でんし)(宮中で最終試験をする)」も宋から追加
→「隋」に始まって「清」の時代まで、約1300年間
→モンゴルの元が南宋を滅ぼしてしばらくの間、中断されて科挙が行われなかった時期があった
→近代化の必要などから、科挙が廃止されたのは清朝末期、光緒帝の時代(1905年)

土地制度

『井田法・阡陌制・限田法・屯田制・占田課田法・均田制・佃戸制』

「井田法」「周」
「阡陌制」「秦」
「限田法」「前漢」
「屯田制」「魏」
「占田・課田法」「西晋」「司馬炎」

「均田制」「北魏」以降の「隋」「唐」
「佃戸制」「宋」から「元」「明」「清」
→新興地主層が、小作人の「佃戸」に土地を貸して小作料をとるという方式は、唐の末期から五代十国の時代、すでに発生。
「宋」の時代に、これが広がって、社会一般の土地経営のやり方として見られるようになった。「佃戸制」はあくまで自然に広がっていった私的な土地経営のあり方で、国が定めた制度である「均田制」までの「土地制度」とは区別しておく必要があり。

2012教育
南宋の出来事選択で占田課田法(西晋)が×選択肢

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